徳川四天王 井伊直政!大河ドラマ『おんな城主直虎』虎松のその後

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『本多忠勝よりも井伊直政派』拓麻呂です。

徳川四天王『井伊直政(いいなおまさ)』

幼名を虎松。

戦国時代が好きな方なら、一度は聞いたことがある名前ではないでしょうか?

真紅の甲冑を身に着け、戦場を駆け巡るその姿は『井伊の赤鬼』と恐れられ、徳川家康の覇業を支えた猛将として後世に語り継がれています。

この直政を育て上げ、立派にな武将に成長させたのが、2017年大河ドラマの主人公『井伊直虎』です。

直政は俳優の菅田将暉さんが演じることが決まってます。

直政は井伊家を語る上では外せない人物であり、大河ドラマでもカッコよく演出されることでしょう。

しかし『おんな城主直虎』では、直政の活躍がどれほど描かれるのか少々疑問に思っています。

と言うのも、直虎の没年は1582年。

そして、直政が元服するのも1582年。

つまり、直政が本領を発揮するのは直虎没後です。

『おんな城主直虎』は直政が活躍する前に話が終わってしまう。

実にもったいないことです。

という事で、今回は『おんな城主直虎』では描かれないであろう『その後の直政』についてご紹介したいと思います。

直虎の意思を継ぎ、そして武田の赤備えを継承した『井伊直政』の活躍に迫ってみましょう。

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徳川四天王『井伊直政』

直政と直虎の関係

前述の通り、直政は徳川家康を支えた『徳川四天王』の一角です。

徳川四天王とは、

本多忠勝(ほんだただかつ)

酒井忠次(さかいただつぐ)

榊原康政(さかきばらやすまさ)

そして井伊直政です。

そんな直政は、どのような生い立ちなのでしょうか?この辺は直虎存命中のことなのでサクッといきます。

直政の養父(直盛)は桶狭間の戦いで討ち取られます。桶狭間は織田信長が今川義元を破った有名な戦いですね。この時、井伊家は今川に味方しています。

その後、実父である直親が織田への裏切りを疑われ処刑されます。

この時、直政わずか2歳・・・

井伊家を相続するには、あまりにも幼すぎる。

そこで直政を育てる為、井伊家の家督を相続したのが直政の養父(直盛)の娘であった井伊直虎です。

直政やっと元服

直虎の熱い教育の元、直政は元服します。

ちなみに元服とは、現在の成人式みたいなもので、大人になる儀式だと思って頂ければ問題ありません。

この時、直政22歳・・・22歳??

遅い!

当時、元服の平均年齢は、だいたい15歳前後です。ちなみに四国の覇者『長宗我部元親』も22歳ころ元服したと言われています。

わずか2歳で早くも家督相続しそうになり、結局22歳での遅い元服というのも直政の面白さです。

ともかくも、いきなり出遅れた直政ですが、この時期に徳川家康の養女を妻に迎え、徳川家の中心人物となっていきます。

時は1582年。

この年に育ての親である直虎が世を去ります。

恐らく『おんな城主直虎』は主要なストーリーはここまでです。

いよいよ、『井伊の赤鬼』と恐れられた井伊直政の大活躍が始まります。

武田の意思を受け継ぐ

1582年、この年は武田信玄で有名な武田家が滅亡した年です。なおこの時の武田家当主は勝頼です。

また、本能寺の変で織田信長が倒れた年でもあります。

このような背景があり、武田家の旧領が空白地帯となった為、その領地を巡った争いが起こります。

武田家旧領の周辺諸国を本拠とする徳川、真田、北条の争い。

これを『天正壬午の乱(てんしょうじんごのらん)』と言います。

結果的に、武田旧領を手中にしたのは徳川家でした。

この時、直政とってその人生を左右する大きな力を手に入れることとなります。

屈強で知られた武田家の遺臣たちが、直政の配下に組み込まれたのです。

ここで少し余談。

これは直政のみならず、徳川家康の覇業にも大きく影響していたと思われます。

武田家の遺臣たちは、武田信玄による『孫子の兵法』を体験してきた精強な男たちです。

家康は三方ヶ原の戦いで、信玄に完膚なきまでに叩きのめされた過去があり、信玄の恐ろしさを十分に知っていました。

武田流軍学を記した『甲陽軍鑑』が江戸初期に流行したのも、このような背景があると思われます。

つまり家康は、武田信玄の軍略に多大な影響を受けており、その遺臣たちを配下に出来たことは、戦国時代を制する大きな原動力になり得たのではないでしょうか。

恐怖の赤備え!小牧・長久手の戦い

1584年

家康と羽柴秀吉の間で争いが起きます。

小牧・長久手(こまき・ながくて)の戦いです。

井伊直政と言えば、真っ赤な甲冑『赤備え』です。

この小牧・長久手の戦いこそ、井伊直政が初めて赤備えで臨んだ合戦なのです。

赤備えは元々武田の代名詞。

飯富虎昌や山県昌景・・・赤備えで名を馳せた武田の猛将の意思を継いだ真紅の部隊。

そんな部隊を率いた直政は小牧・長久手の戦いで秀吉を大いに苦しめます。

武田の魂が乗り移ったかのような井伊直政の赤備えは、この時から彼の代名詞となり、その強さは『井伊の赤鬼』と恐れられるようになっていくのです。

小田原城に唯一攻め入った男!井伊直政

1590年

豊臣秀吉による小田原征伐。

この戦いにより、小田原の北条氏は滅亡し、秀吉の天下統一が成し遂げられます。

この戦いにも徳川軍の一員として直政は参戦していました。

しかし、小田原城は武田信玄や上杉謙信も落とせなかった堅固な城。

秀吉は十万とも言われる大軍で小田原城を包囲し、最終的には奇策を持って北条氏の戦意を挫きこの戦いを制します。

しかし、この包囲戦の最中、夜襲を掛けて唯一小田原城に攻め込んだ男がいたのです。

井伊直政です。

これは『北条五代記』という軍記物語に記されており、史実であるかは分かりません。軍記物語の史料的な価値観は人それぞれですが、合戦の細かい内容は軍記に頼る他ありません。

しかし僕は軍記には『史実』ではなく『真実』が記されていると考えています。

『史実』ではなくとも、その人物の性格や人間性、そして軍記物語で語られる『真実』の元となる伝承があったはずです。

今回の場合、直政が勇猛な人物であったから『小田原城に攻め込んだ』という『真実』が生まれているのではないでしょうか。

まぁ、攻め込んだことを否定する史料もないわけですし・・・。

島津義弘の敵中突破を迎え撃つ!

1600年関ヶ原の戦い。

この合戦、家康軍の先方は『福島正則(ふくしままさのり)』の予定でしたが、直政が先に動いてしまい開戦となりました。

家康率いる東軍は、石田三成率いる西軍(名目上の西軍大将は毛利輝元)を撃破し、天下の趨勢を決定づけます。

しかし、敗走する西軍の中で、最後の最後で家康に牙をむいた部隊があったのです。

島津義弘です。

逃げ道を失った島津はわずか千五百の部隊で、東軍数万の中に突撃してきました。

後世に語り継がれる『島津の退き口』です。

島津軍はわずか千五百、一方家康率いる東軍は数万。数に物を言わせれば、島津軍などあっと言う間に塵に出来る兵力差です。

しかし・・・

島津は先の朝鮮出兵で、恐ろしい強さを見せつけており、その武勇は日本のみならず明(中国)にまで轟いていました。

そんな恐ろしい島津軍の相手なんか誰もしたくありません。

この時、島津軍の追撃したのが井伊直政です。

凄まじい勢いで島津軍を追撃する直政。

勢いあまって追撃しまくった直政は、ほとんど単騎駆けのような状態だったとも言われています。

捨て奸と言われる戦術で、東軍を切り崩していく島津軍、そしてそれを猛追する直政。

その時・・・。

島津軍の放った銃弾が直政の腕に直撃しました。

馬から転げ落ちる直政。

直政の追撃を食い止めた島津軍は、関ケ原の戦場を脱することに成功しました。

直政の最後

関ヶ原の戦いから2年後の1602年、直政はこの世を去ります。

享年41。

関ケ原で島津軍から受けた銃撃、その傷が原因と言われています。

その翌年1603年、徳川家康は江戸幕府を開きます。名実ともに徳川家康の天下がやってきました。

しかし直政は、家康の江戸幕府を見ることなく、この世を去りました。

井伊直虎に立派な井伊家の当主になれるよう教育され、戦国最強との呼び声高き武田の遺臣を率いて、家康の覇業に寄り添い続けた井伊直政。

彼の生涯には、直虎の想い、武田家の意思、そして家康への忠義が詰まっています。

そんなたくさんの想いを秘めて戦場を駆け巡った『井伊の赤鬼』は、現代人の心を熱くさせてくれる存在として、今なお人気を集めているのです。

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さらにその後の井伊家

以上が『おんな城主直虎』では語られないであろう井伊直政の『その後』です。

では、さらにその後の井伊家はどうなったのでしょうか?

『井伊』と言ったら歴史上有名な人がいますね。

大老 井伊直弼(いいなおすけ)です。

彼は幕末に『安政の大獄』を断行したため一部の藩士の恨みを買い、『桜田門外の変』によって命を落とします。

なお、安政の大獄では、有名な吉田松陰先生も処刑されています。

しかし、井伊直弼はあくまで幕府の大老であり、安政の大獄は徳川の世を守ろうとした結果であると見ることも出来ます。

つまり、そこにあるのは直政と同じ『徳川家』に対する忠義。

徳川きっての名将とされる井伊直政、一方、後世のイメージがあまり良くない井伊直弼。

しかし、その想いは直政も直弼も変わりません。

歴史上の人物であっても、僕たちと同じ人間であり日本人です。

そこには感情があり、想いがあります。

そのように歴史を見ることで、あんまり印象の良くない人物も別の見方ができるようになりますよ。

では、今回はこの辺で!ありがとうございました。


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