坂本龍馬は明智光秀の子孫だった?二人の意外な関係とは?

人物のエピソード

ご来訪ありがとうございます。

拓麻呂です。

 

本能寺の変で織田信長を自害させ歴史を変えた戦国武将『明智光秀』

薩長同盟を成功へと導き明治維新を実現させた幕末の志士『坂本龍馬』

 

生きた時代が約300年違う二人の間に、意外な関係があったことをご存じでしょうか?

一説によると、坂本龍馬は明智光秀の子孫だったと言われています。

 

この説は、はたして本当なのか?

『龍馬は光秀の子孫説』を検証します。

 

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坂本龍馬は明智光秀の子孫だった??

光秀と龍馬の共通点

まずは、光秀と龍馬の関係性を後押しする、二人の共通点を見ていきます。

  • 光秀の居城は『坂本城』
  • 龍馬の苗字は『坂本』

 

  • 光秀が大活躍した丹波攻略戦で拠点にした城が『亀山城』
  • 龍馬が設立した商社の名前が『亀山社中』

 

  • 光秀の家紋は『水色桔梗紋』
  • 龍馬の家紋は『組合角に桔梗紋』

 

『坂本』と『亀山』というワード、そして共に『家紋が桔梗紋』であったこと。

これらが、二人を結びつける共通点です。

 

しかし、これだけだったらただの偶然かもしれませんし、一種の都市伝説的なオカルト話と大して変わりません。

なので、さらに深堀をしていきます。

 

『龍馬は光秀の末裔説』の出どころ

龍馬が光秀の末裔である。

この説はいつ頃から囁かれ始めたものなのでしょうか?

 

その起源は意外と新しく、龍馬が近江屋で襲撃され亡くなってからです。

明治16年(1883年)に『汗血千里駒(かんけつせんりこま)』なる、龍馬を主人公にした小説です。

小説ではありますが、伝記として書かれているので、史実を元にしています。

作者は『坂崎紫瀾(さかざき しらん)』という、土佐出身のジャーナリスト。

土佐と言えば、現在の高知県で龍馬の出身地でもあります。

 

そして『汗血千里駒(かんけつせんりこま)』の中に、こんな記述があります。

現代語で簡潔にお伝えします。

明智左馬之助が、坂本城落城後に坂本姓に改め、土佐(高知県)に移住してきた。

 

ここに登場する『明智左馬之助』は、かなり謎の多い武将ですが、光秀の娘を娶った明智家の重臣です。

一般的には『明智秀満』の名で知られています(汗血千里駒では『明智左馬之助光俊』の名で登場する)

光秀の重臣 明智秀満!馬に乗って琵琶湖を渡る伝説の湖水渡りとは
...

 

なお、僕は未見なのですが、高知県南国市に坂本氏(元明智氏)が住んでいたとされる館跡があり、そこの墓石にこう書いてあるそうです。

コチラも代語で簡潔にお伝えします。

坂本家の初代は、坂本城落城後に長宗我部元親(ちょうそかべ もとちか)に仕え、その父は明智左馬之助と伝わっている。

 

つまり、光秀の重臣である左馬之助(秀満)の息子が坂本家の初代当主で、四国を席巻した長宗我部氏の家臣だったということになります。

左馬之助自身は、光秀と血は繋がっていませんが、光秀の娘を妻に迎えているので、坂本家初代となる息子は光秀の母方の孫にあたります。

つまり、この坂本家の末裔である坂本龍馬は、明智光秀の子孫ということになるのです。

 

長宗我部元親と本能寺の変の動機

これが、龍馬が光秀の子孫だったとする説の根拠です。

真偽のほどは定かではありませんが、こういったミステリーも歴史の面白さなのかなと思います。

 

そして、最後にもうひとつ。

日本史最大のミステリーとも言える『本能寺の変の動機』です。

様々な説が錯綜し、今なお決着を見ていませんが、昨今注目されているのが『四国攻め回避説』です。

↓四国攻め回避説の詳細はコチラ↓

明智光秀が本能寺の変を決断した理由と真実!織田信長の四国攻めに見る悲しき想い
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長宗我部元親は、土佐出身の戦国武将で四国をほとんど制圧した大大名です。

明智左馬之助が、長宗我部元親の家臣になったという説を信じるならば、ここでも光秀と四国が深く関わっています。

 

長宗我部家は、関ケ原の戦いで没落し、大阪夏の陣で豊臣方に与した元親の四男『盛親』が処刑され滅亡しました。

長宗我部家の後に土佐にやってきたのが山内一豊

 

山内家は長宗我部の旧臣たちを『郷士(ごうし)』と呼び、山内家のもともとの家臣たちより低い身分として扱いました。

この郷士の身分から出発したのが坂本龍馬です。

明智左馬之助が長宗我部家に仕えていたとするならば、ここでも辻褄が合ってきます。

 

明智光秀と坂本龍馬。

坂本龍馬は本当に明智光秀の子孫だったのか?

あなたはどう思いますか?

 

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まとめ

以上、坂本龍馬は明智光秀の子孫だった!?でした。

 

明智家と坂本家が、本当に血の繋がりがあったのかどうか?

今となっては想像に頼るしかありません。

個人的には、光秀と四国(長宗我部家)が密接な関係にあったことは間違いないので、こういった伝承が残る素地はあったのかなと思います。

 

 

明智光秀の性格や人物像、本能寺の変についてなどの記事を扱っています。

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では、今回はこの辺で!

ありがとうございました。