和泉式部日記の内容やあらすじを一番わかりやすく解説

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和泉式部(いずみしきぶ)の恋物語が綴られている文学作品和泉式部日記

平安時代の王朝文学を代表する作品のひとつですが、一体どんな内容が書かれているのかご存じですか?

 

この記事では、

・和泉式部日記執筆の背景
・和泉式部日記の内容
・同時代の人物たちから和泉式部はどう見られていたのか?

といった部分をわかりやすく解説していきます。

ぜひ参考になさってください。

 

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和泉式部日記執筆の背景

和泉式部日記とは、ざっくりといってしまうと、和泉式部と「敦道親王(あつみちしんのう)」という皇族男性との恋愛模様を描いた作品です。

 

和泉式部は敦道親王と恋仲になる以前に、「為尊親王(ためたかしんのう)」という皇族男子と恋仲になっていたのですが、残念なことに為尊親王が若くして急逝してしまいます。当然、恋人を亡くした和泉式部は深く悲しみました。

 

このように、和泉式部が悲しみに暮れている場面から和泉式部日記は始まります。

 

ただ、この日記はリアルタイムで書かれたわけではなく、和泉式部の回想録のようになっています。

為尊親王亡き後に恋愛関係となった敦道親王も若くして亡くなってしまうのですが、その敦道親王が亡くなり喪に服している期間に書き始めたと言われています。

 

ちょっとややこしいので時系列に並べてた図を用意しましたので参考になさってください。

和泉式部が敦道親王との恋を書き残そうとした動機はよくわかりません。

しかし、敦道親王が亡くなって喪に服している機関に書き始めていることから、燃えるような恋をした敦道親王への追悼であったり、悲しみを紛らわすためであったり様々な感情が交錯していたのではないでしょうか。

 

なお、作中における和泉式部の表現が『私』という一人称ではなく、『女』という三人称になっていることから、作者は和泉式部ではないのではないか?という説もあります。

ただし、この記事では、和泉式部が書いたということを前提に、話を進めていきます。

 

敦道親王との恋物語

前述の通り、和泉式部日記は恋人の為尊親王に先立たれ、和泉式部が悲しみに暮れている状態から始まります。では、その後はどうなっていくのか?ここから具体的な内容についてお伝えしていきます。

 

ある日、悲しみに暮れる和泉式部のところへ一人の少年が現れます。実はこの少年が、和泉式部と敦道親王を繋ぐの新しい恋のキューピットになるのです。この少年は敦道親王にお仕えしていた人物でした。

 

ちなみに、敦道親王は和泉式部の前の恋人である為尊親王の弟でもあります。つまり、為尊親王と敦道親王は兄弟なわけですね。しかも為尊親王も敦道親王も皇族(しかも天皇の実子)と言う身分で、中流貴族の娘であった和泉式部の立場から見れば雲の上のような存在です。

 

天皇の息子兄弟と身分の差を超え男女の関係になってしまったのが和泉式部であり、そんなある意味禁断の恋を綴ったのが和泉式部日記なのです。

 

内容をざっくり言うと、敦道親王とのなかなか進展しない恋にじれったく感じていたり、敦道親王へ夢中になっていく恋心だったりと、敦道親王の家に誘われたりしたエピソードなど、現在と全く変わらない恋の展開が綴られています。

 

例えば、敦道親王へ手紙を送り、その返事も待っている間のしれったさなんかは、現代のLINEのやりとりに似ているかもしれません

 

あなたにはこんな経験がありませんか?

意中の人がいて、その人にメールなりLINEなり、一昔前なら手紙とかで連絡をした。その返事をドキドキしながら待っている。でも、なかなか返事が来ない。脈なしなのかなと凹んで元気を無くしていたところに、やっと返事が来た!!その返事で急に元気を取り戻す。

そんな現代の全く変わらない恋文のやり取り、心の浮き沈みを綴ったものが和泉式部日記なのです。

 

禁断の恋だったからこそ、その燃えるような恋愛を成就左させんとする恋心にドラマ性を感じたり、あるいは共感をしたりするのかもしれません。

そう考えると、和泉式部日記の執筆意図には「禁断の恋を叶えた和泉式部の幸福感」みたいな気持ちもあったのかもしれません。

 

なお、余談ながら和泉式部日記には、和泉式部と敦道親王が牛車の中で男女の関係になっていた和歌が詠まれています。この和歌は世界最古のカー〇ックスの記録として語り継がれています。

 

魔性の女 和泉式部

結果的に和泉式部は、為尊親王と敦道親王という皇族二人と恋仲になっています。

 

為尊親王や敦道親王との恋愛真っただ中の時の和泉式部はまだ宮仕え前であり、身分の差を超えた熱愛として、当時の宮廷を揺るがす大スキャンダルでした。実際、立場をわきまえない熱愛として、和泉は親からも勘当うぃ受けたとも言われています。

 

また、和歌などから推測すると和泉式部と関係を持った男性は、少なく見積もって10人は存在していたようです。

紫式部からは『男関係が関心出来ない』と言われ、藤原道長からは『浮かれ女(浮気っぽい女性という意味)』というレッテルを貼られるなど、男性関係に関しては散々な言われようの和泉式部。

 

しまいには「為尊親王が病になったのは和泉式部のところに通っていたからだ」などという根も葉もない噂が囁かれていたことも、ほぼ同時代に執筆された『栄花物語』に記録されています。

どうも和泉式部と敦道親王の恋愛は、現在で言うところのSNSでのトレンドや炎上みたいになっていた感じがあります。

 

このように、和泉式部と敦道親王の燃える燃え上がる恋愛模様を書いた日記、それが『和泉式部日記』なのです。

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和泉式部日記に関するまとめ

以上、和泉式部日記の内容でした。

 

この時代は、枕草子、蜻蛉日記、紫式部日記、更級日記など、さまざまな女流文学が誕生しています。その中でも、和泉式部日記は『恋愛』という分かりやすいテーマになっているので、ラブストーリーが好きな方は楽しく読めると思います。

 

現代人も共感できる1000年前の大恋愛を目撃してみたい方は、ぜひ一度和泉式部日記を読んでみてください。

 

この他にも、枕草子や源氏物語など同時代の王朝文学や、宮廷で活躍した女性たちを多数記事にしてあるので、ぜひコチラからご覧になってみてください。

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最後までお読みいただきありがとうございました。