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拓麻呂です。
安政の大獄により、1度は奄美大島へ流罪になった西郷隆盛。
しかし、程なくして今度は沖永良部島へと島流しになります。
そんな西郷さんは、沖永良部島での生活で『敬天愛人(けいてんあいじん)』という思想を持つことになります。
敬天愛人の思想は、この後の西郷さんが生涯に渡り大切にしてきた思想であり、西郷隆盛という人物像を探る上で、絶対に欠かせない思想でもあります。
西郷さんは沖永良部島で、どんな生活を送っていたのか?
なぜ敬天愛人をいう思想を持つに至ったのか?
そして、沖永良部島で出会った『土持政照(つちもち まさてる)』と『川口雪篷(かわぐち せっぽう)』とは?
今回は、西郷さんの沖永良部島での生活と敬天愛人に迫ってみたいと思います。
敬天愛人
出典:国立国会図書館ウェブサイト『近代日本人の肖像』より
島津久光の怒りを買い沖永良部島へ流罪に・・・
大久保利通の尽力も有り、どうにか奄美大島から戻ってくることが出来た西郷さんですが、それから程なくして国父『島津久光』の怒りを買い、今度は沖永良部島へと島流しになります。
なお、西郷さんが島津久光に対して、何をやらかしたかはコチラの記事をご覧ください。

奄美大島では、愛加那との出会いもあり、幸せな生活を送っていた西郷さん。

奄美大島への流罪は、安政の大獄から西郷さんを逃がす意味合いも含まれていたので、そこまで断罪された感じではありませんでした。
しかし、沖永良部島への島流しは、薩摩の国父『島津久光』の逆鱗に触れたことが原因です。
完全に罪人として島流しになります。
西郷さんは、この沖永良部島での生活で、とんでもない苦行を味わうことになります。
苦行・・・沖永良部島での生活
なお、西郷さんは沖永良部島の前に『徳之島』を経由しています。
この徳之島滞在中に、奄美大島の島妻『愛加那』との再会を果たしています。

しかし、この直後に沖永良部島へ流されることになったため、数日間しか一緒にいられませんでした。
奄美大島では愛加那と幸せな毎日を送っていましたが、沖永良部島ではそうは行きませんでした。
わずか2坪の牢屋にぶち込まれた西郷さん。
野ざらしだったため、格子の隙間から風や雨が容赦なく吹き込んできました。
食事も満足に与えられず、排泄物の臭いを強烈なものでした。
でっぷりと肥えていた西郷さんは、そのような環境の中で、みるみる痩せこけて行きました。
西郷さんを助けた土持政照
しかし、衰弱していく西郷さんを見るに見かねた1人の男がいました。
土持政照(つちもち まさてる)です。
土持は、西郷さんの監視役をしていた薩摩の人間です。
衰弱していく西郷さんを気の毒に思った土持は、時折、野菜や魚を差し入れしていました。
しかし、西郷さんは一切手を付けず、さらに痩せ細って行きました。
見かねた土持は、もっと環境の良い牢屋の建設を代官に訴え、これが了承されます。
新しい牢を建設している間、西郷さんは土持の家で生活することになり、衰えた体力を回復させていきます。
土持は、わざと工事を遅らせたりして、西郷さんの回復を待ちました。
その後、新しい牢が完成し、西郷さんは再度牢に放り込まれますが、今度は座敷牢(謹慎中に過ごす狭い家のようなもの)であったため、快適な生活を送ることができたと言われています。
川口雪篷と敬天愛人
このような生活を経験していく中で、西郷さんは『敬天愛人』思想を持つことになります。
この、敬天愛人思想を西郷さんに与えた人物として、欠かせない人物がいます。
川口雪篷(かわぐち せっぽう)です。
実は、川口雪篷も西郷さんと同じく、島津久光の怒りを買い、沖永良部島に流されていた人物です。
雪篷は漢詩に精通した人物でした。
雪篷と関わるうちに、西郷さんは詩に興味を持ち、雪篷から手ほどきを受けるようになりました。
やがて学問にも打ち込むようになり、沖永良部島の子供たちを指導するまでになります。
その中で『敬天愛民』という思想に辿り着き、これが『敬天愛人』へと変化していきます。
なお雪篷は、後に西郷家の居候となり、西郷さんに仕えています。
西郷さんの子供たちにも学問を教え、西郷さんのお墓の墓碑名は、雪篷の筆によるものであると伝わっています。
敬天愛人の持つ意味と西郷さんの行動
このような生活を送る中で、西郷さんが辿り着いた『敬天愛人』。
敬天愛人とは、このような意味を持っています。
天を敬い、天が与えた道を守り、自分を愛し人を愛する
苦しい生活の中で自分と向き合い、土持政照の人情に触れ、そして川口雪篷の教えを受け、敬天愛人の思想は生まれました。
西郷さんは、この言葉が示す通り、敬天愛人の信念を持って倒幕に突き進んで行きます。
この敬天愛人思想こそ、西郷さんが日本史上屈指の尊敬を集める要因であろうと思います。
自分の利益だけでなく、常に相手がどうであるかを考えた西郷隆盛。
私利私欲が無く、常に相手を思いやる心を持っていた西郷さん。
この精神があったからこそ、西郷さんは西南戦争の大将に担ぎ上げられてしまったようにも感じます。
しかしながら、敬天愛人の精神は、現代人が忘れてしまった、人として一番大事な精神でもあるのではないでしょうか。
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では、今回はこの辺で!
ありがとうございました。