やりたいことをやった時代!太平記が描く室町時代のバサラ大名たち

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人物のエピソード

ご来訪ありがとうございます!

『ばさらってちょっとカッコイイ』拓麻呂です。

 

時は室町、南北朝時代。

この時代に、ある特徴的な大名たちが現れました。

 

社会の秩序など、どこ吹く風・・・

派手な衣装に身を包み、権力に従わぬ荒くれ者たち。

 

彼らの事を『婆娑羅(ばさら)大名』と言います。

 

そんなバサラたちが活躍した南北朝時代の日本人は強すぎました。

 

秩序に盾突く『ばさら』たちの行動は、日本史上まれにみるやりたい放題・・・もうメチャクチャです。

 

今回は、古典 太平記に記された逞しすぎる日本人の躍動感、好き放題やってしまったばさらっぷりに迫ってみたいと思います。

 

 

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逞しすぎた婆娑羅な男たち

ばさらの意味と三人のばさら大名

では『ばさら』とは一体何なのでしょうか?

 

『ばさら』とは主に、秩序を無視し、権威に反発する社会的風潮の事を言います。

 

このような風潮の元、派手な衣装で京都を練り歩き『ばさら』していたのが、いわゆる『ばさら大名』と言われる人たちです。

 

ちなみに『ばさら』という言葉は古代のインド語(サンスクリット語)の『バジャラ』が語源と言われていますが、ハッキリしたことはよく分かっていません。

 

社会的風潮『ばさら』が流行した南北朝時代。

そんな時代を代表する三人の『ばさら大名』がいます。

 

高師直(こうの もろなお)

土岐頼遠(とき よりとお)

佐々木道誉(ささき どうよ)

 

では次に彼らのばさらっぷりを確認してみましょう。

 

 

天皇を木像にしようとした高師直

まずは高師直から。

 

彼は権威を恐れない現実主義者であったと言われています。

そんな彼のばさらっぷりを現す言葉が太平記に記されています。

 

『そんなに天皇が尊く世に必要なのであれば、金か木で像でも造ってそれを崇めていれば良かろう!人間の天皇は島流しにでもしてしまえ!』

 

 

そして、もう一つ。

 

ある日、師直は貴族の娘をさらってきました。

そんな師直にある人物が尋ねます。

 

『その娘、どうしたのじゃ?

 

すると師直は、こう言いました。

 

『ああ、この娘か・・・』

『・・・』

『・・・・・』

『道で拾ってきた!!』

 

ちなみに十数年前まで歴史の教科書に『足利尊氏』として掲載されていた肖像画は、近年の研究で高師直(もしくは高師冬、高師詮)の肖像画であることが分かっています。

 

 

上皇に弓引いた土岐頼遠

続いては土岐頼遠。

 

彼は、数々の戦で武功をあげた猛将だったと伝わっています。

 

ある日の出来事・・・

 

ベロベロに酔っぱらった頼遠は道端である牛車とすれ違いました。

 

その牛車にはどうやら光厳院(こうごんいん、上皇)が乗っているらしい。

 

それを知った頼遠はこう言いました。

 

『んあ?院(いん)と言ったか?犬(いぬ、いん)と言ったか?犬ならば射てしまえ!!』

 

酔っぱらっていた彼はこのようなダジャレを言い放った直後、光厳上皇の乗った牛車に向って弓を連射し始めました。

 

たまげたのは光厳上皇です。

 

突然弓で狙われた光厳上皇は、訳も分からず一目散に逃げていきました。

 

 

・・・後日。

 

頼遠の行為は大問題になりました。当たり前です。

彼は打首になりました・・・。

 

 

『片腹痛し!!』佐々木道誉

三人目はこの人、佐々木道誉です。

 

彼は『ばさら』でありながら、華道や香道などにも精通しており、文化人的な側面も持っていたようです。

 

ある日・・・。

 

鷹狩を楽しんできた道誉は、たまたま通りかかった妙法院というお寺の真っ赤な紅葉に目を奪われます。

 

見とれた彼は、家来に枝を折ってくるよう命じました。

 

すると、その様子を見ていた妙法院の僧が飛び出してきました。

 

『御所の枝を折るとは何たる無礼!!』

 

道誉は言い返します。

 

『御所??片腹痛し!!』

 

彼は僧を嘲笑しながら、さらに太い枝をへし折りました。

この暴挙に僧たちは道誉の家来に手をあげ、外に放り出します。

 

家来を痛めつけられた道誉も黙っていません。

 

家来を集め、妙法院を焼き払ってしまいました・・・。

 

 

反省していない佐々木道誉

このエピソードには後日談があります。

 

妙法院を焼き払った道誉は、朝廷に咎められ責任を取らされます。

 

彼は下総(現在の千葉県)に左遷されます。

 

大人しく命令に従い、下総に向う道誉一行・・・しかし・・

 

道誉にはたくさんの武者が付き従い、道中のあらゆる場所で宴を催す始末。

宿場に立ち寄っては、遊女と遊びほうけていたそうです・・・。

 

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やりたいことに正直だった南北朝時代

ごくごく一部ですが、これが『ばさら大名』と呼ばれる男たちのエピソードです。

 

社会の風潮であったとは言え、少々やり過ぎです。

あまりにも非人道的な所業です。

 

現代日本は礼儀や秩序などを重んじますが、完全に真逆です。

 

南北朝時代の価値観とは

『やりたい事をやる』

これに尽きます。

 

高師直は、貴族の娘が気に入ったから拉致しました・・。

土岐頼遠は、酔った勢いで上皇に弓を引きました・・。

佐々木道誉は、紅葉が綺麗だったから枝を折りました・・。

 

この時代の『ばさら』は、自分の気持ちに正直だったんです。

 

ただ現代社会で同じことをしたら、非難を浴びること間違いなしです。

 

が・・・

 

現代の日本人が『ばさら』から学ぶことは多いのではないかと考えています。

 

今の日本はとても窮屈です。

国民の幸福度調査がそれを如実に物語っています。

 

会社のしがらみが窮屈なあなた。

生きづらい社会だと思うあなた。

 

ほんの少しだけ『ばさら』してみませんか?

 

 

やりたい放題!正義のばさら!!

最後に『ばさら大名』たちの、もうひとつの側面をご紹介します。

 

高師直は天皇を木像にしてしまえ!などと暴言を吐きました。

しかし彼は、朝廷を滅ぼすような武力行使には及んでいません。

 

土岐頼遠は、上皇に弓を引き大問題になりました。

しかし彼は、その責任を一人で背負い、一族全員の粛清を食い止めました。

 

佐々木道誉は理不尽な理由で妙法院を焼き払いました。

しかし彼の行為は、民衆から支持されました。

当時の妙法院は乱暴狼藉を働き、民からは良く思われていなかったからです。

 

やりたい放題『ばさら』の限りを尽くした彼らの行動には、明確な筋が通っているのです。

 

やりたい事をやっていても、必ず筋は通す。

これが『ばさら大名』なのです。

 

そんな『ばさら大名』たちが、現代日本を見たらどう思うでしょうか?

 

『我慢は美徳』という価値観。

ブラック企業の闇に苦しむ若者たち。

隣国に振り回され続ける日本の外交。

 

きっと佐々木道誉は、大笑いしながらこう言うに違いありません。

 

『日本も弱くなったものよのう!片腹痛し!!』

 

ばさらの世界をもっと知りたい方にはコチラがおススメです。

 

 

では、今回はこの辺で!ありがとうございました。