相模の獅子 北条氏康ってどんな人?顔の傷が物語る有能な武将の逸話

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拓麻呂です。

戦国時代に武田信玄や上杉謙信、今川義元と凌ぎを削った名将。

相模の獅子『北条氏康』

相模国(現在の神奈川県)小田原城を本拠とし、初代早雲から数えて三代目に当たる武将で、後北条氏五代の中でも、戦国時代が最も熟成した時代を生きた男です。

戦国時代の関東に、巨大な北条王国を築いた氏康。

しかしながら、ライバルの武田信玄、上杉謙信、今川義元などに比べると、今一つ知名度が低いようにも感じます。

この記事では、そんな氏康の名将っぷりを示すエピソードをご紹介します。

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相模の獅子 北条氏康

臆病だった幼少時代

氏康の幼少期のエピソードとして、面白い逸話が残っています

氏康が12歳だった頃、北条家の家臣が鉄砲の練習をしており、領内で発砲音が鳴り響きました。

あまりの轟音に驚いた氏康は、思わず耳をおさえ、たじろいでしまいました。

北条家の跡取りとして、己の小心さを恥じた氏康は自害しようとしました。

しかし、氏康の師匠である僧侶が、こう諭しました。

臆病であることは悪いことではない、自身が臆病であることを自覚しているということは、将来が有望だ!

これは、臆病な者ほど用心を怠らず、自らを成長させる、というような意味が込められています。

実は、織田信長や徳川家康も同じような格言を残しています。

信長は『生まれつき才能のあるものは、うぬぼれて鍛錬を怠る。一方で臆病者は何とかしようと日々努力を怠らない』と言っています。

家康は『本当に恐ろしい人物は勇者ではなく臆病者である』と言っています。

これらの言葉が示す通り、氏康は武芸や学問にいそしみ、関東に広大な領土を築く大名へと成長していくのです。

内政に優れた名将

北条氏康と言えば、一般的に内政面での評価が高い武将です。

領内の検知を抜かりなく行ったことは有名で、合戦の際に各武将が負担する武器や武具、馬などの量が明確になったと言われています。

また、領民を第一に考えた内政を敷いたことでも有名で、民衆の意見を吸い上げるべく、目安箱を設置していたことでも知られています。

この目安箱の制度は、江戸幕府八代将軍 徳川吉宗も採用しました。

北条家の年貢は、祖父である『北条早雲』の頃から『四公六民』で、他の戦国大名に比べ民衆の年貢を軽かったことでも有名です。

(四公六民とは、米の取れ高の4割が年貢で6割が民のものという意味)

他にも『撰銭令(えりぜにれい)』と言われる政策で、領内の通貨を統一、流通がスムーズになり経済が円滑になりました。

さらに、当時は発給文書などに『花押(かおう)』と言われるサインをしていたのですが、氏康は虎の印判を用いました。

これが、現在のハンコの先駆けとされ、文書の発行がとてもスムーズになったと言われています。

このように、氏康は戦国時代でも屈指の為政者として知られているのです。

武勇にも優れた名将

氏康の顔には二つの傷跡があったと言われています。

これは、敵に背を向けない勇敢さを示すとともに、敵に挟撃されたことのない傭兵の巧みさを物語るエピソードとして知られています。

つまり、内政面だけでなく、武勇にも優れた武将であったということです。

そんな氏康を代表する合戦が『川越夜戦』です。

川越夜戦は戦国三大奇襲戦のひとつとされている合戦です。

この合戦に関しては、様々な説が錯綜していますが、氏康が関東に覇権を築くキッカケになった戦であることに変わりはないと思います。

北条氏康 一世一代の大戦の詳細はコチラをご覧ください。

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宿敵!上杉謙信(長尾景虎)

武田信玄と上杉謙信て、よくライバル扱いされますよね。

いわゆる『第四次川中島の戦い』が、戦国時代屈指の大激戦として有名すぎるので、その影響で信玄vs謙信のライバル関係が浸透しているのではないかと思います。

このイメージは確かに間違いではないのですが、謙信にとっての生涯の宿敵は、北条氏康なのではないかと思っています。

川中島の戦いって、信玄が越後(新潟県)に領土を広げるための戦で、謙信にしてみれば、信玄に侵攻された国人衆らに要請された防衛戦である側面が強いです。

一方、謙信は『関東管領(かんとうかんれい)』という関東の統治者としての役職を室町幕府からもらい、関東にたびたび出兵しています。

この時に激突していたのが、関東に領地を広げていた北条氏康です。

どちらが関東の正当な支配者か?

この覇権をめぐって対立していたのが、北条氏康と上杉謙信です。

北条氏康の『北条』は、鎌倉時代の執権 北条氏にあやかったものですし、上杉謙信の『上杉』は、もともと関東管領だった山内上杉氏の名跡を継いだものです。

つまり、両者とも関東の統治者としての正当性を示す為に『北条』や『上杉』を名乗っているわけです。

北条氏康はもともとは『伊勢氏』ですし、上杉謙信はもともと『長尾氏』です。

しかし、お互いが関東の統治者として譲らなかったため、氏康は謙信のことを『長尾』と呼び、謙信は氏康のことを『伊勢』と呼んでいました。

つまり、お互いが『北条』と『上杉』という名を認めず、関東の正当な統治者は自分であると主張していたわけです。

このような背景からすると、謙信にとってのライバルは信玄よりも氏康だったように感じます。

そして、氏康にとっても、謙信は宿敵だったのではないでしょうか。

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まとめ

以上、北条氏康のエピソードでした。

よく戦国武将で最強は誰か?という議論があります。

最強と言っても、何に重点を置くかで結果は変わりますが、総合的に見て氏康はトップクラスに君臨しているのではないかと、個人的には思っています。

氏康も含め、武田信玄とか毛利元就とか、信長や秀吉よりも上の世代の大名って、戦国大名としての総合的なスケールで、戦国時代後期の大名を上回っているように感じてしまうのは僕だけでしょうか・・・。

甲斐の虎『武田信玄』

越後の龍『上杉謙信』

海道一の弓取り『今川義元』

そして、相模の獅子『北条氏康』

この名将たちが凌ぎを削った戦国中期の関東~中部東海あたりは、戦国時代のでも屈指の激戦区ではなかったかと思っています。

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では、今回はこの辺で。

ありがとうございました。


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