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『清少納言に恋した男』拓麻呂でございます。
世界最古の女流随筆集と言われる枕草子。作者は清少納言。
枕草子では清少納言が感じたことや、当時の宮中での出来事が記されています。では、清少納言はどのような想いで枕草子を書き続けていたのでしょうか?
一見すると単純に思ったこと、頭にきたこと、日常の風景を書き連ねたようにも思えます。
中でも彼女が仕えた中宮定子に関する記事は、清少納言と定子の笑い声が聞こえてくるような、底抜けに明るく華やかな日常が描かれています。

清少納言は、美くしく知的で時に冗談を言う定子様に強い憧れを抱き、誠心誠意お仕えしていました。これは枕草子の内容からしても間違いありません。
では、枕草子とは憧れの定子様と過ごした、単なる楽しい日記なのでしょうか?
違います。
枕草子とは、清少納言の悲しみによって生み出されています。
大好きだった定子様を襲った悲劇・・・その悲しみの反動によって、楽しかった想い出は一層の輝きを放ち、枕草子に記されているのです。
ここに枕草子の本質があります。
憧れの定子様に降りかかる悲劇・・・彼女に認められ側近くで仕えた清少納言は、その一部始終を見ていました。
枕草子の核心に迫るには、この背景を理解する必要があります。
清少納言が枕草子に込めた本当の想いとは何だったのか?今回は華やかさの裏に隠された、清少納言と中宮定子の悲しい現実を見ていきたいと思います。
目次
~枕草子に隠された背景~
逆風が吹き始めた中宮定子の王朝サロン
定子様は一条天皇のお后様として、楽しい毎日を過ごしていました。そんな定子様にお仕えしていた清少納言もまた、華やかで雅な宮廷生活を送っていました。
この二人がお互いを認め合う相思相愛な間柄であったこと、そして定子様と清少納言の周辺が、いつも笑いと活気に満ちていたことは、枕草子が記す通りです。
しかし、そんな華やかな宮廷生活は長くは続きませんでした。
定子様の父『藤原道隆(ふじわらのみちたか)』。この当時、道隆は関白に就いていました。なお道隆一族の事を『中関白家(なかのかんぱくけ)』と言います。
定子様は、天皇に次ぐ『関白』と言う地位を持つ道隆の強大な後ろ盾を持っていたことになります。
しかし、この道隆が突然この世を去ります。これが定子様に襲い掛かる悲劇の始まりでした。
定子様は宮廷における、強大な後ろ盾を失ってしまいました。
御堂関白『藤原道長』の台頭
藤原道長(ふじわらのみちなが)。
日本史に数多く登場する藤原氏の中でも、最も有名な人物ではないでしょうか?摂関政治で知られるこの藤原道長は、道隆の弟に当たります。
関白である定子様の父『道隆』が世を去ったことで、次期関白の座をかけた政争が起こります。
定子様の兄に当たる『藤原伊周(これちか)』
関白の座を巡って勃発した伊周と道長の権力闘争。
狡猾な道長は『長徳の変』と言う伊周(と弟の隆家)が起こした事件を政治利用します。※話の本筋から逸れるので長徳の変の詳細は割愛します。
伊周兄弟による長徳の変は大きな政治問題へと発展しました。ここに漬け込んだ藤原道長は、徐々に伊周兄弟を政治の表舞台から遠ざけていきます。
結果的に、伊周兄弟は京都から追放・・・定子様は兄の後ろ盾をも失うことになりました。
定子様を愛し続けた一条天皇
この後も定子様の身辺は悲劇に見舞われ続けました。
実家が火災により全焼・・・母の逝去・・・
身内を次々と失い、実家も失った定子様。彼女はついに仏門に入ってしまいました。つまり出家です。
しかし、夫である一条天皇の熱烈な呼びかけに応じ、定子様は宮廷に戻ってきます。後ろ盾を失い、追い詰められた定子様でしたが一条天皇だけは、彼女の味方であり続けました。
その後、一条天皇と定子様は子宝に恵まれます(正確には二人目の子供)。定子様にとって、明るい未来が見え始めた瞬間でした。
ところが、この明るい未来に水を差す男がいたのです・・・藤原道長、またしてもこの男です。
輝きを失った定子様の王朝サロン
道長は、光が見え始めた定子様を再び闇に突き落とします。
彰子様の入内です。
彰子様は道長の娘。権力を我が物にしたい道長は、自身の娘を一条天皇に嫁がせるという暴挙に出ました。
これにより、天皇が二人の后を持つという異常事態。これが定子様を没落させる決定打となってしまうのです。
藤原道長という強力な後ろ盾を持つ彰子様、一方で身内を失いほとんど後ろ盾の無い定子様。結果は火を見るよりも明らか・・・定子様の居場所は徐々に無くなっていきました。
身内を失い、実家を失い、そして居場所すらも失ってしまった定子様。
そんな彼女は、一条天皇との間に三人目の子供を授かります。再び明るい未来が開けかけました。しかし・・・
定子様は、失意の内にこの世を去ってしまうのです。享年二十四・・
最後の出産が原因と言われています。
出産と言う明るい未来が目の前にありながら、定子様は最大の悲劇に襲われてしまったのです。
憧れの存在だった定子様が追い詰められていくその一連の悲劇を、清少納言は全て見てしまいました・・・
清少納言にも及んだ政争の火の粉
このような中、清少納言自身も悲劇に見舞われます。
彼女は藤原道長との内通を疑われてしまうのです。
定子様を慕い続けた彼女は身に覚えのない疑いを向けられ、大きな屈辱を味わいました。
清少納言はこの一時期、宮仕えを辞め、実家に帰っています。
そして枕草子とは、清少納言が実家に帰った時に書き始められています。
枕草子執筆の背景には、このような定子様と清少納言を巻き込んだ政治情勢が大きく影響しているのです。
~清少納言が枕草子に込めた渾身の想いとは~
定子様と過ごした華やかで楽しかった想い出。
そして定子様が権力闘争の犠牲となり、追い詰められていく現実・・・
枕草子には、定子様が没落していく様子、そして旅立たれた後のことは一切書かれていません。この辛く悲しい現実を払いのけるように、とにかく明るく、そして華やかに定子様との思い出が書き記されています。
悲しい現実・・しかし、そんな陰気な様子は一切表に出していないのです。
これこそが枕草子の持つ本質なのです。
清少納言は、定子様が旅立たれたことをキッカケに宮廷への出仕を辞めたと言われています。慕い続けた定子様のいない宮廷に価値を見出せなかったのかもしれません。
定子様に仕えた数年間は、清少納言という平安時代に生きた一人の女性が最高に輝いた瞬間でした。
定子様と一緒に過ごした想い出は清少納言にとって、本当に大切な宝物だったのかもしれません。だからこそ、定子様の悲しい姿は書き残すことが出来なかったのではないでしょうか。
そして、もうひとつ非常に重要な事があります。
枕草子が書かれた真っ白な冊子は、定子様から授かったものであるということ。

清少納言はこの定子様から頂いた冊子に、明るく楽しかった想い出を書き残し、読んで頂こうとしていたのかもしれません。悲しみに暮れる定子様を少しでも勇気付けようと・・・
実際、この枕草子を定子様が目にしたのかはよく分かりません。しかし、定子様へ捧げる為に書かれていた事実に疑いの余地はないでしょう。
清少納言が悲しみを振り払う為に、明るく華やかな想い出だけを切り取った枕草子。
枕草子を読む時は、この事実を絶対に忘れないでください。そして、この古典から聞こえてくる定子様と清少納言の笑い声に耳を傾けてみてください。
清少納言が枕草子で本当に伝えたかったことが、あなたの耳にも聞こえてくることでしょう。
枕草子の背景をさらに深く知りたい方はこちらをご覧ください。

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では、今回はこの辺で!ありがとうございました。