【吉原遊郭の花魁の真実に学ぶ】本当に幸せな仕事の在り方とは?

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時代背景

『お客様は神様』

これは商売をする上での基本的な考えという印象です。この考えの元、とんでもないクレーマーの相手をしたりして、嫌な思いをしている方も多いのではないでしょうか?

 

ですが、昔の日本を見てみると『お客様は神様』ではなかったことが分かります。

そして、お客様が神様でない方が自由に働けることが分かります。

 

その一例として、江戸時代の『花魁(おいらん)』の働き方を見てみることにしましょう。彼女たちの働き方を見てみると、現代の働き方にも一石を投じるような『本当に幸せな働き方』が見えてきますよ。

 

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お客さんを選んでいた花魁たち

江戸時代を代表する文化のひとつ『吉原遊郭』。そこで働く遊女さんたちのトップに君臨している女性たちを『花魁(おいらん)』と言います。

『吉原』とか『花魁』と言うと、なんとなく妖艶なイメージがありますよね。

 

江戸時代の遊郭に遊びに行った男性は、最初に一夜を共にする遊女さんを選びます。そして、遊女さんがやってくるのを部屋で待っているわけなんですが、時間になっても現れないことも結構あったようです。

んで、結局遊女さんに会えずに、何もしないまま帰って行くという悲惨な男性が後を絶ちませんでした。

 

実は、そういった心情を読んだ詩が多く残っています。ひとつご紹介します。

『もてぬ奴 からんからんと 打ち笑い』

この詩は、遊女さんが来てくれなかった寂しさを紛らわすため、あるいは遊女さんが来なかった情けない事実を知られないように、大笑いしながら帰っていく男性の姿が謳われています。

 

せっかくなので、もうひとつご紹介しておきます。

とりも啼け 鐘も鳴れ鳴れ ふられた夜

この詩は、遊女さんが来ないまま夜が明けてしまい、鳥が鳴いたり、朝を告げる鐘が鳴っている情景を詠んでいます。

 

このように男性が待ちぼうけするケースは、花魁クラスの遊女さんになればなるほど多かったようです。

 

つまり、遊女さんは男性を選り好みしていたわけですね。

容姿がタイプじゃなかったのか、過去に相手をして嫌な思いをしたのかは分かりませんが、一方的に身売りをしていたわけではないんですね。特に花魁クラスになると、自分に合ったお客さんであるかどうか?お気に入りのお客さんであるかどうかをキチっと判断して働いていたようです。

 

自分が相手をするべきお客さんであるかどうか?遊女さんはしっかりと判断していたんですね。

 

お気に入りのお客さんにはベッタリ

一方で、お気に入りのお客さんにはこれでもかと言うくらい贔屓をしていたようです。

 

ご指名を受けているのに男性のところに来なかった遊女さんは、一体なにをしていたのか?実は、別の部屋でお気に入りのお客さんの相手をしていたケースが多かったようです。

 

そんなお気に入りのお客さんが、他の遊女さんに奪われたらどうなるか・・・。男を奪った遊女さんに果たし状を送りつけたりして、女の戦いが始まるのです。

 

また、お気に入りのお客さんに絶対の愛を誓い合う為、自分の小指を切って相手に贈るという風習もありました。ちなみに、これが『指切りげんまん』の起源とする説もあります。

 

いかがでしょうか?

江戸時代の遊女さんたちに『お客様は神様』精神だけで働いていたわけではなく、虐げられていたわけでも、無理やり働かされていたわけでも、そしてお客さんの言いなりだったわけでもなかったことが伝わってくるのではないでしょうか。

もちろん、時間的な厳しさはあったかもしれませんが、むしろ心の赴くままに自由に働いていたようにすら感じます。

 

吉原遊郭においては、遊女さんが弱い立場ではなかったんです。自分に相応しいお客さんを選んでいたのです。

 

吉原遊郭への誤解

江戸時代を代表する文化のひとつ『吉原遊郭』。『遊女』と言うとどうしても性的な印象を持ってしまい、現在の価値観では、あまり良い意味では捉えられないかと思います。

 

確かに、性で商売をしていたことに間違いはありません。ですが、吉原遊郭が全盛期だった江戸時代の遊女さんたちは、決して虐げられた立場ではありませんでした。

 

どうしても妖艶な印象が付きまとい、お金に困った女性たちが身売りしていたイメージが先行しますが、その見方は西洋の文化が入って来た明治以降の価値観です。

現在の吉原遊郭に対するマイナスイメージは、強烈な差別の歴史を持っている西洋の価値観に染まった認識だと思っていいです。

 

当時の遊女さんたち、とりわけ吉原遊郭に所属していた遊女さんたちは、とても高いプロ意識をもって働いていました。むしろ、吉原遊郭で働く遊女さんたちは、美しさの象徴であり、当時の一般女性たちにとって憧れの対象でもありました。

『憧れ』という意味では、現在で例えるならば、宝塚スターのような感じでしょうか。

 

また、吉原遊郭は人生で一度は見物してみたい観光名所のようにもなっていました。

 

現在の遊女の表現って、着物が脱げて鎖骨から肩あたりまで露出していることが多いです。

ですが、浮世絵や明治期の写真などを見ると、肌を露出することなくビシっと着飾った衣装に身を包んだものばかりで、男を誘惑するような妖艶な感じではなかったことが分かります。

そこには、自分を安売りしない、遊女としての毅然としたプライドが見え隠れしています。

 

江戸時代の遊女さんたちは、虐げられた存在でもなければ、男性の誘いを断れずに無理やり働かされていた訳でもなく、むしろ一般庶民の憧れの対象として、江戸時代の一つの文化を作り上げた存在なのです。

 

そういった吉原の遊女さんたちを、現在の価値観に当てはめ、虐げられ身売りした悲劇的な存在として誤認させる方が遥かに蔑視ですし、彼女たちに失礼なのではないかと思います。

 

そんな吉原遊郭のトップクラスに君臨していた『花魁(おいらん)』と呼ばれる女性たち。

この花魁さんたちの働き方にこそ、現在の働き方にも通じる『仕事へのプライド』が隠されていたのです。

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お客さまは神様か?

以上、花魁に学ぶ働き方でした。

 

現在の日本は、全てのお客さんに平等に接することが商売の基本だという考えがあるように思います。ですが一方で、楽しく幸せに働くためには『お客さんを選ぶ』というのは、とても大切だと思っています。

 

ファミレスなんかでも『俺は客だぞ』的な、店員に対し上から目線のお客さんも時折見かけます。

 

『今日も文句しか言わない嫌なクライアントの相手をしなければならないのか・・・』

そんな憂鬱な感情を引きずりながら通勤する毎日は、本当に苦しいものです。

 

売る側にしてみればお客さんが商品を買ってくれないのは困りものですが、逆に買い手側にしても商品を売ってくれなければ困りものなはずですよね。なので本来は『お客様は神様』ではなくて、対等な立場でなければいけないのかなと感じます。

 

そもそも『神様であるかどうかは客側が決めることではない』って気もしますしね。お客さんが店員に上の立場で接してるのをよく見かけますが、それってやっぱりおかしな光景だなって思いますね。

 

 

【参考にした書籍】