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拓麻呂です。
日本の神話や、古代日本の歴史を今に伝える『古事記』と『日本書紀』。
似たような内容が書かれている二つの歴史書ですが、書かれた時期はどっちが古いのでしょうか?
また、誰が書いたのでしょうか?
古事記と日本書紀の基本的な相違点をお伝えしていきます。
目次
古事記と日本書紀はどっちが古い?
古事記と日本書紀が書かれた時期は?
古事記と日本書紀が書かれた時期は、ともに奈良時代です。
古事記が『和銅5年(712年)』に完成。
日本書紀が『養老4年(720年)』に完成しています。
つまり、編纂時期には8年の開きがあり、古事記の方が古いことになります。
2012年に古事記編纂1300年として、日本神話や日本の成り立ちが注目されたのは、記憶に新しいところです。
また、2020年は日本書紀が編纂1300年を迎えます。
東京オリンピックだけではなく、ぜひコチラにも注目して頂ければなと想います。
古事記と日本書紀の編纂者は?
古事記と日本書紀は、それぞれ別の人物が書いていますが、その編纂を命じたのは同一人物です。
第40代 天武天皇です。
天武天皇の意向により、古来から伝わる日本の歴史や神話が、ひとつにまとめられることになったのです。
古事記を書いた人
古事記を執筆したのは『太安万侶(おおのやすまろ)』という当時の貴族です。
この時代に伝わっていた神話の類は記録がなく、全て口伝でした。
全国各地に口伝で継承されていた神話を『稗田阿礼(ひえだのあれ)』という、ずば抜けた記憶力の持ち主が全て暗記しました。
そして、稗田阿礼が暗記した内容を口頭で太安万侶に伝え、それを聞きながら執筆したと伝わっています。
なお、当時の日本には文字が存在していませんでした。
そこで太安万侶が発明したのが、万葉仮名の原型、つまり現代日本人が当たり前のように使っている『ひらがな』の原型なのです。

日本書紀を書いた人
一方、日本書紀を編纂したのは『舎人親王(とねりしんのう)』を中心とした、当時の皇族たちです。
舎人親王は、天武天皇の子供です。
舎人親王とは、今で言う官僚みたいな人で、つまり政府の役人です。
そういった政府の役人たちが集まって編纂したのが日本書紀です。
なので、物語性に富んだ古事記に比べ、日本書紀は記録的な意味合いが強く、娯楽性には著しく欠けています。
また、日本書紀は漢文で書かれており、当時の世界の中心であった大陸(現在の中国)の人たちも読むことができました。
現代で例えるなら、古事記は日本語で書かれているのに対し、日本書紀は英語で書かれているようなものです。
これには、編纂方針の違いが大きく影響しており、現代でも古事記の方が普及していることにも関係しています。
↓この辺の事情に関しては、コチラで解説しています。↓

内容の違いなども詳しく解説していますので、ぜひご覧になってみてください。
読むならどっちがオススメ?
このように、いろいろと違いがある古事記と日本書紀ですが、実際に読んでみるとしたら、どっちがオススメなのでしょうか?
これは、前述の通り、物語性に富み、楽しく読むことができる古事記に軍配が上がります。
むしろ、いきなり日本書紀は、あまりオススメできません。
もし、日本書紀にチャレンジしたいという方は、まずは基本となる部分を知ってから読み始めるのが良いですね。
まとめ
以上、古事記と日本書紀の書かれた時期、編纂者についてでした。
編纂時期は、古事記が『和銅5年(712年)』、日本書紀が『養老4年(720年)』。
編纂者は、古事記が『太安万侶』と『稗田阿礼』、日本書紀が『舎人親王』と中心とした当時の役人たち。
ということになるのでした。
古事記と日本書紀の終わり方の違いに次いでは、コチラの記事をご覧ください。

では、今回はこの辺で!
ありがとうございました。