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拓麻呂です。
和泉式部(いずみしきぶ)の恋物語が綴られている文学作品『和泉式部日記』。
そんな和泉式部日記には、一体どんな内容が書かれているのかを、どこよりも簡単にお伝えします。
和泉式部日記の内容
和泉式部日記の始まりと背景
和泉式部は『為尊親王(ためたかしんのう)』という、天皇の息子と恋仲になっていました。
しかし、為尊親王は病で亡くなってしまい、和泉式部はとても悲しんでいました。
このような状況から、和泉式部日記は始まります。
ただ、この日記はリアルタイムで書かれたわけではなく、回想録のような形で書かれています。
和泉式部が26歳くらいの頃の出来事だとされています。
一般的には、大恋愛をした『敦道親王』が亡くなって、喪に服している時に書き始めたと言われています。
また、作中における和泉式部の表現が『私』という一人称ではなく、『女』という三人称になっていることから、作者は和泉式部ではないのではないか?という説もあります。
ただし、この記事では、和泉式部が書いたということを前提に、話を進めていきます。
敦道親王との恋物語
前述の通り、和泉式部日記は恋人の為尊親王に先立たれ、和泉式部が悲しみに暮れている状態から始まります。
そんな和泉のところへ、一人の少年が現れます。
この少年が、和泉の新しい恋のキューピットになるのです。
彼は『敦道親王(あつみちしんのう)』という、当時の天皇のご子息に仕える少年でした。
さらに、敦道親王は、和泉の前の恋人である為尊親王の弟でもあります。
つまり、為尊親王と敦道親王は兄弟なわけで、天皇の息子兄弟と、身分の差を超え、男女の関係になってしまったのが和泉式部という女性なのです。
兄 為尊親王が亡くなり、悲しむ和泉。
そして、弟 敦道親王の存在が一人の少年を介して、和泉の前にちらつき始めます。
この後、和泉は敦道親王との新たな恋を発展させていくのですが・・・
という感じです。
この後の展開ですが、例えば、こんな経験がありませんか?
意中の人がいて、その人にメールなりLINEなり、一昔前なら手紙とかで連絡をした。
その返事をドキドキしながら待っている。
でも、なかなか返事が来ない。
脈なしなのかなと凹んで元気を無くしていたところに、やっと返事が来た!!
その返事で急に元気を取り戻す。
そんな現代の全く変わらない恋文のやり取り、心の浮き沈みを綴ったものが和泉式部日記です。
魔性の女 和泉式部
結果的に和泉式部は、天皇の息子兄弟の二人と恋仲になっています。
この時の和泉は、まだ宮仕え前であり、最初の彼氏である為尊親王とは、一体どうやって知り合ったんだという疑問もありますが、ともかくも身分の差を超えた熱愛として、当時の宮廷を揺るがす大スキャンダルでした。
立場をわきまえない熱愛として、和泉は親からも勘当されています。
また、僕自身、一部は未見なのですが、和歌などから推測すると、和泉と関係を持った男性は、少なく見積もって10人は存在していたようです。
紫式部からは『男性遍歴が関心出来ない』と言われ、藤原道長からは『浮かれ女(うかれめ、浮気っぽい女性)』というレッテルを貼られています。
そして、極めつけは、為尊親王が病になったのは、和泉のところに通っていたからだという噂があったらしいことが、当時の記録である『栄花物語』に書かれています。
つまり、和泉は当時から魔性の女扱いされていたことが分かります。
このように、一貫して恋に生きた魔性の女 和泉式部と、敦道親王との恋愛模様を書いた日記、それが『和泉式部日記』なのです。
まとめ
以上、和泉式部日記の内容でした。
この時代は、枕草子、蜻蛉日記、紫式部日記、更級日記など、さまざまな女流文学が誕生しています。
その中でも、和泉式部日記は『恋愛』という分かりやすいテーマになっているので、ラブストーリーが好きな方は楽しく読めると思います。
そんな和泉式部日記に初めて触れる方は、コチラがおススメです。
僕も、この一冊から和泉式部日記に入りました。
では、今回はこの辺で!
ありがとうございました。