日本は建国何年目?日本はいつ出来たか謎だからこそ素晴らしい!

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日本のこと

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拓麻呂です。

 

僕たちの暮らす日本。この日本が、現存する最古の国であるという事実は、意外と知られていません。

『日本』は現存する世界最古の国!二千年の歴史を持つ日本の真実!
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しかしながら、日本の始まりに関しては様々な説があり、明確な答えは出ていません。では、現在に続く日本建国の瞬間は、一体いつなのでしょうか?

 

今回は3つの説を取り上げ、ご紹介します。

  1. 神武天皇ご即位
  2. 前方後円墳の広がり
  3. 継体天皇ご即位

 

※今回の記事ですが、各所に様々な説が存在しており否定的な見解があることをご理解の上お読みください。様々な説に触れて歴史を楽しむ事を趣旨としておりますので何卒ご容赦ください。

 

 

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最古の国の定義

本題に入る前に、最古の国である定義をハッキリさせておきましょう。

 

その定義とは、『ひとつの王朝が断絶することなく続いている期間』とします。

つまり現在の天皇陛下のご先祖様は、いつから『天皇』として日本の頂点に君臨していらっしゃるのか、という事です。

 

それでは日本誕生の瞬間を目撃する為、今から約1500年前~2600年前にタイムスリップしてみましょう。

 

 

①初代 神武天皇ご即位 約2600年前

まずは、この説から。最古の国の根拠としては、最も古い説ではないでしょうか。

 

古事記によりますと、橿原宮(かしはらのみや)という場所で、初めて天皇にご即位したのが神武天皇。この初代神武天皇のご即位によって、日本が建国されたという説です。

 

これが約2600年前の出来事と言われています。

 

しかしながら、この説には様々な反論があります。

 

一例をあげますと

・神武天皇は神話世界の存在である。(神武東征伝説)

・二代~九代天皇の事績がほとんど伝わっていない(これを欠史八代と言います)

・初代神武天皇と十代崇神天皇のお名前が共に『ハツクニシラススメラミコト』である。よって神武天皇と崇神天皇は同一人物ではないか。

 

などなど。どちらの見解も頷けます。

 

では次の説を見てみましょう。

 

 

②前方後円墳の出現 約2000年前

およそ三世紀中頃から六世紀頃まで前方後円墳が全国各地に出現します。歴史の教科書にも出てくる鍵穴のような形をしたお墓。古墳です。

 

特に大型の古墳は大王(おおきみ)、現在の天皇の祖先にあたる方のお墓とされています。

 

この前方後円墳の広がりが、日本に統一王朝が成立したとする説。歴史っぽい言い方をすると『ヤマト政権の成立』。

 

特に五世紀頃には、数百メートル級の巨大な前方後円墳が作られていますが、最初に出現した巨大古墳が奈良県にある『箸墓(はしはか)古墳』。この箸墓古墳は邪馬台国の女王『卑弥呼』の墓とも言われています。

 

卑弥呼は西暦247年頃にこの世を去ったとされているので、3世紀前後には一定地域を支配した国が成立していたと考えるのが、この説の根拠となります。

 

はっきりした年代が難しいですが、おおよそ2000年~1800年前と見れば良いでしょう。

 

 

③継体天皇のご即位 約1500年前

第二十五代 武烈(ぶれつ)天皇。

第二十六代 継体(けいたい)天皇。

このお二方の皇位継承時に、王朝の断絶があったのではないかと説があります。

 

まずは皇位継承時のエピソードを簡単に説明すると以下のようになります。

 

日本書紀によると武烈天皇は暴君だったとされており、大変気性の荒いお方でした。

 

なお、武烈天皇には跡継ぎがいませんでした。そこで武烈天皇が崩御された後に、皇位についたのが継体天皇。

 

ところがこの継体天皇は越の国(現在の福井県辺り)にいらっしゃった遠い親戚でした(十五代応神天皇の五世の子孫)。

 

 

このエピソードでひっかかる部分はふたつ。

・武烈天皇は暴君だった

・継体天皇は遠い親戚

 

 

武烈天皇は暴君であったという事について

ちょいと小難しい話になりますが、ご容赦ください。

 

例えば中国という国は王朝交代の歴史をたどっています。つまり前の国を滅ぼし、新たな国が成立する。この繰り返しです。

 

中国大陸には秦、隋、唐、宋、元、明、清など様々な国が存在してきました。

 

基本的に新たな国が成立すると、以前の国の王は悪者、つまり暴君とされるのが一般的です。

 

『前の王様が悪者だったから、その国を倒して新たな国をつくった』こうする事で、新たな国の正当性が担保されるのです。

この王朝交代の理論を易姓革命(えきせいかくめい)と言います。

 

つまり武烈天皇は暴君でだったので、易姓革命の理論が当てはまるという考え方です。

 

 

継体天皇は遠い親戚であることについて

結論から言いますと、暴君である武烈天皇を倒し新たな王朝(国)を成立させたのが継体天皇。天皇家の遠い親戚というのは捏造であり、本当はこの皇位継承時に易姓革命が起こったのではないか?という説です。

 

確かに「武烈」という名称は荒々しさを感じさせますし、「継体」という名称はいかにも国を受け継いだというような感じです。

 

ともかくも、この説には賛否ありますし、捉え方は人ぞれぞれです。正しいとも誤っているとも言えません。何しろこの頃の日本にはまだ文字が無く、記録による歴史が残されていません。

考古学の成果や、中国の文献、あるいは後に成立する古事記や日本書紀から推察するしかないのです。

 

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建国がいつだか謎なことは素晴らしい

以上、日本は建国何年目?でした。

 

このように日本の成立には様々な説があり、明確な答えは出ていません。僕はどの説を支持するかと言いますと・・・

 

わかりませんっ!!

 

信じたいのは神武天皇のご即位ですが、妥当なところだとヤマト政権(前方後円墳)の成立ころかな、と思ってます。

 

しかしながら、1500年、2000年、2600年いずれの場合でも『現存する最古の国』であることは揺るぎません。

※一説には2位はデンマークで1000年くらい。

 

しかしなが、建国の時期がハッキリしていないという事実こそ、日本誕生はそれだけ古くの出来事だったとも言えます。

 

まだ文字の無い時代に建国されているので、ハッキリした記録が残っている訳でもありません。

 

記録がハッキリ残らないほど古くに建国された日本。

それが最古である証拠であり、また素晴らしいことでもあるのかなと感じています。

 

日本が世界一古い国だという事実をご存じない方はまだまだ沢山います。この事実を知ったからには、胸を張って教えてあげましょう。

 

『僕たち、私たちの日本は世界一歴史の古い国なんだよ』

『日本』は現存する世界最古の国!二千年の歴史を持つ日本の真実!
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では、今回はこの辺で!ありがとうございました。