織田信長の正妻『濃姫(帰蝶)』。
超有名な「信長の妻」と言う立場でありながら、実像があまり分かっていない女性です。
ところで、この二人の間に子供はいたのでしょうか?
この記事では、濃姫と信長の子供に関してわかりやすく解説していきます。
織田信長と濃姫に子供はいたの?
いきなり結論から言ってしまうと、『織田信長と濃姫は子宝に恵まれなかった』というのが通説です。
信長の息子としては、嫡男の『信忠』、次男の『信雄』、三男の『信孝』あたりが有名ですが、彼らは全て側室との間に授かった子供たちです。
信忠、信雄の母は側室の『生駒吉乃(いこま きつの)』、信孝の母親も側室の『坂氏(さかし)』と呼ばれる女性です。
この他にも、信長にはたくさんの息子や娘がいますが、基本的には側室との間にできた子供とされています。
ただし、生母が分かっていない子供も存在するため、もしかしたら濃姫が生んだ子供がいた可能性はあるかもしれません。
以下より、その辺の可能性についてお伝えします。
信長の子供たち
以下に、信長の子供を判明している範囲で一覧にしてみました。
生母不明の人物が複数おり、彼ら彼女らが濃姫の生んだ子供だった可能性はあるのかもしれません。
男児、女児の順番でお伝えします。
信長の男児たち
- 長男『信忠』、生母『生駒吉乃』
- 次男『信雄』、生母『生駒吉乃』
- 三男『信孝』、生母『坂氏』
- 四男『秀勝』、生母『養勝院』もしくは『養観院』
- 五男『勝長』、生母『不明』
- 六男『信秀』、生母『不明』
- 七男『信高』、生母『お鍋の方』
- 八男『信吉』、生母『お鍋の方』
- 九男『信貞』、生母『土方氏(土方雄久の娘?)』
- 十男『信好』、生母『不明』
- 十一男『長次』、生母『お鍋の方?』もしくは『不明』
信長の女児たち
女の子の母親は、記録が残りにくいのでかなり不明な部分が多いです。また生年が分からない人物が多いので、ここでは『長女』『次女』と言った表記を外しています。
- 『相応院』、生母『養観院?』
- 『徳姫』、生母『生駒吉乃?』
- 『鶴姫』、生母『不明』
- 『永姫』、生母『不明』
- 『報恩院』、生母『不明』
- 『お振』、生母『お鍋の方』
- 『源光院』、生母『不明』
- 『三の丸殿』、生母『慈徳院?』
- 『月明院』、生母『不明』
濃姫が生んだ子??
上記の通り、生母が明確でないのが、男児では『勝長』、『信秀』、『信好』、『長次』、女児では『鶴姫』、『永姫』、『報恩院』、『源光院』、『月明院』。
可能性の話ではありますが、この9名の中に濃姫が生んだ子供もいたのかもしれません。
ただし、濃姫は信長の正妻です。正妻の子であるにも関わらず「生母が不明」というのは、少々考えにくいのかなとも感じますが・・・。
また、濃姫はいつ亡くなったのか、よくわかっていません。
ドラマなどでは、本能寺の変で信長とともに戦死するパターンが多いですが、実際は本能寺の変の前に亡くなっていたとも、変後も生きていたとも、離縁されたとも言われています。
一説には20代で亡くなっていたのでは?とも言われており、その頃の織田家は、桶狭間の戦いや、美濃を攻めていたりする辺りなので、かなり早い段階で亡くなっていたことになります。
そうなると、子供が生まれる前に亡くなっていた可能性もでてきますね。ただし、早世説はあまり支持されていません。
つまり、濃姫自身の没年が分からない上、生母不明の子供たちも生年が分からない人物が多く、濃姫の子供を決定付ける証拠はありません。
今後新たな史料などが出てくれば判明することもあると思いますが、ひとまず現状では『濃姫に子供はいなかった』とするのが妥当かなと感じますね。
濃姫の子供まとめ
以上、織田信長と濃姫の間に子供はいたのか?でした。
生母不明な子供が複数存在するとは言え、現状では信長と濃姫の間に子供はいなかったということになります。
今後、新たな史料が発見されることを祈りつつ、生母不明の子供たちの母親が濃姫だったら・・・と妄想しながら歴史を楽しんでいきましょう。
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