『紫式部』は源氏物語の作者であり、日本の歴史を代表する女性です。
彼女の生没年はハッキリしていませんが、天禄元年?~寛仁3年?(970?~1019?)頃とされています。
そんな紫式部ですが、『源氏物語の作者』であることは広く認知されているものの、彼女自身がどんな女性で、とんなエピソードが残っているのかなとはあまり知られていません。
また、どんな理由で源氏物語を書きはじめ、どのようにして広まっていったのかなどは、ほとんど知られていないように感じます。
この記事では、当ブログで紫式部に関して執筆した様々な記事を一覧でまとめてあります。
紫式部に関して知りたい情報を、ぜひご覧頂ければと思います。あなたのお役に立てれば嬉しいです。
紫式部の人物像
紫式部の全体像を把握したい方はコチラの記事がオススメ。
彼女の基本情報、家族構成、性格や逸話、源氏物語の執筆理由など、年表や系図を交え、わかりやすく解説しています。
紫式部は美人だったのか?
紫式部ってどんな見た目をしていたんでしょうか?現在確認できるのは平安美人のおかめ顔に描かれた肖像画ばかりで、実際の容姿はよくわかりません。
そこで、本記事では源氏物語の記述を元に、紫式部の顔を3Dソフトで復元してみました。
紫式部の豆知識・トリビア
紫式部と源氏物語に関するトリビアをまとめました。意外と知られていないことなどもあるので、ついでに知っておくと、ちょっと得した気分になりつつ、より理解も深まる内容となっています。興味のある方は、ぜひコチラをご覧になってみてください。
引きこもりだった紫式部
紫式部日記によると、彼女はあまり明るい性格ではなかったようです。またネガティブ思考な一面も持っており、職場から逃げ出して引きこもりを経験した女性でもあったのです。
そんな彼女の引きこもりエピソードです。
紫式部の晩年や最期とは?
紫式部と言えば「源氏物語を書いた人」という点があまりにも有名すぎるため、その生涯は案外知られていません。この記事では、紫式部の晩年や最期の部分に焦点をあてご紹介していきます。
紫式部の人物像がわかるおすすめ本7選
この記事では、紫式部の意外な人物像がわかるおすすめ書籍を7冊ご紹介します。
子供から大人まで楽しめるよう、漫画から専門的な本まで幅広くご紹介しますので、あなたの好みに合った1冊がみつかりますよ。
紫式部と清少納言はライバルじゃなかった!
清少納言と紫式部。枕草子と源氏物語という文学作品を後世に残した日本が誇る2人の女性です。2人は、よくライバル関係だったと言われていますが、本当は一体どのような関係だったのでしょうか?
この記事では、清少納言と紫式部の本当の関係や仲を、関係図を交えながらわかりやすく解説していきます。
源氏物語について
源氏物語「光源氏の誕生」簡単解説
源氏物語を実際に読んでみたことのある方は意外と少ないように感じます。全編読み通した方となると、なおさらです。そこでこの記事では、初心者でもわかりやすいように源氏物語の始まりの部分、いわゆる「桐壺(きりつぼ)」のエピソードを解説します。
源氏物語の1000年の印税っていくらなんだろう?
源氏物語が執筆されてから約1000年。もし仮に1000年の印税が紫式部に支払われていたら・・・。
そんな妄想を元に、現在の源氏物語の売上部数などから、紫式部は一体いくらの印税を手に知れていたのかを検証してみました。
源氏物語の誕生秘話と石山寺伝説
世界最古の女流長編小説とも言われる源氏物語。今では世界中で読まれている名作ですが、なぜ紫式部は源氏物語を執筆したのでしょうか?紫式部が源氏物語を書き始めた理由を解説します。
また、源氏物語執筆にまつわる「石山寺伝説」の真相もお伝えします。
源氏物語はなぜ世界で評価されているのか?
今や20以上の言語に翻訳され、世界中で親しまれている源氏物語。日本の古典文学である源氏物語が世界で評価される理由とは?
源氏物語が日本でも海外でも評価されている理由を考察します。
おすすめ源氏物語7選
この記事では、初心者でも読める書籍から漫画まで「源氏物語の入門用書籍」を幅広くご紹介します。あなたにお望みに合った本が見つかりますので、ぜに参考にしてみてください。
紫式部の性格が分かる『紫式部日記』に関して
紫式部は源氏物語だけでなく『紫式部日記』という文学作品も残しています。紫式部日記を読むことで、紫式部の人物像に線ることができます。
源氏物語では分からない、紫式部の実像に迫れる紫式部日記について解説します。
紫式部日記おすすめ5選
紫式部日記を読んでみたいという方に向けて、用途別に5冊のおすすめ本をご紹介ていします。ぜひ参考になさってください。
紫式部に関わる人々
ここでは、紫式部と特に関係の深かった人物をご紹介します。
紫式部が仕えた『藤原彰子』
藤原彰子(ふじわらのしょうし)。紫式部、和泉式部、赤染衛門など、多くの有名女房を従え、女性たちの文芸サロンを築き上げた人物です。
この記事では、彰子と紫式部の意外な関係についてご紹介していきます。
紫式部の娘『大弐三位』
紫式部の娘『大弐三位(だいにのさんみ)』。ちょっと影のある性格だった母 紫式部と違い、大弐三位はとても明るく情熱的な人生を謳歌しました。
そんな大弐三位について解説します。
紫式部の父親『藤原為時』
紫式部の父『藤原為時(ふじわらのためとき)』。紫式部の性格にも影響を与えたというその人物像はどのようなものだったのでしょうか?為時が紫式部に放った心無い一言とは?
この記事では藤原為時について解説します。
紫式部の弟『藤原惟規』
藤原惟規は紫式部日記にも登場するのですが、栄光が目の前にチャンスがあるのにイマイチそれを掴み切れない、ちょっと残念な人物で描かれています。この記事では家系図を交え藤原惟規の人物像をお伝えするとともに、藤原惟規の残念なエピソードをご紹介します。
紫式部の夫『藤原宣孝』
紫式部の夫『藤原宣孝(ふじわらののぶたか)』。紫式部とはどのように結ばれ、夫婦仲はどうだったのでしょうか?また、枕草子でも語られる奇想天外な姿とは?
実は、源氏物語の執筆に大きな影響を与えていた藤原宣孝をご紹介します。
紫式部の親友『小少将の君』
紫式部の親友『小少将の君』。友達が少なかった紫式部にとって、とても大切な存在で、宮廷内でも唯一心を許せる存在だったと伝わっています。
そんな小少将の君の、性格や容姿などの人物像を、紫式部日記に書かれた記述を元に、紐解いてみたいと思います。
紫式部と藤原道長は愛人だったのか?
紫式部が生きた時代は摂関政治の全盛期。そして摂関政治の中心にいた人物こそ藤原道長で、紫式部とも近しい間柄ですた。
一説によると、紫式部と藤原道長は愛人関係だったと言われています。その真相はどうなのでしょうか。
紫式部と安倍晴明は面識があったのか?
平安時代を代表する陰陽師 安倍晴明。紫式部と同様、この時代を代表するビッグネームですが、二人には面識があったのでしょうか?また、史実では何かしらの関りはあったのでしょうか?
紫式部と安倍晴明の関係に迫ります。
紫式部vs清少納言
何かとライバル扱いされる紫式部と清少納言を、様々な角度から比較してみたまとめはコチラからご覧ください。
今後も、紫式部関連の記事を書き次第、随時追加しています。