和泉式部は紫式部や清少納言とどんな関係だったのか?

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平安時代の女性たち

和泉式部恋多き女性として、あるいは和歌の達人として名を残した女性です。

 

同時代の女性として、紫式部清少納言といった双璧がいますが、彼女たちと和泉式部はどのような関係だったのでしょうか?

平安時代中期に宮廷出仕をしていた彼女たちの関係性を、簡単にご紹介します。

 

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和泉式部と紫式部の関係

まずは紫式部との関係から。

 

和泉式部と紫式部は、中宮彰子(ちゅうぐう しょうし)の女房として、ほぼ同時期に宮仕えをしています。現代風に言えば、職場の同僚のような形です。

なので、少なからず面識はあったと考えられます。

 

紫式部が残した日記(紫式部日記)には、彼女の和泉式部評が残されているので確認してみましょう。まずは、原文で。

和泉式部といふ人こそ、おもしろうかきはしける。されど、和泉はけしからぬかたこそあれ、うちとけて文はしり書きたるに、そのかたの才ある人、はかない言葉のにほひも見え侍るめり。歌は、いとをかしきこと。ものおぼえ、歌のことわり、まことの歌よみざまにこそ侍らざめれ、口にまかせたる言どもに、必ずをかしき一ふしの目にとまる詠み添へ侍り。

それだに、人の詠みたらむ歌難じことわりゐたらむは、「いでやさまで心は得じ。口にいと歌の詠まるるなめり」とぞ見えたるすぢに侍るかし。「恥づかしげの歌よみや」とはおぼえ侍らす。

 

ちょっと長いですが、現代の言葉で意訳すると以下ようになります。

 

紫式部
紫式部

和泉式部という人が素敵な恋文を書いているようです。でも、和泉式部にはちょっと感心できないところがあるのですが・・・。とは言え、日常で走り書きしている手紙には、即興の文才があって、何気ない言葉に素敵な香が立つかのようです。和歌は本当にお見事です。和歌に対する知識は本格的とは言えませんが、即興で口から出る言葉の中に必ず「おっ」と感じる一言が添えられています。

 

でも、彼女が人の和歌を批評しているのを見ると、「そこまで頭では考えておらず、思わず口をついて和歌が溢れ出る天才型なのでしょう」と思います。ですので「頭の下がるような歌人だ」とまでは、私は思っていません。

 

 

褒めているんだか、けなしているのかよく分からない内容ですが、和泉式部は深く考えなくても、閃きで素敵な和歌が詠める天才型の女性だったようです。

一方で、和歌を理論的に考えている訳ではないので、その辺は認められないと、紫式部は感じていたようですね。

 

そして、紫式部が『感心できない』と言っているのは、和泉式部の恋愛遍歴のことだと思われます。

和泉式部は、宮廷をビックリさせるような大スキャンダルを巻き起こしており、親に勘当されたりしています。

 

和泉式部と清少納言の関係

続いて、清少納言との関係を見て行きます。

 

和泉式部と清少納言は、宮仕えをしていた時期が微妙にズレており、仕えた主も違います。

清少納言がお仕えしたのは『定子(ていし)』という女性。

一方、和泉式部がお仕えしたのは『彰子(しょうし)』という女性です。

定子は藤原道隆の娘、彰子は藤原道長の娘です。

 

諸説ありますが、和泉式部が宮廷出仕していたのは、西暦1008年~1011年頃。

一方、清少納言が宮廷出仕していのは、西暦993年~1001年頃。(ちなみに紫式部は西暦1005年~少なくとも1012年以降)

 

つまり、清少納言のほうが数年早く宮仕えをしており、和泉式部が出仕を始めた時にはすでに清少納言は宮廷から去っています。

なので和泉式部と清少納言は、宮廷での関りは無かったと思われます。

 

ですが、全く面識が無かったかというとそうでもなく、晩年は交流があったようです。

 

和泉式部の和歌を集録した『和泉式部集』で、清少納言との和歌の贈答が確認できます。

和歌の内容を見ると、和泉式部は清少納言から海苔をプレゼントされたりもしており、それなりの仲だったと考えられますね。

 

また、清少納言の娘『小馬命婦(こまのみょうぶ)』和泉式部の娘『小式部内侍(こしきぶのないし)』ともに彰子の女房になっているので、その関係で何かしらの接点があったのかもしれません。

 

そういった観点でいくと、紫式部の娘『大弐三位(だいにのさんみ)』も、彰子の女房なので、清少納言と紫式部にも接点があったのでは?という気もしますが・・・一般的に清少納言と紫式部は面識が無かったと言われています。

 

↓清少納言と紫式部の関係は、コチラで詳しく解説しています↓

清少納言と紫式部の本当の関係を図で解説!実はライバルじゃなかった?
...

 

生年がハッキリしていませんが、清少納言の方が5~10歳くらい年長と思われるので、お互い宮仕えを経験した者同士、気が合うところもあったりしたのかもしれませんね。

 

平安中期の才女たち

紫式部と清少納言は面識が無かったと言われています。(実際は、紫式部の一方的なライバル視)

 

ですが、和泉式部は紫式部と清少納言ともに関りがあり、それなりの関係を維持していたようです。

少なくとも、清少納言とは良好な間柄で、紫式部とは可もなく不可も無くと言ったところでしょうか。

 

この頃は、宮廷で多くの女性が働いているので、女性ならではの確執というか、なんかドロドロしたものが渦巻いていたのではないかと思います。

そういった意味では、和泉式部はそれなりに上手くやっていたのかなとも感じますね。

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和泉式部と紫式部&清少納言との関係まとめ

以上、和泉式部と紫式部、清少納言との関係でした。

  • 紫式部→職場の同僚。
  • 清少納言→引退後のお友達。

ということになるのでした。

 

他にも、和泉式部に関する記事を書いていますので、興味のある方はご覧になって見てください。

恋愛の達人!和泉式部の性格や人物像、百人一首の和歌まとめ
和泉式部は、紫式部や清少納言と並び平安時代を代表する女性で和歌の天才、そして恋多き女性としても知られています。そんな和泉式部に関して、容姿の考察や人物像、百人一首に選ばれた和歌の紹介など、和泉式部に関連する記事をまとめてみました。

 

【参考にした主な書籍】

【和泉式部の代表作『和泉式部日記』(初心者向け)】