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拓麻呂です
この記事では、日本史の中でも人気の高い戦国時代の裏話をお伝えします。
戦国時代って、武田信玄とか伊達政宗とか全国の武将たちが天下統一を目指して争っていたような印象がありませんか?
もし、そういった印象をお持ちで戦国武将がカッコイイと感じているとそのイメージをぶち壊してしまうかもしれません・・。
実は、このイメージは完全な誤りなのです。
僕のように信長の野望をやり過ぎた人間は特にこの錯覚に陥りやすいです。
戦国武将たちが目指していたもの
天下統一なんて目指していなかった
実は、戦国時代の武将たちは誰も天下統一しようなんて思っていません。
この時代って、米が経済基盤になっています。
なので、部下に与えるご褒美は土地でした。
土地が増えれば、農地が増えるので米の収穫量が増え、豊かな暮らしが出来る訳です。
これが、当時の常識です。
つまり、中央政府(室町幕府)の衰退をいいことに、全国各地の武将たちが、部下に褒美を与える為、土地の支配権をめぐって争っていた時代。
それが戦国時代の実態です。
全国の武将たちが、天下統一と言うカッコいい志を持って戦っていたわけでは無く、豊かな暮らしがしたいという単純な自己都合でドンパチやっていただけです。
その結果、勝ちあがっていった武将たちが広範囲の土地を手に入れることになり、天下統一を目指していた!みたいな感じに見えているだけなのです。
幕府の権威が建前だった戦国時代
僕の感覚では、本当に天下統一を目指していた武将って織田信長くらいだと思います。
その信長ですら、後半生になってからようやく意識し始めたような感じを受けます。
武田信玄や今川義元も天下統一を目指していたと言われますが彼らの場合は、あくまで弱体化した中央政府(室町幕府)を立て直して優位に立とう!くらいの感覚です。
衰退したとは言え、当時の中央政府は室町幕府です。
これも、この時代の常識です。
どの時代も、その時代の常識の範囲内で人は行動しています。
そして、その時代の常識の範囲から飛び出す人物が異端児とか、革命児と呼ばれます。
室町幕府と言う中央政府が前提にある以上、それに自分が取って代わろうなんて大胆不敵な考えを持つ異端児が全国各地で大量に足並みそろえて出現するはずがありません。
まとめると・・・
『中央政府が弱いから、隣の土地を分捕っても大丈夫でしょ!』
『土地を増やして、自分たちは幸せに暮らしたいしね!!』という自己中心的な常識が蔓延した時代。
それが戦国時代です。
そして、そんな状態でも、室町幕府の権威を拝借して大義名分にしていたのが戦国武将という人たちです。
そこには、室町幕府に取って代わる、つまり、自分が天下統一をするというカッコイイ発想はありませんでした。
その時代の常識を見る
現代も含め、いつの時代にも必ず常識があります。
どの時代の人々も、必ずその時代の常識の中で行動しています。
この『当時の常識』を意識しないと、歴史を見誤ります。
そして、いざ危機が訪れた時に後手に回ります。
とくに多いのが平時の常識で、戦時を見てしまうことです。
これは、本当に多いです。
実は、全国の戦国武将が天下統一を目指していたというイメージも戦時である戦国時代の常識を、平時である江戸時代が見誤ったものなのだと僕は考えています。
江戸時代は平和な時代であったがゆえに、戦時の常識を鑑みず、戦国時代は志ある武将たちが天下統一を目指していたというドラマチックな幻想を抱き、多くの物語などで語られることになりました。
それが、現代の一般的な戦国時代の誤ったイメージなのです。
そして平時である現代も、この錯覚に陥っていることが本当に多いです。
これが、いわゆる『平和ボケ』だと僕は思っています。
この平和ボケがもたらした影響。
それが、黒船来航時の江戸幕府の後手に回った対応だったりもします。
平時の常識というものは、戦時では通用しません。
逆もまたしかりです。
もし、歴史の真実を知りたいと思った時は是非とも、当時の常識を覗いてみるようにしてみてください。
その中に、真実の歴史があり、また歴史から学ぶ現在の、そして未来の教訓が隠されています。
まとめ
以上、戦国時代の裏話でした。
現代に生きる僕たちにも常識があって、ほとんどの人たちがその常識の中で生きています。
これは、いつの時代も同じで、必ずその時代の常識があります。
これって、真実の歴史を知る上でとても大事なことだと思っています。
戦国武将のほとんどは、天下統一など目指していない、当時の常識の中で生きていた人たちだったんです。
戦国武将や家臣団に関して知りたい方は、コチラをご覧ください。
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では、今回はこの辺で!
ありがとうございました。