藤原隆家は、平安時代に『刀伊の入寇』で大活躍した人物です。
この藤原隆家ですが、実は若かりし頃に清少納言とも関わっており、その様子が枕草子に綴られています。
刀伊の入寇を防いだことで、武勇に優れた印象の強い隆家ですが、枕草子では意外な一面が垣間見えます。
清少納言が見た藤原隆家の、もうひとつの一面をお伝えします。
本記事は音声でも解説しています。本文を読むのが面倒な方や、他のことをしながら聴き流したい方はぜひご活用ください。
清少納言が見た藤原隆家
藤原隆家は、清少納言が仕えた藤原定子の弟にあたります。
なので、清少納言とも面識があったため、枕草子にも少しだけ登場します。
基本的には、宮中のイベント事に定子の弟として、ちょっと名前が出てくる程度なのですが、ひとつだけ清少納言と藤原隆家、そして定子がやりとりするエピソードが書かれているのです。
枕草子の中では比較的有名な逸話ではないかと思います。
それは『九八段 中納言まゐりたまひて』という章段です。
(※枕草子の章段数は出版社によって異なります。ここでは勉誠出版の枕草子大事典に従います)
中納言とは藤原隆家のことなので、簡単に言うと『隆家様が定子様の所にやってきた』という内容になります。
清少納言と藤原隆家、そして定子のやりとり
では、藤原隆家たちの間にどのようなやりとりがあったのでしょうか?
以下に、わかりやすく意訳したものを掲載します。
藤原隆家様が定子様のお住まいにやってきて、お話ししています。
藤原隆家僕はとても素晴らしい「扇の骨」を手に入れました。その骨に紙を貼って定子様に差し上げたいと思います。ですが立派な骨なので上等な紙を貼りたいのです。
定子そんなに素晴らしい扇の骨とは、一体どんなものなのですか?
藤原隆家それはもう本当に素晴らしい骨です。僕の家来たちは「こんな立派な骨は見たことが無い」と口をそろえて言っています。僕自身も、あんな立派な骨は見たことがありませんよ!
この会話を聞いていた清少納言が、こんなことを言いました。
清少納言そうなのですね・・と言うことは、その骨はきっと「くらげの骨」ですね!
藤原隆家これは一本取られた!そのセリフは僕が言ったことにしよう!!
と、隆家様お笑いになりました。
これが、『海月の骨』と呼ばれる有名な逸話で、枕草子に登場する藤原隆家の姿です。
ちょっと意味が分かりにくいので、もう少し細かく見て行きましょう。
ポイントになるのは『扇の骨』という部分です。
藤原隆家は素晴らしい扇の骨を入手して高揚した状態。
しかもその骨は隆家曰く、
誰も見たことがないほど素晴らしい!
とのこと。
そこで姉の定子が、
どんな骨ですか?
と問いかけます。
その後に、傍らにいた清少納言が、
それは海月(くらげ)の骨です
と言っています。
つまり、清少納言が言いたかったのは、
見たこともない骨ということは、骨の無いくらげの骨なのでは?
ということを言っていて、つまりは『くらげには骨が無いから誰も見たことが無い』という、頓智めいたことを言っているわけですね。
無邪気な藤原隆家
このエピソードは、清少納言の機転の良さを示すような印象を受けますが、個人的に注目したいのは最後の隆家の反応です。
これは一本取られた!そのセリフは僕が言ったことにしよう!!
といったように、清少納言の機転の利いた一言を、笑いながら自分のネタにしようとしています。
頓智を言った清少納言に対し、ツッコミを入れずにボケに乗っかったような感じですね。
ここに、意外と無邪気な ちゃっかり者の隆家の姿が見て取れます。
この時の隆家は10代後半くらいなので、若さゆえの軽いノリとも捉えられます。
しかし、この軽快なノリは枕草子を読むと、父の藤原道隆や姉の定子からも感じられるとことがあり、一族特有の気風ではなかったかと思われます。
隆家の主要な一族は・・
父:藤原道隆(ふじわらのみちたか)
母:高階貴子(たかしなのきし)
兄:藤原伊周(ふじわらのこれちか)
姉:藤原定子(ふじわらのていし)
そして藤原隆家(ふじわらのたかいえ)です。
この一族を『中関白家(なかのかんぱくけ)』と言います。
特に一家の大黒柱である藤原道隆が、ノリの良い一面を持っており、女房たちと会話しながらジョークを言っておどけている姿が枕草子にも記されています。
父親の影響なのか、定子も結構ノリの良い感じなので、その一族である藤原隆家も、ノリの良い一面があったのかもしれません。
この中関白家のノリにバッチリはまったのが清少納言で、そんな清少納言と定子がタッグを組んだからこそ、定子サロンの明るく華やかな空気が醸成されていったのでしょう。
なお、母親の貴子はとても教養のある女性だったので、その気質も定子がしっかりと受け継いでいます。
枕草子にある謎の記述
枕草子に登場する藤原隆家の様子は以上なのですが、実はこのエピソードの最後にちょっと謎めいたことが書かれています。
原文の解釈には諸説あるのですが、ざっくり要約すると以下のような内容です。
このようなことは「かたはらいたきもの(※原文では「かたはらいたきこと」)」にでも書く内容ですが、周りの人から「ひとつも書き落とさないように」と言われたので、仕方ありませんね。
つまり、この隆家とのエピソードは「人に言われたからここに書いた」と言っているのです。
清少納言の言う「かたはらいたき」とは、「いたたまれない(その場にじっとしていられない気持ち)」という意味で、実際に枕草子には「かたはらいたきもの」という章段が存在します。
清少納言が「いたたまれない」と感じた、つまり隆家と定子の会話に対し、じっとしていられなくなって思わず口を挟んでしまった、という意味なのでしょうか。
また、このエピソード自体が清少納言自身の機転の利いた発言を自画自賛する内容にも捉えられるため、弁明のために書いたという解釈もあります。
ただ、枕草子に書かれた清少納言の自慢話(らしきこと)は、これだけではないので、それらもひっくるめて弁明したかったのかな?などと勘ぐってしまいます。
ともかくも、いろいろと謎の残る発言ですが、個人的にはこの発言こそ、枕草子の執筆意図に関わっていると考えています。
枕草子か書かれた目的、それは「定子サロンの華やかさ」、あるいは「中関白家の栄華」をしっかりと書き残す、といったものである可能性が非常に高いです。
↓詳しくはコチラの記事でお伝えしています↓
つまり、定子の同母弟であり中関白家の一人でもある藤原隆家との出来事は、書き記さねばならないという意図が大きく働いていたと思われます。
清少納言の言う、
人に言われたから書いた
という発言から読み取れる「この内容を枕草子にしっかりと書き留めることを進言した人」は、おそらく定子サロンの栄華を書き残すという枕草子の執筆意図に同調していた清少納言の同僚、つまり定子の女房の一人だったのではないでしょうか。
藤原隆家と枕草子まとめ
以上、枕草子に記された藤原隆家の人物像でした。
刀伊の入寇での活躍ばかりが目立つ隆家ですが、定子サロンの楽しい雰囲気を形作る無邪気な弟でもありました。
藤原隆家の知名度はあまり高くありません。
しかし、隆家も含め中関白家のノリの良さ、そしてそこに便乗する清少納言の姿には、とても微笑ましい歴史の一幕を見られるような気がしています。
そんな華やかな中関白家を描く枕草子を、一人でも多くの方に親しんで頂ければ幸いです。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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