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拓麻呂です。
日本史上、最後の内戦と言われる西南戦争。
この戦いで、西郷隆盛は最期を迎えます。
城山で自決した西郷さん亡き後の日本。
西郷さんが日本に残した爪痕とは一体何だったのでしょうか?
今回は、西南戦争で西郷さんが日本に残していったものとは何だったのかを、個人的な見解も含め、お伝えしてみたいと思います。
西郷隆盛が日本に与えた影響
出典:国立国会図書館ウェブサイト『近代日本人の肖像』より
西郷隆盛と明治維新
島津斉彬の意志を継ぎ、倒幕を果たした西郷さん。
新しい日本を作るという西郷さんの志。
その成果の一つが明治維新であり、明治新政府の樹立でした。
つまり西郷さんにとって明治維新とは、若かりし頃からの悲願であり、見事に達成されたかに思えます。
しかしながら、西郷さんは自らの悲願であった新しい日本に反旗を翻し、西南戦争で真正面から激突することになります。
なぜ、悲願であった明治維新を達成したにも関わらず、新政府軍と対立しなければならなかったのか?
理由の一つは新政府の政策が、西郷さんの想描いていたものとは乖離していたからでると考えます。
明治維新とは【海外に負けない強い日本を作る為、古い幕藩体制を壊さねばならない!】というところから出発しています。
つまり倒幕とは通過点に過ぎないのです。
肝心なのは、倒幕後にどうやって新しい日本を創造していくのか?という部分です。
そういった意味では、倒幕を達成した時点では、西郷さんの本来の悲願は達成されていません。
海外に負けない強い日本が完成した時に、初めて本来の目的が達成されます。
倒幕後、本来の目的に向かう最中で、新政府軍の方針に納得できなかったため、西郷さんは薩摩に帰ってしまい、薩摩軍の大将に祀り上げられ西南戦争を迎えることになります。
自らの命と引き換えに・・・
幕藩体制の崩壊とは、武士の世の終焉を意味しています。
事実、新政府の廃刀令などにより、武士は刀を取り上げられます。
刀は武士の魂です。
その刀を廃する廃刀令とは、武士の否定を意味します。
まだまだ武士の魂を捨てきれなった者たちが暴発した結果が西南戦争です。
そして、その大将になってしまったのが西郷さんです。
この時の西郷さんは、最初から勝つつもりなんて無かったのではないかと思います。
事実、この後の熊本城攻撃などを見ても、無策のまま突っ込んで失敗しています。
自らが大きな原動力となり、倒幕を果たした西郷さん。
しかし、討幕後に新政府と対立してしまった西郷さん。
西郷さんは自らの命を持って、明治維新にケジメを付けようとしていたのではないか?
新政府に不満を持つ者たちと共に武士らしい最期を迎え、古い幕藩体制を終わらせようとしていたのではないか・・?
自らが築いた新政府が作る新しい日本の為に、自らが犠牲となり古い日本を終わらせる。
これが、西郷さんが西南戦争の時に、胸に秘めた想いだったんじゃないでしょうか?
事実、西郷さんは倒幕後に明らかに覇気を失っています。
西郷さんは軍人であり、革命家だったんです。
倒幕を成し、新政府が樹立された後に『革命家』は必要とされません。
必要とされるのは『政治家』です。
きっと西郷さんは自らの役目が終わったことを自覚していたのでは・・・?
だから、自らの命と引き換えに、反乱分子に加担して武士の世を終わらせようとしたのではないでしょうか。
僕は、そんなふうに思えてなりません。
西郷隆盛が残したもの
自らの悲願の為に、自ら滅んで行った西郷さん。
西郷さんが散った西南戦争は、日本史上における最後の内戦です。
これ以降、日本国内での内戦は勃発していません。
西南戦争を経たことにより、武士の世は完全に終わりを迎え、日本は近代化の歩みを進めて行きます。
そして、日本は日清戦争、日露戦争を戦い、世界史の舞台に登場していくことになります。
西郷さんの悲願であった、外国と渡り合う日本が実現します。
この後に、日本は太平洋戦争へと突入し、大きな過ちを犯しますが、西郷さんの命と引き換えに武士の世が終わったことで、日本は近世の扉をこじ開けたとも言えます。
つまり、西南戦争で武士の世にケジメを付けたことが、現代日本を作り上げた大きな要因になっています。
ここでは太平洋戦争での失敗は問いません。
しかし、西郷さんは明治維新を実現した原動力でもあり、その後の近世へと繋がる大きな役割も果たした存在である。
これが、西郷さんが現代日本に残した大きな爪痕なのではないかと、僕は考えています。
そんな西郷さんの真実の姿を知るにはこの本が一番です。
西郷隆盛のことを、もっと知りたい方はコチラをご覧ください。

明治維新のことを、もっと知りたい方はコチラをご覧ください。

では、今回はこの辺で!
ありがとうございました。