名将 大谷吉継!石田三成とのエピソードと関ヶ原での壮絶な最後

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戦国時代と戦国武将

ご来訪ありがとうございます。

拓麻呂です。

 

人気がある戦国武将はたくさんいますが、その中でも特に人気がある人物。

『大谷吉継』

 

病を患いながらも、石田三成の要請で関ヶ原の戦いに参戦するも、壮絶な最期を遂げた武将です。

 

この記事では、そんな大谷吉継と石田三成のエピソード、そして関ヶ原での壮絶な最期をお伝えしたいと思います。

 

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人気の名将!大谷吉継

石田三成とのエピソード①

大谷吉継は石田三成と親しかったと言われています。

そんな三成との有名なエピソードをご紹介します。

 

ある日、秀吉が催した茶会に参加していた三成と吉継。

 

一口ずつ茶を回し飲みすることになり、吉継のところに茶碗が回ってきました。

しかし、吉継は らい病を患っており、茶碗の中に膿を落としてしまいました。

 

それを見ていた周囲の諸将は飲むのを嫌がり、回し飲みがストップしてしまいます。

嫌な空気が漂う茶会。

 

秀吉主宰の茶会で犯した大失態に吉継は青ざめます。

 

その瞬間・・・

 

『喉が渇いて仕方がない!早く茶碗を回してくれんか?』

 

三成がストップした茶碗を奪い、膿の入った茶を一気に飲み干しました。

 

『全部飲んでしまったから、もう一杯茶を注いでくれ』

 

秀吉に仕えた頃から三成と親交のあった吉継。

そんな親友の危機を救った三成の見事な起点により、茶会は滞りなく進めることができました。

 

この三成の気転に吉嗣はとても感謝し、その友情を深めたと言われています。

また、堅物なイメージのある三成の意外な一面が垣間見える非常に面白いエピソードでもあります。

 

ちなみにこの逸話でお茶を飲みほしたのは、秀吉になっている場合もあります。

 

石田三成とのエピソード②

1600年9月15日に起こる関ヶ原の戦い。

吉継はこの戦いに西軍として参戦しています。

 

徳川家康を討とうと息巻く石田三成。

三成は吉継に味方になるよう要請するよう直談判しています。

この時、吉継は勝利は不可能とみて、三成を諫めたと言われています。

 

吉継は家康とも親交があり、この段階では家康寄りの立場を示していました。

 

しかし、三成の意志は固く考えを変えなかった為、討死覚悟で親友であった三成に味方したと言われています。

 

出撃!関ヶ原

 

石田三成に味方して戦場に布陣した吉継。

吉継は病のため歩くことも出来ず、視力をほとんど失っていたと言われています。

 

戦況は大谷吉継隊や宇喜多秀家隊の奮戦により、西軍有利で進みました。

 

しかし、吉継の本陣横の松尾山に布陣していた小早川秀秋が東軍に寝返り。

一斉に山を下り、大谷隊に襲い掛かりました。

 

小早川隊 約1万6千人。

大谷隊 約 1千5百人。

 

約10倍の敵に強襲された吉継でしたが、寝返りを見越しており互角以上の戦いをし、何度も押し返したと言われています。

 

ところが、ここで誤算が起こりました。

大谷隊に属していた脇坂安治、朽木元綱、赤座直保、小川祐忠の4名の軍勢も東軍に内通しており、小早川秀秋の寝返りに呼応して吉継隊の側面に襲い掛かりました。

 

大谷隊は一気に崩壊。

善戦していた大谷隊が崩れた影響は戦場全体に及び、同じく善戦していた宇喜多秀家なども崩れ、西軍は瓦解しました。

 

軍勢が崩壊し戦うことが出来なくなった吉継は自刃。

 

関ヶ原の戦いでただ一人、自害して果てた武将でした。

 

大谷吉継に足りなかったもの

吉継が西軍に与した本当の理由はハッキリしていません。

しかし、三成との美談が全て事実でなかったとしても、吉継の誠実さを示す、ある種の真実は含まれているような気もします。

 

ただ、友情で勝てるほど戦場は甘くありませんでした。

 

僕の個人的な見解ですが、吉継と三成は、どこか『戦』というものを甘く見ていたように感じてしまいます。

 

吉継と三成は、秀吉政権下における官僚のような立場で、いわば内政を担当した武将です。

 

家康に対して領地の少ない吉継と三成は、家康と互角に戦うため毛利輝元や宇喜多秀家を味方につけるなどして兵力差を埋めることは出来ました。

それは、これまでも担当してきた内政の仕事だったからです。

 

しかし、そこから先、つまり秀吉政権下で実際の戦を担当していたのは、加藤清正や福島正則黒田長政たちです。

かれらは皆、家康に味方していました。

 

つまり、実戦経験に乏しい官僚たちが、机上の空論で戦に挑んだ結果が、西軍敗北の一因になったのではないでしょうか。

 

とは言え、吉継は賤ケ岳の戦いなどでも軍功を挙げていたり、関ヶ原でも小早川秀秋の寝返りを予測し善戦しています。

三成と違い、単なる官僚でもなかった吉継。

 

やっぱり、三成に味方することを選んだ時点で、最初から関ヶ原で最期を迎える覚悟だったのかもしれません。

 

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まとめ

以上、大谷吉継のエピソードでした。

 

大谷吉継は、戦国時代の中でも人気武将の一人です。

その要因は、やっぱり友情に厚い誠実さにあるのかなと思います。

 

三成との友情がどこまで史実かは分かりません。

ですが、それらのエピソードの中には、吉継の誠実さを物語る『真実』は隠されているのではないかと僕は思っています。

 

 

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では、今回はこの辺で!

ありがとうございました。