紫式部日記に登場する『宰相の君(藤原豊子)』の人物像とは?

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平安時代の女性たち

紫式部日記にたびたび登場する『宰相の君(さいしょうのきみ)』という女性。

宰相の君は、紫式部と同様に中宮彰子に仕えた女房です。

 

しかしながら、紫式部日記での登場回数の割には、ほとんど知られていない人物です。この記事では、そんな宰相の君の人物像についてお伝えしていきます。

 

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紫式部日記には宰相の君が二人いる

まず最初にお伝えしておくことがあります。

紫式部日記には『宰相の君』という名前の女性が二人登場します。

 

日記の中には、紫式部が同僚女房の容貌を語っている部分(五十 消息体~女房たちの横顔)があるのですが、そこに『宰相の君』が登場します。

しかし、ここに登場する宰相の君は、『北野の三位の娘』と呼ばれる女房です。

紫式部自身も日記の中で、『(これから書くのは)北野の三位の娘さんのことですよ』と、あえて断りを入れています。

 

今回ご紹介するのは、本名『藤原豊子(ふじわらのほうし)』という女房です。

この藤原豊子という女性も『宰相の君』と名乗っており、紫式部日記に多く登場する女房です。

 

まとめると、今回ご紹介するのは『宰相の君(藤原豊子)』の方だということです。

逆に言うと『宰相の君(北野三位の娘)』ではないということになります。

 

宰相の君(藤原豊子)の生い立ち

宰相の君は本名は『藤原豊子』、紫式部と同じく彰子(しょうし)』に仕えた女房です。

 

父親は『藤原道綱』という人物。

藤原道綱は、蜻蛉日記の作者『右大将道綱母』という女性の息子です

さらに、道綱は藤原道長の兄弟なので、宰相の君(藤原豊子)と彰子とはいとこの関係になります(彰子は藤原道長の娘)。

なので宰相の君(藤原豊子)と彰子は主従関係でもあり、いとこでもあったのです。

こういった血縁関係を持つ宰相の君は、とても身分の高い女性でした。

 

女房には階級があり、大きく分けて三段階『上臈(じょうろう)』、『中臈(ちゅうろう)』、『下臈(げろう)』に分けられます。

宰相の君は、上臈女房に位置していました。

ちなみに、紫式部や清少納言、和泉式部といった有名人たちは、その知名度とは裏腹に中臈女房だったと言われています。

 

上臈女房 宰相の君

このように高貴な女性であった宰相の君。

主である彰子の息子『敦成親王』の乳母も務めています。

 

この敦成親王は、のちの後一条天皇となる人物です。

つまり、宰相の君は天皇の乳母を務めた人物だったのでした。

 

宰相の君の夫は『大江清通』という男性貴族。大江清通は藤原道長に仕えていた人物です。

そして、藤原道長の娘 彰子に仕えていたのが宰相の君。夫婦ともども、藤原道長の権力にとても近い人物だったのです。

 

宰相の君(藤原豊子)のまとめ

以上、紫式部日記に登場する『宰相の君(藤原豊子)』についてでした。

 

紫式部に比べ、身分の高かった宰相の君。

一説によると、赤染衛門あたりとも交流があったそうです。

 

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