秀才!久坂玄瑞!禁門の変(蛤御門の変)に散った長州藩の志

ご来訪ありがとうございます。

拓麻呂です。

幕末の長州藩と言えば誰を思い浮かべますか?

高杉晋作?

吉田松陰?

桂小五郎?

伊藤博文?

一般的な知名度は、この4名には劣るかもしれませんが、幕末長州を語る上で絶対に外せない人物がもう一人存在します。

久坂玄瑞(くさか げんずい)です。

高杉晋作と並び、松下村塾の双璧を成した人物です。

長州藩と言えば『攘夷』の急先鋒のような藩ですが、その中でも代表的なのが久坂玄瑞です。

今回は、吉田松陰にその才能を認められた男『久坂玄瑞』の志に迫ります。

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秀才!久坂玄瑞

出典:Wikipediaより

万能なイケメン男子

若き秀才『久坂玄瑞』

容姿端麗で文武両道、声は大きく美声、身長は180センチを超えていたと言います。

さらに医者の息子です。

もはや、モテる要素しか持っていないような色男

それが久坂玄瑞です。

久坂玄瑞は、久坂家の三男坊として生まれました。

そんな久坂は、14歳~15歳の頃に、両親と兄を一気に亡くしています。

わずか1年で、きなり天涯孤独となった久坂。

医者の家を継ぐことになり、この頃から『玄瑞』と名乗るようになります。

(元々は久坂秀三郎という名前)

その後、九州へ遊学していた久坂は、熊本で宮部鼎蔵(みやべ ていぞう)に出会い松下村塾への入塾を強く勧められます

久坂の運命を大きく変えることになる松下村塾への入塾。

師となる吉田松陰との出会いは、なかなか過激なものでした・・・

松陰先生との手紙が大炎上

萩に戻ってきた久坂は、吉田松陰に宛てて手紙をしたためます。

この松陰先生との手紙のやりとりが、大炎上します。

なお、手紙の内容は『攘夷』というキーワードが前提となっています。

『攘夷』の意味を理解していると、より手紙のやりとりが面白くなりますので、攘夷の意味を知りたい方はコチラをご覧ください。

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まずは、久坂が送った手紙の内容を現代風の言葉に置き換えて見てみましょう。

鎌倉時代の元寇(モンゴルが日本に襲来した事件)の時のように、外国からの使者は斬るべきである!

そうすれば、外国は必ず来襲する。

その時こそ、日本の武士たちが奮起し、国を守ることになるでしょう。

松陰先生は攘夷論者でだったので、久坂としては当然賛同してもらえるものと思っていました。

しかし、松陰先生からは、意外な手紙が返ってきました。

あなたの意見は、浮ついていて思慮が浅い。

誠実な心から発する言葉ではない。

つまらない迷言を発していないで、誠実な心を持ちなさい。

なかなか激しいことを言われてしまった久坂。

この返事に対し久坂は激高し、すぐさま筆を執りました。

欧米列強の強大さは昔の朝鮮とは比較にならない。

このまま何もせず、日本が滅びるのを待つだけで良いのですか?

まずは国の守りを固めるべきだ!

宮部鼎蔵さんは、あなたを称賛しており、私もそう思ってましたが、とんだ思い違いだったようです。

久坂も負けていません。

この手紙に、松陰先生は1ヶ月の間隔をおいて、またしても激しい返事を送りました。

すでに幕府は諸外国を条約を結んでいるので、こちらから条約を破棄する訳にはいかない。

外国と関係を持ちながら国力を蓄え、アジア各国と手を結び列強に対峙するのが良い。

あなたの意見は何一つ実践に基づいていない。

机上の空論である。

この返事に対しても、久坂は食い下がります。

現状維持ばかりで武器の備えはいつするのか?

士気はいつ高まるのか?

誰がやるのか?

松陰先生はこの手紙に対する返事で、急に物腰が柔らかくなります。

空論と言ったのは私の間違いでした。

今からでも攘夷を実践してほしい。

私の才能は、あなたには到底かなわない。

私もかつて異国人を斬ろうと思ったが、実行はしなかった。

私のようにならない為に、ぜひとも実行に移してほしい。

最後は松陰先生が、久坂に対し行動を促す形で決着しますが、久坂にとっては外人を斬る手段が無く、実行は出来ませんでした。

この手紙のやりとりを通じ、久坂は松下村塾に入塾することになります。

実はこのやり取り、松陰先生の久坂に対する想いが込められています。

松陰先生が土屋蕭海(つちや しょうかい)という人物に宛てた手紙で、こう述べています。

久坂玄瑞の士気は並大抵ではない。

なんとか物にしようと、あえて反論した。

松陰先生は久坂の才能を見抜き、攘夷を実践できる若者として大きな期待があったからこそ、あえて辛辣な手紙を送っていたのでした。

禁門の変に散る

松下村塾に入塾した久坂は、高杉晋作らとともに英国公使館の焼き討ちするなど、着実に攘夷を実行していきました。

やがて幕末は大きなうねりを迎えます。

攘夷を唱えていた長州藩は幕府との政争に敗れ、『八月十八日の政変』、『池田屋事件』を経て、政治の表舞台から遠ざけられていきます。

八月十八日の政変と池田屋事件の詳細はコチラの記事をご覧ください。

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状況の打開を図った長州は、兵を率いて京に上って攘夷を天皇に直訴するという強硬策を実行。

久坂は当初、無謀であることを理由に上京に反対していましたが、強硬派の来島又兵衛に『医者に戦の何がわかるか!』と侮辱されてしまいます。

こう言われては久坂も黙っている訳にいかず、やむなく従うことになります。

禁門の変(蛤御門の変)の始まりです。

長州藩は京都御所の蛤御門に攻めかかります。

対するは『松平容保(まつだいら かたもり)』率いる会津藩。

なおこの時に、長州藩が御所に向かって発砲した為、後に朝敵となり危機的状況に陥ります。

長州藩は善戦しますが、会津藩に『西郷隆盛』率いる薩摩藩が加勢。

長州は一気に劣勢となり、来島又兵衛は被弾し、もはやこれまでと自決します。

総崩れとなった長州藩。

この時、遅れて到着した久坂は状況を打開する為、公家の『鷹司輔煕(たかつかさ すけひろ)』の邸宅に侵入し朝廷への参内を嘆願しますが、鷹司はこれを拒否し邸宅から逃げ出してしまいます。

その時・・・

鷹司邸が炎上。

業火に囲まれてしまった久坂は、同行していた松下村塾の門下生『寺島忠三郎』とともに自刃。

享年24

吉田松陰から将来を期待された秀才は、若くしてこの世を去りました。

久坂玄瑞の評価

非業の最後を遂げた久坂は同時代の有名人からも高く評価されています。

久坂玄瑞は幼少より学びを好み、剛勇な気性際立って優れ、いかなる場合も俗見に随わず、慨然として天下の志を有していた。

~木戸孝允~

久坂先生が今も生きて居られたら、お互いに参議だなどと言って威張ってはいられませんがなぁ。

~西郷隆盛~

第一卓見なる者を久坂玄瑞という。この人かつて吉田松陰の門弟にして、英学も少々仕り、夷情も知る。

~中岡慎太郎~

このように、各藩の実力者からも高く評価されていた久坂。

もし、彼がもっと長生きしていたら、明治維新は違った流れになっていたかもしれません。

久坂の師である吉田松陰は、門下生たちに『命の使いどころを誤るな』と説いていました。

松陰先生はじめ、松下村塾というと、後先考えない鉄砲玉のようなイメージが先行しがちですが、決してそんなことはありません。

高杉晋作が功山寺決起で命を使い切ろうとしたように、久坂にとっては禁門の変が『命の使いどころ』だったのかもしれません。

禁門の変では、久坂を始め入江九一(いりえ くいち)など、多くの松下村塾生が亡くなりました。

松陰先生の教えを守り、多くの門下生が、ここが命の使いどころと見定めていたのかもしれません。

最後に松陰先生が久坂に贈った最高の賛辞をご紹介します。

久坂玄瑞は防長における年少第一流の人物で、無論、天下一の英才である。

~吉田松陰~

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その時、高杉晋作は・・・

久坂と並び、松下村塾の双璧と言われる高杉晋作。

実は、高杉は禁門の変に参加していません。

では、禁門の変が起こった時、高杉は何をしていたのでしょうか?

この時、高杉は獄中にいました。

長州藩が京に進軍しようとした際、久坂と同様、高杉も反対派だったのですが、出兵が実行されてしまいました。

進軍を取りやめにする為、来島又兵衛などを諭すため、藩を飛び出した高杉は、脱藩したと勘違いされ捕縛、獄中に放り込まれていたのでした・・・・。

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では、今回はこの辺で!

ありがとうございました。

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