この記事では、2024年にNHK大河ドラマ「光る君へ」のキャスト一覧と、登場人物の相関図をご紹介します。
また、ドラマをさらに楽しく視聴するための、各登場人物の簡単な豆知識や興味深いエピソードなどをお伝えしていきますので、ぜひご活用くださいませ。
「光る君へ」キャスト一覧
『光る君へ』に登場する主要キャスト一覧です。
煩雑さを避けるため、実在の人物に絞って相関図を作成しており、ドラマオリジナルの人物は省略しております。
また、全人物をひとつの相関図にまとめるのは困難と判断したため、カテゴリごとに分割しております。
①紫式部の家族たち
紫式部
吉高由里子さん
藤原為時(紫式部の父)
岸谷五朗さん
ちはや(紫式部の母)
国仲涼子さん
藤原惟規(紫式部の弟)
高杉真宙さん
藤原宣孝(紫式部の夫)
佐々木蔵之介さん
②藤原道長の親族たち
藤原道長
柄本佑さん
藤原兼家(道長の父)
段田安則さん
時姫(道長の母)
三石琴乃さん
源雅信(道長の義父)
益岡徹さん
藤原穆子(道長の義母)
石野真子
源倫子(道長の正妻)
黒木華さん
源明子(道長の妻の一人)
瀧内公美さん
藤原道隆(道長の兄)
井浦新さん
藤原道兼(道長の兄)
玉置玲央さん
藤原詮子(道長の姉)
吉田羊さん
藤原彰子(道長の娘)
見上愛さん
藤原頼道(道長の息子)
渡邊圭祐さん
藤原寧子(道兼の妻の一人)
財前直見さん
藤原道綱(道長の異母兄)
上地雄輔さん
③中関白家と周辺の人たち
藤原道隆(道長の兄)
井浦新さん
高階貴子(道長の義姉)
板谷由夏さん
藤原定子(道長の姪)
高畑充希さん
藤原伊周(道長の甥)
三浦翔平さん
藤原隆家(道長の甥)
竜星涼さん
清少納言(定子に仕える女房)
ファーストサマーウイカさん
④天皇と周辺のひとたち
円融天皇
坂東巳之助さん
花山天皇
本郷奏多さん
一条天皇
塩野瑛久さん
三条天皇
木村達成さん
藤原忯子(花山天皇の妻の一人)
井上咲楽さん
⑤その他の人物
赤染衛門(倫子と彰子の女房)
凰稀かなめさん
藤原実資
秋山竜次さん
藤原公任(四納言の一人)
町田啓太さん
藤原斉信(四納言の一人)
金田哲さん
藤原行成(四納言の一人)
渡辺大知さん
源俊賢(四納言の一人)
本田大輔さん
藤原頼忠(兼家の従兄弟でライバル)
橋爪淳さん
藤原顕光(道長の従兄弟)
高橋光臣さん
藤原義懐(花山天皇の叔父)
高橋光臣さん
安倍晴明
ユースケ・サンタマリアさん
「光る君へ」登場人物の豆知識
光る君へに登場する人物たちの興味深いエピソードやトリビアをお伝えしていきます。
ここでご紹介する内容は、史実に沿ったなりますので、「ドラマではどのように描かれるのか」といった観点で見ていくと、より楽しめるかと思います。
なお、史実に沿ってご紹介する都合上、ドラマのネタバレになる可能性がある内容を含みますので、自己責任の上お読みいただけると幸いです。
紫式部
生没年不明(一説には天禄元年(970年)頃~ 寛仁3年(1019年))
藤原道長の娘である彰子に仕えていました。
また、「紫式部日記」という作品も書いており、この日記からは紫式部の人物像や当時の宮廷の雰囲気などが伝わっています。
実は、この紫式部日記のある一部の記述が「清少納言をライバル視していたと」言われる原因です。
かなり辛辣に清少納言を批判していますので、どんなことが書かれているかを確認したい方は、コチラをご覧ください。
性格的には人見知りな部分があったようで、職場にて、現代でいうところのハラスメントを受けて逃げ出したことがあります。
その際のエピソードも含め、紫式部や源氏物語に関して、
・かなりの晩婚!結婚した年齢は?
・卓越した教養の持ち主だった
・驚異的な数字だらけの源氏物語
・世界最古の記録を持っていた!
・夫のアレが執筆理由
・世界で愛されている源氏物語
といった情報を、↓コチラ↓の記事でご紹介していますので、ぜひご覧になってみてください。
藤原為時
生没年:天暦3年(949年)頃~長元2年(1029年)頃
紫式部と藤原惟規の父親です。
紫式部の「式部」とは、藤原為時が「式部丞」という職に就いていたことが由来となっています。
藤原道長からは「偏屈者」などと言われており、かなりお堅い性格だったようです。
また、愛娘の紫式部に対して、現代だったら炎上しそうな発言をしたことで知られています。
藤原為時が紫式部に言い放った一言とは??ぜひコチラの記事でご確認ください。
ちはや
生没年:生年不明~天延元年?(974年?)
藤原為信という人物の娘で、紫式部と惟規の他に、もう一人女子(長女)を産んでいます。
ドラマでは「ちはや」という名前になっていますが、史実では名前はわかっていません。
没年も明確ではありませんが、紫式部が子供の頃に亡くなったと言われています。
藤原宣孝
生没年:生年不明~長保3年(1001年)
紫式部の夫です。
宣孝からの猛アタックにより結婚しますが、残念ながら結婚生活は約2年で終了してしまいます。
一説によると、宣孝との別れが源氏物語の執筆動機になったとも言われています。
清少納言の枕草子によると、周囲の目を気にしない豪快な人物だったで、周囲の目を驚かすような行動も見られたとか・・・。
そんな藤原宣孝の奇抜な行動や、紫式部の夫婦仲についてはの詳細は、コチラの記事をご覧ください。
藤原惟規
生没年:天禄3年?(972年?)~寛弘8年(1011年)
紫式部の弟(兄と言う説もある)。
残念な逸話がいくつか残っており、紫式部より物覚えが悪かったことで知られています。
ある日、宮廷に強盗が入ったのですが、その際、藤原惟規が対処して大きな手柄をあげる大チャンスが巡ってきたのですが・・・
この後の残念な結末は、ぜひコチラの記事でご確認ください。
藤原道長
生没年:康保3年(966年)~万寿4年(1028年)
平安時代に絶大な権力を手にした人物。歴史の授業で必ず出てくる摂関政治でも有名です。
また「御堂関白記」という自筆の日記が現存しており、「ユネスコ記憶遺産(世界の記憶)」に登録されています。
一説によると、紫式部と愛人関係だったとも言われていますが、その真相は・・・
そんな藤原道長は、権力者のイメージがとにかく強いのですが、実は権力者らしからぬ意外な一面を持った人物でもありました。
・実は〇〇になったことがなかった!
・現代人にも身近なあの病気を患っていた!
・超有名なあの女性と○○な関係だった?
・霊をも恐れぬ度胸の持ち主だった!
以上のような点を、藤原道長トリビア5選としてご紹介していますので、ぜひコチラの記事をご覧になってみてください。
藤原彰子
生没年:永延2年(988年)~承保元年(1074年)
藤原道長&倫子夫妻の娘で、第66代一条天皇の中宮。紫式部が仕えていたことでも有名です。
ドラマでは「彰子」を「あきこ」と読むようですが、一般的には「しょうし」と読まれることが多いです。
わずか12歳で入内し、一条天皇との間には後の天皇(後一条天皇と後朱雀天皇)となる2子を授かっています。
紫式部を始めとし、和泉式部や赤染衛門、伊勢大輔といったそうそうたる女房たちを率い、一時代を築き上げました。
そんな彰子の人物像はコチラの記事にサクッとまとめてありますので、ぜひご覧になってみてください。
藤原兼家
生没年:延長7年(929年)~永祚2年(990年)
藤原道長の父親。
光る君へに登場するかはわかりませんが、妻の一人に蜻蛉日記の作者として有名な「藤原道綱母」がいます。
兼家とその子供である道隆や道長の時代が、日本の歴史における絶頂期だったと言えるでしょう。
時姫
生没年:生年不明~天元3年(980年)
藤原兼家の正室で、道隆、兼道、詮子、道長の母。
藤原道兼のところでも触れた藤原道綱母の蜻蛉日記にも、度々登場しています。
ともに藤原兼家に愛された女性であることから、やはりライバル心があったのでしょう。
蜻蛉日記の内容から察するに、名言こそされていないものの藤原道綱母からは、かなり嫉妬されていたようです。
藤原寧子(藤原道綱母)
生没年:承平6年?(936年?)~長徳元年(995年)
ドラマでは「寧子」という名前で登場しますが、史実では本名不明で「藤原道綱母」や「右大将道綱母」と呼ばれています。
その名の通り、藤原道綱の母親でもあります。
蜻蛉日記の作者としても非常に有名。
蜻蛉日記は、この時代の登場する女流文学の先駆けとして多大なる影響を与えました。
藤原頼忠
生没年:延長2年(924年)~永延3年(989年)
藤原兼家の従兄弟にしてライバルだった人物です。
藤原公任の父親でもあります。
関白の地位まで昇りつめたものの、兼家との政争に敗れて失脚してしまいました。
源雅信
生没年:延喜20年(920年)~正暦4年(993年)
源倫子の父親です。
源雅信は第59代天皇の宇多天皇の血を引いており、宇多天皇から見て雅信は孫にあたります。
藤原穆子
生没年:承平元年(931年)~長和5年(1016年)
源雅信の正室で、源倫子の母親です。
ドラマでは「穆子」を「むつこ」と読むようですが、一般的には「ぼくし」と読まれることが多いです。
倫子と藤原道長を結婚させた愛のキューピットだったことでも知られており、そのため道長は穆子に頭が上がらなかったと言われています。
源倫子
生没年:康保元年(964年)- 天喜元年(1053年)
藤原道長の正妻。
ドラマでは「倫子」を「ともこ」と読むようですが、一般的には「りんし」と読まれることが多いです。
藤原道長の政権を裏で支える一方で、子供たちには深い愛情を示す、まさに良妻賢母と言える女性でした。
そんな倫子の人物像や藤原道長との夫婦仲などは、コチラで詳しくお伝えしています。
源明子
生没年:康保2年?(975年?)~永承4年(1049年)
藤原道長の妻の一人。
ドラマでは「明子」を「あきこ」と読むようですが、一般的には「めいし」と読まれることが多いです。
道長の正妻はあくまで倫子とされていたため、道長と明子の間に産まれた子供は、大きな出世ができませんでした。
源氏物語に登場する「源典侍」のモデルではないかとも言われています。
藤原道隆
生没年:天暦7年(953年)~ 長徳元年(995年)
藤原道長の兄。酒豪。
道長の前に凄まじい権力を手にしていた人物で、清少納言が書いた「枕草子」にも登場します。
枕草子の内容から察するに、凄まじい威光を放つ人物であったと同時に、度々冗談を言う砕けた一面を持った人物だったようです。
そんな藤原道隆の人物像や枕草子での登場シーン、歴史を大きく変えることになった死因などをコチラの記事にまとめてありますので、ぜひご覧になってみてください。
高階貴子
生没年:生年不明~長徳2年(996年)
藤原道隆の正妻。高内侍(こうのないし)や儀同三司母(ぎどうさんしのはは)の名でも知られています。
後に、藤原道長と権力の座をかけて争うこととなる藤原伊周や清少納言が仕える定子の母にあたる人物です。
とても教養ある才女としても知られ、その和歌は百人一首にも選出されています。
そんな高階貴子についての記事はコチラからご覧ください。
藤原定子
生没年:貞元2年(977年)~長保2年(1001年)
藤原道隆&貴子夫妻の娘で、第66代一条天皇の中宮(皇后)。枕草子の作者 清少納言が仕えていたことでも有名。
ドラマでは「定子」を「さだこ」と読むようですが、一般的には「ていし」と読まれることが多いです。
清少納言を始めとする女房集団を率い、雅で知的な後宮を築き上げたことでも知られ、その煌びやかさは枕草子が記す通りです。
しかし、とある事件が定子の身に降りかかり、彼女の運命を大きく変えていくことになるのです。
そんな藤原定子についての記事はコチラからご覧ください。
藤原伊周
生没年:天延2年(974年)~寛弘7年(1010年)
藤原道隆&貴子夫妻の息子で定子の兄にあたる人物。
枕草子によるとなかなかの男前で優雅な人物だったようですが、別の史料(大鏡など)によると、パッとしない2代目のお坊ちゃまでもあったようです。
長徳の変での失態により、自身のみならず一族全体を窮地に追いやってしまいました。
そんな藤原伊周の人物像や枕草子での登場シーンなどをコチラの記事にまとめてありますので、ぜひご覧になってみてください。
藤原隆家
生没年:天元2年(979年)~寛徳元年(1044年)
藤原道隆&貴子夫妻の息子で定子の弟にあたる人物。
枕草子では無邪気な若者として登場していますが、後年には「刀伊の入寇」と呼ばれる日本の危機を救う大活躍を見せています。
そんな藤原隆家の活躍ぶりは、コチラの記事にまとめてありますので、ぜひご覧になってみてください。
藤原道兼
生没年:応和元年(961年)~長徳元年(995年)
藤原道長の兄。
大鏡によると、機長の小さな人物だったと伝わっています。
また、一説によると、顔色が悪くて毛深い人物だったそうです。
兄の藤原道隆が亡くなった後に、関白となって兄の威光を受け継ぎますが、わずが11日後に急逝しました。そのため「七日関白」という不名誉な名称で呼ばれることもあります。
藤原詮子
生没年:応和2年(962年)~長保3年(1002年)
藤原道長の姉で、一条天皇の母。
天皇の母だけあって、かなり強い発言権を持っていたようで、藤原道長が権力を手にした要因のひとつが、詮子の後押しがあったためだと考えられています。
清少納言
生没年:康保3年頃(966年頃)~ 万寿2年頃(1025年頃)
清少納言は「枕草子」の作者として有名な人物。藤原道隆の娘 定子に仕えました。
紫式部のライバルとされる場合が多いですが、実は「清少納言が紫式部をライバル視していた」というイメージは誤りである可能性が高いです。
紫式部と清少納言のライバル関係の真実については、コチラの記事で詳しく解説していますので、ぜひご覧になってみてください。
その他にも、清少納言や枕草子に関しては、
・清少納言はこんな顔をしていた
・離婚の原因は性格の不一致とワカメ!?
・紫式部との本当の関係とは?
・「春はあけぼの」の次に書いてある内容とは?
・枕草子のレンタル制度があった!?
・本人の意図に反して枕草子が世に広まってしまった経緯とは?
・「枕草子」という題名に秘められた固い絆とは?
といった情報を↓コチラ↓の記事でご紹介していますので、ぜひご覧になってみてください。
赤染衛門
生没年:天暦10年?(956年?)~長久2年(1041年)
藤原道長の正室 倫子と、道長の娘 彰子に女房として仕えた女性。
栄花物語の一部の作者としても知られ、紫式部や清少納言、和泉式部などと並び称される才女です。
また、良妻賢母として知られ、紫式部日記には「匡衡衛門」というあだ名で呼ばれていたとや、格調高い和歌を詠む人物だったことが記されています。
藤原実資
生没年:天徳元年(957年)~永承元年(1046年)
藤原道長の権力に屈せず、公平な立場を示し続けた人物。
当時の状況を知るための貴重な史料「小右記」という日記の作者としても知られています。
藤原公任
生没年:康保3年(966年)~長久2年(1041年)
藤原道長の政権を支えた四納言の一人。藤原頼忠の息子。
藤原斉信
生没年: 康保4年(967年)~長元8年(1035年)
藤原道長の政権を支えた四納言の一人。清少納言の枕草子にも登場していることでも有名です。
いがみ合っていた藤原斉信と清少納言との手紙のやりとりは、いわゆる「草の庵」というエピソードとして知られ、枕草子の中でも非常に有名なエピソードとなっています。
藤原行成
生没年:天禄3年(972年)~万寿4年(1028年)
藤原道長の政権を支えた四納言の一人。能筆家としても有名。
当時の状況を知るための貴重な史料「権紀」という日記の作者としても知られています。
枕草子にも登場し、清少納言との親密な関係が描かれているため、恋仲だったのではないかと考えられます。
なお、枕草子の中に藤原行成が清少納言の容姿を表現しているのではないか?と言われる記述が存在します。
あくまで一説であり真偽はのほどは定かではないのですが、この記述を元に、清少納言の顔を復元したみた記事があるので、興味のある方はぜひご覧になってみてください。
源俊賢
生没年:天徳4年(960年)~万寿4年(1027年)
藤原道長の政権を支えた四納言の一人。藤原道長の妻の一人 明子の兄。
安倍晴明
生没年:延喜21年(921年)~寛弘2年(1005年)
陰陽師として、とても有名な人物。
ドラマでは「晴明」を「あるあきら」と読むようですが、一般的には「せいめい」と読まれることが多いです。
藤原道長の日記「御堂関白記」にも登場しており、その内容から道長からも頼りにされていたことがわかっています。
「母親が狐だった」という説があったり、呪力を用いて悪霊と戦う姿がイメージされたりと、いかにも人間離れした印象のある人物ですが、実際はそんな超人ではありません。
なぜ、安倍晴明は人間離れしたイメージ強いのか?その理由は、現在では考えられない当時の歴史的背景が大きく影響しています。
そういった点も含め、安倍晴明の人間離れしたエピソードとともに、陰陽師にまつわる解説はコチラの記事からご覧くださいませ。
円融天皇
生没年:天徳3年(959年)~正暦2年(991年)
第64代天皇。
藤原道長の姉にあたる詮子との間に、一条天皇を授かりました。
花山天皇
安和元年(968年)~寛弘5年(1008年)
第65代天皇。
藤原道隆の一族(中関白家)が没落する大きな要因となった「長徳の変」で、被害を受けた天皇として知られています。
そんな「長徳の変」に関しては、相関図つきで詳しく解説していますのでぜひご覧になってみてください。
一条天皇
天元3年(980年)~寛弘8年(1011年)
第66代天皇。
平安時代の女流文学が隆盛を極めた時代の天皇であり、枕草子などにも多く登場しています。
定子を彰子を正室して迎えました。
今後の登場人物予想
以下は、筆者が個人的に登場すると思っている人物の一覧です。
今後、追加キャストが発表され登場が確定次第、キャスト一覧と相関図に追加し、トリビアもお伝えしていきます。
登場はほぼ間違いない人物
大弐三位(藤原賢子)
紫式部の娘。
和泉式部
紫式部と同じく、彰子に仕えた女房。和歌が上手。
藤原妍子
藤原道長の娘。
藤原教通
藤原道長の息子。
藤原威子
藤原道長の娘。
藤原嬉子
藤原道長の娘。
おそらく登場すると思われる人物
小少将の君
紫式部と同じく、彰子に仕えた女房。紫式部の親友。
伊勢大輔
紫式部と同じく、彰子に仕えた女房。
「光る君へ」まとめ
以上、光る君へのキャストと相関図でした。
今後も新たな情報が発表され次第、追記や修正を行っていきます。
なお、私がこのブログの記事を書く際に、参考にしているオススメ書籍をいくつかご紹介します。
さらに理解を深め、光る君へをより楽しみたい方は、ぜひ手にとってみてください。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
【参考にした主な書籍】