藤原道長と天皇に嫁いだ娘たちの名前一覧!家系図で分かりやすく解説

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拓麻呂です。

この世をば わが世とぞ思ふ 望月の かけたることも なしと思へば

『自分の権力は満月のように、欠けた部分は一つも無い』

平安時代中期、絶大な権力を手に入れた『藤原道長』の有名な和歌です。

かなり自己陶酔した歌ではありますが、道長が権力を手に入れた背景には、彼の娘たちの存在がありました。

歴史用語で『外戚』とか『外祖父』と呼ばれる、権力構造の基盤となった、藤原道長の娘たちをご紹介します。

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藤原道長の娘たち

天皇の外祖父となる

まずは、こちらの系図をご覧ください。

ピンク色の四角で囲んだ4名が、天皇に嫁いだ道長の娘たちです。

そして、系図内の二重線(=)は、婚姻関係にあることを示します。

天皇に嫁いだ娘は『彰子(しょうし)』『妍子(けんし)』『威子(いし)』『嬉子(きし)』の4名。

ちょっとややこしいのですが、『一条天皇』の妻は、道長の娘『彰子』

そして、その息子は『後朱雀天皇』と『後一条天皇』です。

つまり、後朱雀天皇、後一条から見て、藤原道長は母方の祖父にあたります。

さらに、『後朱雀天皇』の妻が、これまた道長の娘『嬉子』です。

そして、その息子が『後冷泉天皇(ごれいぜいてんのう)』です。

つまり、後冷泉天皇から見ても、藤原道長は母方の祖父になります。

このような母方の祖父を『外祖父(がいそふ)』と呼び、娘を嫁がせて親戚関係を築くことを『外戚』と言います。

道長は、天皇家との二重三重の外戚関係を構築することで、絶大な権力を手に入れたのです。

長女 藤原彰子(しょうし)

一条天皇に嫁いだ長女の彰子。

後朱雀天皇と後一条天皇という、二人の天皇の母親です。

なので彰子の存在が、道長の外戚関係の基盤になっています。

彰子には、この時代の有名な女性が多数お仕えしています。

代表的なのは、源氏物語の作者『紫式部』。

あるいは、恋多き女性として知られる『和泉式部』。

他にも、清少納言の娘『小馬命婦』、栄花物語の作者と言われる『赤染衛門』など、この時代の有名な女性歌人は、ほとんど彰子に仕えた女性です。

平安時代中期の、いわゆる『国風文化』が花開いた時代の中心にいた人物なので、日本の歴史上でも、とても重要な人物です。

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次女 藤原妍子(けんし)

彰子の妹で、三条天皇に嫁ぎました。

一条天皇が崩御した後に、夫が三条天皇となったので妍子は天皇の正妻(中宮)の立場を手に入れました。

しかし、三条天皇と妍子は男児に恵まれなかったため、天皇家の系譜は嬉子が継いでいくことになります。

道長の娘たちの中では一番の美形で、さらに妍子に仕えた女房たちも派手好みであったと伝わっています。

現代で例えるならば、妍子を中心としたギャル集団といったところでしょうか。

四女 藤原威子(いし)

彰子、妍子の妹で後一条天皇の正妻。

後一条天皇より9歳年上だったことに、コンプレックスを感じていたそうです。

威子が天皇に嫁いだことで、自身が『皇后』、姉の妍子が『皇太后』、同じく姉の彰子が『太皇太后』となり、天皇の正妻が3代に渡って道長の娘になりました。

ここに、道長の権力は盤石となり、【この世をば わが世とぞ思ふ 望月の かけたることも なしと思へば】の和歌が詠まれることになります。

妍子と同じく男児に恵まれなかったため、天皇家の系譜は嬉子が継いでいくことになります。

六女 藤原嬉子(きし)

長女の彰子、次女の妍子、四女の威子の妹で、後冷泉天皇の正妻。

なお上記3名の他にも、三女『寛子(かんし)』、五女『尊子(そんし)』という、腹違いの姉もいます。

なので嬉子は、道長の末娘ということになります。

嬉子の子供が、のちの後冷泉天皇となるため、天皇家との外戚関係は嬉子の系図に託されることになりました。

しかし、嬉子はわずか19歳で崩御。

そして、後冷泉天皇にも男児が生まれませんでした。

短命だった摂関政治

藤原道長と、その息子『頼道』の治世を、摂関政治と言います。

とても有名な歴史用語で、道長父子の絶頂期を示す言葉です。

しかし、彰子を除く天皇に嫁いだ娘たちに男児が生まれなかったため、摂関政治はわずか2代で終焉を迎えています。

蘇我入鹿にしろ、平清盛にしろ、源頼朝にしろ、織田信長にしろ、豊臣秀吉にしろ・・・。

そして、藤原道長にしろ・・・。

絶大な権力を持ちすぎた時、その権力は長く続かないことが多い。

これは、歴史の常なのかもしれませんね。

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まとめ

以上、藤原道長の娘たちでした。

道長の権力基盤には、天皇家との外戚関係があり、その外戚関係を支えたのが、彼の娘たちなのでした。

しかし、道長が残していった絶大な権力は長くは続かなかったのです。

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では、今回はこの辺で!

ありがとうございました。


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