武田信玄VS上杉謙信!川中島の戦いの勝者はどっちかを簡単解説

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拓麻呂です。

1561年に甲斐の武田信玄と、越後の上杉謙信が激突した『第四次川中島の戦い』

戦国時代屈指の大激戦となった川中島の戦いですが、この合戦の勝者は一体どちらなのでしょうか?

武田、上杉がともに勝ちを主張している第四次川中島の戦い。

今回は、いまひとつ勝敗がハッキリしない第四次川中島合戦の勝者はどちらだったのか、独断で所感を述べてみたいと思います。

※なお、この戦いの段階ではまだ『謙信』と名乗っていませんが、便宜上、一般的な呼称として馴染みのある『上杉謙信』で統一しています。あらかじめご了承ください。

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第四次川中島合戦の勝者と敗者

出典:Wikipediaより

川中島の戦い概要

まずは上杉謙信の動きから見てみましょう。

この戦いで、最終的に戦場から退いたのは上杉謙信です。

山本勘助の発案とされる『啄木鳥の戦法』で、上杉方を挟み撃ちにしようとした武田方ですが、謙信に見破らて失敗します。

上杉軍を挟撃しようと兵を二分していた武田軍。

挟撃を察知し夜陰に紛れて本陣を移動させた上杉軍。

朝霧立ち込める中、謙信率いる上杉全軍が、武田軍の目の前に忽然と現れ驚愕する中で戦いの幕が切って落とされます。

この時、謙信が敷いていた陣形が有名な『車懸かりの陣』です。

『車懸かりの陣』に関しては、様々な解釈がありますが、霧で視界が悪い中、この陣形をみた信玄は、おそらく魚鱗の陣か何かと勘違いしたのでしょう。

魚鱗陣はひと塊で、まとまって突っ込んでくる陣形です。

そして、車懸かりも、その名が示す通り、円形の塊のような陣形であった可能性が高いです。

この円形の先端部を、霧により視界が悪い中で見た信玄は、上杉軍が固まって突っ込んでくるものと思い、自軍を鶴翼の陣に変更したのではと思われます。

とっさの判断で、鶴翼を敷いた判断力は、さすが孫子を究めた武田信玄と言いったところですが、残念ながらこれが裏目に出て、武田軍は鶴翼の両翼から崩されて行きます。

そして、この時に、信玄の本陣目掛けて単騎で突っ込んできた謙信の一刀を、信玄が軍配で受け止めるという名シーンが演じられます。

(史実かどうかは微妙ですが・・・)

戦場に残っていたのは武田信玄

ただでさえ、兵力を二分して数で劣る信玄は、謙信の猛攻に大苦戦します。

このよう中で、武田のNo.2とも言える信玄の弟『武田信繁』、そして挟撃(啄木鳥の戦法)を提案した『山本勘助』、譜代家臣の『室住虎光』など、武田軍は多くの犠牲を払うことになります。

大ピンチに陥った武田軍ですが、ここで二分していた別動隊が駆けつけ、一気に形勢逆転となります。

盛り返した武田軍に対し、今度は上杉軍が押され始め、謙信は撤退を始めます。

結果的には、上杉軍が戦場から退き、武田軍が謙信を追い返したような構図になります。

なので、この戦いだけを見れば、川中島周辺の領有を守り切った信玄が勝ちと言えると思います。

長期的に見た場合は上杉謙信の勝利

このように、この戦いだけ見ると、武田が勝ったような印象を受けます。

しかしながらこれは、最終的に戦場に残っていたのが武田軍だったというだけで、戦の内容を見ると、決して武田の勝ちとは言い切れない部分があります。

どうも信玄は、壊滅的な被害を受けた合戦の後は、その場にとどまり続ける傾向があります。

板垣信方や甘利虎泰が討ち死にして散々な目に合った上田原の戦いの後も、信玄は戦場に留まっています。

これは、敗走して追撃されるのを警戒したためとも言われています。

よく、最終的に戦場を脱したのが上杉だから、武田の勝利とする考えも耳にしますが、僕はそうは思っていません。

なので、戦の後に戦場に残っていたからと言って、勝利とは言い切れない部分もあるのではないでしょうか?

そろそろ結論を言います。

僕は、長期的に見た場合、第四次川中島の戦いにおける勝者は、上杉謙信だと考

まずは、この戦いにおける犠牲者の数です。

武田軍は約4,000人

上杉軍は約3,000人

この犠牲者数は、この当時の合戦における人数としては、ハッキリ言って異常です。

もしかしたら誇張が入っているかもしれませんし、戦国時代の前後期、合戦の規模などにもよりますが、この数は多すぎます。

そして、戦国合戦とは、いかに犠牲を少なく勝利するかが、とても重要です。

犠牲を少なくしたいからこそ、城攻めで降伏を促したり、和平の仲介を朝廷や有力大名に依頼するのです。

この頃は兵農未分離のため、犠牲者の数は国力の低下に直結しまから、犠牲の数をいかに少なく勝利するかが物凄く重要なのです。

さらに、武田軍は一門である弟の信繁や、譜代の室住虎光など、重臣級の武将を失っています。

あまり知られていませんが、他にも信繁の長男『義勝』、信玄の孫『葛山安信』など、多くの一門や重臣クラスを多く亡くしています。

戦国時代は、今より遥かに『家』という概念が重要視されていたので、戦場で一門衆が犠牲になることは避けねばなりません。

一門の犠牲は、家の存続に関わってきます。

一門が減ることは、家の衰退に繋がります。

事実、信繁を失った武田は、この後に安定性を欠き、信玄は長男を自害させたりもしています。

一方の上杉軍を見ると、主だった一門や重臣の犠牲はありません。

3000人と言う犠牲は出しましたが、それでも武田軍よりは少ないです。

確かに、この戦いのだけを見れば、北信濃の領有権を手にした信玄の勝ちです。

そう考える一方で、合戦の犠牲者、そしてその後の歴史を見ると、謙信の勝利ではないかとも考えています。

僕は上杉より武田派なのですが、信玄はいささか合戦で家臣を失いすぎです。

上田原では、板垣信方、甘利虎泰。

戸石崩れでは、横田高松(よこた たかとし)

川中島では、武田信繁、室住虎光、初鹿野忠次。(もしかしたら山本勘助も)

勝頼の時代になり、長篠では山県昌景、内藤昌秀、馬場信春、その他大勢。

そして信玄は跡取り息子の義信を自害させ・・・

結果、武田家は戦国時代を最後まで生き抜くことが出来ませんでした。

一方、上杉は景勝の時代になり、最後までその家名を保ちました。

上杉謙信が生涯通じての戦を見ても、一門や重臣の討ち死には、ほとんど見られません。

川中島だけを見ると勝ったように見える信玄ですが、多くの犠牲を払いすぎた武田家は、日本史と言う歴史の中で見ると敗者の側になってしまうのかなと感じます。

一方で、川中島では負けたように見える謙信は、歴史的には勝者だったのかなと、僕は考えています。

戦国を代表する大激戦

結果的に、川中島の戦いで武田、上杉の勢力図は大して変わりませんでした。

そのような結果であることも影響し、川中島合戦は歴史的にあなり影響のない、単なる一地方の局地戦のような扱いを受けることもあります。

ですが、この戦いは間違いなく戦国史に大きな一石を投じています。

まず、この戦いで、両軍は万単位の軍勢を率いて戦っています。

これだけの数を動員した戦いには、それなりに戦費もかかりますし、双方ともかなり本気で戦に臨んでいることが窺えます。

それなりの見返りが無ければ、膨大な戦費をかけてまで戦などしません。

合戦とは、外交政治の一手段であり、戦国時代と言えども、単なる領土欲だけで、戦がやりたい時にやれるわけでは無いのです。

このような観点からも、川中島の戦いが適当な局地戦ではないことが分かります。

そして、この後、信玄は北への進出を諦め、南下政策を取り始めます。

桶狭間で義元を失った今川家に狙いを定めて行きます。

ですが、信玄は謙信に時間をかけすぎました。

もし、義元が討たれた後、即座に南への侵略を実行していたら、歴史はまた違ったものになっていたかもしれません。

その後の信長の台頭は無かったかもしれません。

個人的に、信玄は戦国時代でも屈指の実力者であったと考えています。

なお、僕は毛利元就と武田信玄を評価しています。

ですが、信玄は謙信のみならず、同世代の強豪たちに囲まれすぎでした。

もちろん上杉謙信、そして北条氏康、今川義元。

元就も、大内義興と尼子経久という大物に囲まれていましたが、彼らは元就よりも世代が上なので、元就の円熟期には世を去っていました。

また、元就は長命を保てたのも功を奏しました。

孫子に学んだ信玄は、軍略課としては超一流です。

しかし信玄は、生まれた時代と場所に恵まれなかったのかもしれません。

そして、家中を支える重臣たちを失いすぎました。

そんな信玄に、唯一天下への扉が開きかけた瞬間。

それが、今川義元が桶狭間に散った直後の状況でした。

駿河への侵攻でした。

もしここで信玄が東海辺りを押さえていたら・・・。

謙信にかまわず、南下政策をとっていたら・・・。

信玄の上洛作戦はもっと早くに行われていたかもしれません。

もう一度言います。

義元が討たれた後、即座に南への侵略を実行していたら、歴史はまた違ったものになっていたかもしれません。

信玄を苦しめ続け、天下への道を遠ざけた上杉謙信。

第四次川中島の戦いとは、信玄の覇業を狂わせた、そしてその後の戦国史を変えた、非常に意味のある一戦だったのではないかと考えています。

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まとめ

以上、第四次川中島合戦の勝者はどっち?でした。

第四次川中島の直後の状況だけを見れば、武田信玄の勝利。

もっと長い目で、その後の歴史を見れば、上杉謙信の勝利。

そして、第四次川中島の戦いとは、武田家の運命を狂わせ、戦国時代の趨勢にも大きな影響を与えた大激戦と言えるのではないでしょうか。

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では、今回はこの辺で!

ありがとうございました。


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