松永久秀の人物像と壮絶な最期!名茶器 平蜘蛛とともに大爆死

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戦国時代と戦国武将

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拓麻呂です。

 

戦国武将『松永久秀』

 

もともとは畿内を制した三好長慶(みよし ながよし)の家臣。

長慶が亡くなった後は、実質的に三好家を支配。

織田信長からは『常人では絶対に出来ない悪事を3つも実行した人物』と言わしめた人物です。(3つの悪事とは、三好家の乗っ取り、将軍暗殺、東大寺大仏殿の焼き討ち)

 

また、斎藤道三、宇喜多直家と並び『戦国三大梟雄』の一人にも数えられています。

 

そんな久秀の、戦国時代でも珍しい壮絶な最期をお伝えしていきます。

 

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梟雄 松永久秀

信長に気に入られる久秀

久秀は名物茶器を多く所有していたことでも知られています。

 

織田信長によって、三好家が押され始めると、久秀はいち早く信長に寝返りました。

その際、所有していた名物茶器のひとつ『九十九髪茄子(つくもなす)』を信長に献上しています。

このプレゼントは、信長をたいそう喜ばせたと伝わっています。

 

とは言え、ずっと織田家に臣従していたわけではなく、裏切ったりを繰り返していました。

 

基本的に信長って、裏切り者や、敵対を続ける勢力に対しては、非常に厳しい態度で臨んでいます。

しかし、久秀には甘い対応が多く、複数回に渡り帰参を許されています。

もしかしたら、信長から非常に気に入られていたのかもしれません。

 

壮絶な最期

何度も信長に背いた為、ついに久秀の居城『信貴山城』は包囲されてしまいました。

 

信貴山城に立てこもっていた久秀の傍らには、名器コレクションのひとつ『平蜘蛛(ひらぐも)』と呼ばれた茶釜がありました。

コレクションの中でも、久秀の一番のお気に入りです。

 

平蜘蛛は、当代きっての名器とされ、茶器愛好家でもあった信長は、平蜘蛛を城外へ出し、自信の手渡すよう命じます。

 

しかし、久秀は応じませんでした。

自身の頭にお灸をすえ、平蜘蛛に大量の火薬を詰めこんだ久秀は天守に火を放ちます。

 

もはや爆薬と化した平蜘蛛は大爆発。

久秀は名器 平蜘蛛とともに、信貴山城の天守閣もろとも吹っ飛びました。

 

久秀は信長のお気に入り?

 

久秀が最後に包囲された時、越後の上杉謙信が上洛の動きを見せていました。

結局は北条氏に背後を突かれ、実現しなかったのですが、久秀の動きは上杉謙信に呼応したものでした。

 

このような、明らかな裏切りであったにも関わらず、信長は久秀を諦めていませんでした。

 

『謀反の理由を教えよ』

『平蜘蛛を差し出せが、命を助ける』

などと言ったように、再三使者を送り、説得を試みています。

 

久秀は、13代将軍 足利義輝を亡き者にしています。

信長は、15代将軍 足利義昭を追放しています。

 

やり方は違いますが、双方ともに京から将軍を追い、自身が飛躍しています。

 

あるいは、久秀は東大寺大仏殿を焼き討ちしています。

一方、信長は比叡山延暦寺を焼き討ちしています。

 

このように、どこか似たところがある松永久秀と織田信長。

久秀がやったようなことを、後年の信長が踏襲してます。

 

久秀の破天荒な部分に、信長は憧れに似た親近感を持っていたのかもしれませんね。

 

まとめ

以上、松永久秀の最期でした。

 

戦国時代には、個性的な武将が数多く登場しますが、その中でも松永久秀は傑出した個性の持ち主です。

 

悪行ばかりが注目されがちな人物ですが、彼はあくまで敗者です。

もし久秀が勝者の立場であったなら、信長と同様、畏敬の対象として名を残していたかもしれませんね。

 

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では、今回はこの辺で!

ありがとうございました。