吉原遊女は本当は超強かった!遊郭の印象を覆す歴史の真実とは?

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江戸時代の遊女たち

江戸時代の遊郭として名高い吉原。いわゆる遊女と呼ばれる女性たちが働いていたわけですが、「遊女」と聞くとどんなイメージを持たれるでしょうか?

なんとなく虐げられていたイメージがあったり、苦しい生活を強いられていたために仕方なく身売りしていたような印象を持たれたりと、決して強い立場ではなかったようなイメージを持たれるかもしれません。確かにそういった一面があったのは確かで、実家が経済難だったために遊女になったケースはあったようです。

 

しかし、そういったイメージとは裏腹に、タイプでない男を容赦なく振ったりと強い一面も持っていて、意外にもお客さんを選り好みしたりして、振られてしまった悲しき男たちによる川柳も残っているのです。つまり、決して虐げられるような弱い立場ではなかったということです。

今回は、実は強かった遊女たちの姿を偲ばせるエピソードなどをご紹介していきます。

 

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遊女さんに振られた男たちの悲しき川柳

江戸時代の遊女と男性客の関係を物語る川柳が残されているので、まずはこちらをご覧ください。
※「吉原の真実 知らないことだらけの江戸風俗」より抜粋

【もてぬ奴からんからんと打ち笑い】

この川柳は、遊郭で遊女を指名したものの、結局遊女は現れずそのまま朝を迎えてしまった時に詠まれたとされ、寂しさを紛らわすために空元気を出して笑いながら帰っていく様子が詠われています。

 

【土手で広言云った奴皆ふられ】

この川柳は、昨晩はモテモテだったとをアピールする男に限って、実は遊女に無視されているという、当時よくあった現象を皮肉った様が詠われています。

 

男性を選り好みしていた遊女たち

明治時代の吉原(出典:Wikipedia)

ほんの一部の川柳を抜粋してご紹介しましたが、以上の川柳が示す通り、当時の吉原遊郭では男性客が遊女に無視されるのは決して珍しいことではなかったのです。

 

吉原の遊女たちは一晩で複数の男性を受け持っていたため、指名した遊女がお気に入りの男性客に時間を使ってしまい順番が回ってこないまま夜が明けて、結局何も出来ずに帰っていく男性が後を絶たちませんでした。

しかも、遊女が来てくれなかったとしても、きっちり料金は請求されていたんだとか。わくわくドキドキしながら一晩中待っていた挙句、遊女さんに会うことすら出来ないまま料金だけ支払って帰っていく・・・。本当に悲しいですね。

 

上座は遊女、下座が男性客

自分の順番をひたすら待ち続け見事に遊女がやってきても、いきなり馴れ馴れしくしたりはできませんでした。

 

まず遊女は上座に座り、男性客は下座に座ります。吉原ではあくまで遊女が格上なのです。特に初めて吉原にやってきた場合、男性客は壁に吸い付くほど隅っこに座らされ、遊女とはかなり離れた位置で盃を酌み交わした後に、ようやく寝ることができたんだとか。

そして3回ほど通い遊女と顔なじみになってくると、名前で呼んでくれるようになる、遊女が全裸になってくれる、しっかりと送り迎えをしてくれる、などかなり親密なやりとりが可能となり、いわば疑似夫婦のような関係になれたのです。

 

なお、馴染みともなると支払うチップも発生したようで、遊女の位によっては現在の金額で数十万円ものチップを払っていました。チップで数十万とはかなりの高額ですが、そんな金額を支払っても良いほど吉原の遊女が魅力的だったのでしょう。

現在でいうところの、ホステスさんやキャバ嬢さんに貢ぐのと同じような感覚なのかもしれませんね。

 

浮気した男の悲惨な末路

特定の遊女と馴染みになると、疑似夫婦のような非常に親密な関係になれた一方で、浮気が発覚した場合には、凄まじい制裁が待ち受けていました。

 

男性客の浮気が発覚すると、馴染みの遊女は浮気相手の遊女を通じ警告の手紙を送ります。それでも浮気をやめなかった場合、浮気相手のところから帰るの待ち伏せし、仲間たちと一緒に襲撃し、暴行を加えた後に拉致。服を脱がして暴言を浴びせ、さらには顔に落書きをされる場合もあったようです。そして、とにかく謝って慰謝料を払いようやく許してもらえたのです。

以上のように、浮気がバレると凄まじい制裁が待ち受けていたわけですが、これが吉原のルールであり、遊女たちのプライドの高さの表れとも言えるのではないでしょうか。

 

強かった吉原の遊女たち

以上、実は強かった遊女たちのエピソードをご紹介しました。

遊女というと、やむを得ない事情でいたしかたなく身売りして、過酷な環境で虐げられていた印象が持たれがちです。もちろん遊女になった理由は様々ですし、労働環境は過酷だったようですが、吉原は江戸幕府公認の遊郭であり、そこで働く遊女さんたちは決して虐げられた存在ではなかったのです。

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

【参考にした主な書籍】