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拓麻呂です。
日本には戦国時代と呼ばれる時代があります。
武田信玄や織田信長が活躍する、日本史の中でも特に人気の高い時代です。
ですが、歴史の授業で習う歴史区分に『戦国時代』って出てきません。
縄文時代→→→弥生時代→→→古墳時代(大和時代)→→→飛鳥時代→→→奈良時代→→→平安時代→→→鎌倉時代→→→室町時代→→→安土桃山時代→→→江戸時代→→→明治時代→→→大正時代→→→昭和時代→→→現在
実際のところ、戦国時代っていつからいつまでの事を指しているのでしょうか?
戦国時代の始まりと終わり
諸説ある戦国時代
時代区分の中に出てこない戦国時代ですが、始まりと終わりに関しては、人それぞれで見解が違います。
いくつかの意見に分かれるのですが、長く見積もって、室町時代の後期から安土桃山時代を経て、江戸時代の初めころの範囲が戦国時代と言われています。
ではまず、戦国時代の始まりと目されている時期、そして終わりとされている時期を、年代と出来事で見て行きましょう。
戦国時代の始まり
1467年 応仁の乱
戦国時代の始まりとして、一番古いのが1467年 応仁の乱です。
一応、学術的にもここが戦国時代の始まりとされています。
応仁の乱によって室町幕府の権威は失墜し、これまで各地を治めていた守護大名たちの力が衰えたことで、この後の守護代や国衆による下剋上へと繋がっていきます。
よって、1467年 応仁の乱の勃発を持って戦国時代の始まりとする意見があります。
なお、1455年に関東では『享徳の乱(きょうとくのらん)』が勃発しており、全国に先んじて関東地方が戦国時代に突入していたという見方もあります。
1493年 明応の政変
応仁の乱ほど有名な出来事ではありませんが、こちらも支持する方が多い意見です。
室町幕府No.2の管領『細川京兆家(ほそかわけいちょうけ)』の当主『細川政元』による政治クーデターが、1493年 明応の政変です。
室町幕府10代将軍 足利義材(よしき)を追放して、新たに足利義澄(よしずみ)を将軍に据え、将軍を傀儡化、そして幕政を牛耳った人物が『細川政元』です。
つまり、将軍である主君を追放したという出来事が、力が全ての戦国時代の契機となったという見方です。
さらに、この後お伝えする『伊豆討入り』との関連性もあり、やはり1493年あたりが戦国時代の始まりとする意見が最近では強くなっています。
1493年 伊豆討入り
戦国時代に小田原城を本拠とし、関東制覇を目論んでいた大大名『後北条氏』。
その初代に当たる人物が『北条早雲(伊勢盛時)』です。
この早雲が京都から伊豆へ下向し、伊豆にいた堀越公方(ほりごえくぼう)の『足利茶々丸』を討ち滅ぼした事件が『伊豆討入り』です。
茶々丸は母と弟を討ち、強引に家督を奪い取った罪により、早雲の攻め滅ぼされます。
ここで重要になってくるのが前述の『明応の政変』との連動制です。
ちょっとややこしいのですが、明応の政変で細川政元が擁立した新将軍『義澄』は茶々丸の弟です。(茶々丸に討たれた弟とは別)
つまり、兄弟ゲンカです。
茶々丸職は『堀越公方』の家柄です。
堀越公方とは簡単に言うと、関東を治める為に派遣された関東の将軍みたいなものです。
明応の政変を起こし、義澄を擁立した細川政元は、その権力を盤石とする為、堀越公方の座を強引に奪った茶々丸を良しとせず、早雲が派遣されたということになります。
以前は、どこかの素浪人だった北条早雲が下剋上により、のし上がったと言われていたのですが、早雲は伊勢氏という幕府に仕える家柄の人物で、実際は室町幕府の動きと連動したものでした。
ともかくも、明応の政変と伊豆討入りによって、足利将軍家の弱体化は明白となり、戦国の世が始まったということになります。
戦国時代の終わり
1573年 室町幕府の滅亡
戦国時代の終焉として、最も古いのが織田信長による、室町幕府15代将軍 足利義昭の追放です。
元々は義昭を奉じて上洛していた信長ですが、後に不仲となり義昭は信長を滅ぼそうとしましたが、逆に信長に追放されました。
以降、室町幕府が再興することが無かった為、このタイミングで室町時代が終わり、安土桃山時代に移行します。
このタイミングで戦国時代の終焉とする意見があります。
1590年 豊臣秀吉の天下統一
西日本を手中におさめた豊臣秀吉が天下統一の総仕上げとして、北条氏の小田原城に攻め寄せます。
1590年 小田原征伐です。
この戦いにより北条氏は滅亡し、後に東北も平らげた秀吉の天下統一が成立します。
これまで各地に割拠していた群雄がいなくなったことで、地方分権から豊臣政権による中央集権化が実現しました。
各地の戦国大名が全て秀吉傘下に組み込まれたことで、戦国時代が終わったと言えると思います。
1603年 江戸幕府の成立
1600年の関ヶ原の戦いで勝利した徳川家康が、江戸幕府を開いたのが1603年。
別の言い方をすれば、徳川家康による天下統一です。
秀頼の代に移っていた豊臣家も、一大名に格下げされ名実ともに家康の時代がやってきました。
このタイミングをもって、時代区分が安土桃山時代から江戸時代に移っていきます。
安土桃山時代が終わり、江戸時代となったため、戦国時代の終焉ということになります。
1615年 豊臣家の滅亡
1615年、徳川家康は豊臣家の息の根を止める為、大坂城に攻め寄せます。
大坂夏の陣です。
この戦いで、豊臣家は滅亡。
家康の天下は盤石のものとなります。
一時は天下統一を成し遂げた豊臣家の滅亡により、以降、明治維新に至るまでの約260年に渡る泰平の世が続いていくことになります。
この時、幕府は戦乱の世が終わったことを宣言します。
これを『元和偃武(げんなえんぶ)』と言います。
元和偃武は、幕府からの正式な声明でもあるため、やはり1615年を持って戦国時代の終焉と考える方も多いのではないかと思います。
視点によって変わる戦国時代の始まりと終わり
以上が、よく言われる戦国時代の始まりと終わりのタイミングになります。
結局のところ、どの意見も視点によっては納得いくものであるように感じます。
戦国時代の始まりが室町幕府の衰退と過程するならば、その幕府が滅んだ1573年が戦国時代の終わりと言えます。
また、応仁の乱自体はあくまで幕府衰退の契機であって、全国的に戦が勃発するようになるのはその後と考えれば、明応の政変あたりが戦国の始まりとも捉えられます。
なので、それぞれの意見とも頷けるのですが、あえて個人的な見解を示すとするならば、僕は1493年『明応の政変』及び『伊豆討入り』に始まり、1590年『秀吉の天下統一』までを戦国時代だと考えています。
応仁の乱は各地の大名が参戦し、戦国時代の契機にはなりましたが、この乱自体は京都で終始していますので、あくまで発端であり、この段階ではまだ戦国時代ではないのかなと思っています。
足利義昭の追放後も、まだまだ各地に群雄が割拠しているので、戦国が終わったとは言えない状況と感じます。
関ヶ原の戦いも、いわば豊臣家の内紛であり、その結果、家康が後釜に滑り込んだというのが実際のところです。
大坂の陣も、家康の天下を盤石にするための争いであって、戦乱の世はすでに終わっていました。
と考えると、やっぱり室町将軍の権威をひっくり返し、中央政権が崩壊、そして無政府状態に近くなり、日本各地で戦乱が起こり始めた『明応の政変』『伊豆討入り』辺りが戦国時代の始まり。
そして、全国各地での戦乱が無くなった『秀吉の天下統一』が、戦国時代の終焉なのかなと考えています。
僕の場合、全国各地で戦乱が発生していた時期を戦国時代と定義しているので、このような結論になりますが、当然、見る方向を変えれば、他の意見も十分成り立つと思います。
なので、人それぞれの戦国時代を定義して、歴史を楽しむのが良いのかなと考えています。
あなたの戦国時代は、いつからいつまでですか?
まとめ
以上、戦国時代はいつからいつまで?でした。
【戦国時代の始まり】
- 1467年 応仁の乱
- 1493年 明応の政変
- 1493年 伊豆討入り
【戦国時代の終わり】
- 1573年 室町幕府の滅亡
- 1590年 秀吉の天下統一
- 1603年 江戸幕府の成立
- 1615年 豊臣家の滅亡
それぞれの意見を考察し、是非あなた自身の戦国時代を楽しんで頂きたいなと想います。
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では、今回はこの辺で!
ありがとうございました。