今からおよそ千年前の平安時代の中頃。多くの男性を魅了した一人の女性がいました。
その女性の名は「和泉式部(和泉式部)」
同時代を生きた紫式部、清少納言、赤染衛門と並ぶ才女と言っても差し支えない女性です。
彼女が詠んだ歌などを参考にする限り、和泉式部に魅了された男性は十人以上。その中には、天皇のお子様である『親王(しんのう)』も含まれています。
自身より遥かに高い身分の男性をも魅了した『和泉式部』とは一体どのような女性だったのか?
今回は平安時代のプレイガール『和泉式部』に迫ってみたいと思います。
紫式部と藤原道長による和泉式部評判
和泉式部とほぼ同時代を生きた二人の有名人が、彼女の事を評した言葉が残っています。
その有名人とは
時の権力者「藤原道長」
そして、源氏物語の作者「紫式部」
の2名です。
まずは、和泉式部がどのような女性だったかを大まかに把握するために、二人の和泉式部評を確認してみましょう。
紫式部と藤原道長の和泉式部評に関しては、音声でも解説しておりますので、ぜひご活用ください。
藤原道長から見た和泉式部
まずは摂関政治で有名な藤原道長から。平安時代の中期に絶大な権力を手に入れた超大物です。
そんな藤原道長は『和泉式部集』という歌集の中で、
浮気っぽい女性
と、実に分かりやすく和泉式部を評したとあるエピソードと和歌を掲載しています。
説明不要なほど、どストレートな人物評と言えるでしょう。
このエピソードの詳細は以下の通りです。
とある日の宮中にて・・・ある男が女物の扇を弄っていたところ、その姿を見た藤原道長がこう尋ねました。
藤原道長その扇は誰の物かね??
扇を持っていた男性実は和泉式部からもらった扇でして・・・
藤原道長ほう!どれ、ちょっと貸してみなされ
すると藤原道長は、扇に「浮かれ女の扇」と落書きをしたのです。
この出来事を知った和泉式部は、以下のような和歌でその心情を吐き出しています。
和泉式部こえもせむ こさずもあらむ 逢坂の 関もりならぬ 人なとがめそ
【意訳】男と女の逢瀬の関を越える者もいれば、越えない者だっています!!恋の道は人それぞれなのに、あんたに咎められる覚えはありません!!
いかにも恋に生きた和泉式部らしい回答ですし、恋愛に対してのプライドを感じます。
和泉式部は、時の権力者である藤原道長にも聞こえるほどの、恋多き女性だったようですね。
紫式部から見た和泉式部
次は紫式部の和泉式部評を見て行きましょう。
紫式部は『紫式部日記』という日記の中で、和泉式部の人物像をかなり詳しく記していますので、意訳してご紹介します、
和泉式部は素敵な恋の手紙を交わしていたそうですが、ちょっと感心できない所があります。
しかし、彼女のひらめきで書かれた即興の手紙は素晴らしく、何気ない言葉がキラッと光り輝いています。和歌も素晴らしいけど、知識は無いようです。だから、本格的な歌人とはいえません。
しかし、彼女が即興で閃いた言葉には魅力があるので、天才型の人物なのかもしれません。
紫式部と和泉式部はともに「彰子(しょうし)」という女性に仕えていました(彰子は藤原道長の娘で一条天皇のお后様)。
つまり、和泉式部と紫式部は職場の同僚なので、紫式部のこの評価にはかなり真実味があります。
和泉式部は和歌が上手だったことでも知られているため、紫式部のコメントは和泉式部の歌詠みとしての才能を評しているように見えます。
ですが、今回注目したいのは、黄線の『ちょっと感心できないところがあります』という部分。
「和泉式部の関心できないところ」とは、簡単に言ってしまうと「男関係について」だと思われます。
あるいは恋愛色の強い和泉式部の歌風に、嫌悪感を示していたのかもしれません。
後世においても恋多き女性として名を残している和泉式部は、当時から恋多き女性として知られていたのでしょう。
では、紫式部に、
感心できない
と言われてしまった和泉式部の恋愛事情とは、どのようなものだったのでしょうか。
以下より解説していきます。
和泉式部に魅了された二人の親王
それでは、『浮気っぽい女性』和泉式部の虜になった男性はどのような人物だったのでしょうか?
ここでは特に有名で、超特大のスキャンダルとなった事例をご紹介します。
その男性とは、「為尊親王(ためたかしんのう)」と「敦道親王(あつみちしんのう)」。
ともに、第63代天皇である冷泉天皇(れいぜいてんのう)の御子息です。
最初、和泉式部は為尊親王と恋に落ちました。
しかし、為尊親王は若くしてこの世を去ってしまいます。
その後に恋仲となったのが、敦道親王です。
つまり、和泉式部は天皇のお子様兄弟二人と恋仲になっていたわけですね。
この恋は、当時の宮廷において相当なスキャンダルだったのではないでしょうか?
しかも身分を超えた禁断の恋と来れば、なおさら噂になっていたことでしょう。
現代でも社内恋愛の噂は一気に広まりますよね。
和泉式部と2人の親王の恋愛は現代風に言うと、社長の息子と平社員の女性がくっついたような禁断の社内恋愛なのです。
なお、この敦道親王のと熱い恋愛話は「和泉式部日記」と言う書物に書き残されています。
そんな和泉式部日記には、一体どのような恋愛話が書かれているのでしょうか?
和泉式部の熱愛について知りたい方は、ぜひコチラの記事もご覧になってみてください。
天才女流歌人『和泉式部』
このように和泉式部は、当時から現代にいたるまで恋多き女性として名を残しています。
和泉式部はどうしても恋の話がクローズアップされがちなのですが、彼女の真骨頂は紫式部も言っていたように、天才的な閃きから生み出される歌詠みとしての才能です。
もうすぐこの世を去る和泉式部、そんな彼女が最後の思い出に、熱い恋愛をした一人の男性にもう一度だけ会いたい・・・このような意味の和歌が残っています。
いかにも恋に生きた女性らしい一首です。
最後は百人一首にも選出された、そんな和泉式部の和歌で締めくくりたいと思います。
あらざるむ この世のほかの思い出に 今ひとたびの 逢うこともがな
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
この他にも、和泉式部に関する記事を多数執筆しています。
【参考にした主な書籍】