紫式部の源氏物語。世界最古の女流長編小説とも言われる日本が誇る傑作です。
しかし、その知名度とは裏腹に、実際に読んでみたことのある方は意外と少ないように感じます。全編読み通した方となると、なおさらです。
そこでこの記事では、長大な源氏物語の中から見所をピックアップして、初心者でもわかりやすいようにお伝えしていきます。
今回ご紹介するのは源氏物語の始まりの部分、いわゆる「桐壺(きりつぼ)」のエピソードを解説します。
登場人物や人物相関図も交えてご紹介するので、源氏物語に興味のある方、あるいは源氏物語に挑戦したけど挫折して経験のあるかたは、ぜひ参考になさってください。
「桐壺」の内容と見所
源氏物語の始まりである「桐壺」では、主人公 光源氏の父と母の話から始まり、光源氏の誕生から12歳で元服するまでが描かれます。光源氏はどのような状況で生まれ、どのような環境で幼少時代を過ごしたのか、あるいはどれほど輝かしくて美しい男の子だったのかがわかる興味深い内容です。
特に注目したいのは、光源氏の初恋が描かれ、この恋が後に多くの恋愛を経験していく光源氏の根幹を形造られていったことがわかる内容となっているという部分です。
また、光源氏の将来を暗示するようなシーンもあるため、非常に見所の多いストーリーとなっています。
このように、光源氏の出発点を描く重要な内容ではあるのですが、全体の印象としてはかなり暗い雰囲気で話が進んでいくので、ちょっとびっくりするかもしれません。とは言え、物語のスタートとなる重要な内容なので、ぜひ楽しんで頂ければ幸いです。
「桐壺」の主な登場人物と人物相関図
ここでは、「桐壺」に登場する主要人物をご紹介します。※イラスト作成:当ブログの筆者 拓まろ
光源氏(誕生~12歳)
源氏物語の主人公。桐壺帝と桐壺の更衣の間に生まれる。とても可愛らしい子供だったので「光る君」と呼ばれた。
桐壺帝
光源氏の父親。源氏物語に登場する最初の帝(天皇)。桐壺の更衣を愛しすぎたあまり、彼女が亡くなった後もずっと悲しみ続けている。
桐壺の更衣
光源氏の母親。桐壺帝の妻の一人。帝からの愛を一身に受けていたため、周囲の女性から嫉妬されてしまい、陰湿ないじめを受けている。やがて、精神的にも疲れ果てて病気になり亡くなってしまう。
北の方
桐壺の更衣の母。光源氏の祖母。娘である桐壺の更衣を亡くしたため悲しみに暮れている。
藤壺の宮(6歳~17歳)
先帝の娘で桐壺の更衣とそっくりな見た目をした女性。藤壺中宮とも呼ばれる。桐壺の更衣を亡くし悲んでいた帝の妃の一人となる。義理の息子となった光源氏から密かな恋心を抱かれている。
弘徽殿女御
一番最初に帝の妃になった女性。帝に溺愛されていた桐壺の更衣を激しく妬んでいる。
葵の上(5歳~16歳)
光源氏の正妻。藤壺に恋心を抱いていた光源氏とは、なかなか親密になれずにいる。
「桐壺」主要人物の人物相関図
桐壺に登場する主要人物の相関図です。
「桐壺」のあらすじ簡単解説
これより、源氏物語「桐壺」の簡単なあらすじをご紹介していきます。
まずは、超簡単にまとめた大雑把なあらすじをお伝えしますので、ザックリとしりたい方はコチラをご覧ください。
帝からとても愛されていた桐壺の更衣は、周囲の女性かたたいそう嫉妬されいじめを受けていました。そのような中で、帝と桐壺の更衣の間には、光り輝く美しい男の子(後の光源氏)が生まれたのです。
光源氏が3歳の時、桐壺の更衣へのいじめは激しさを増していき、ついに桐壺の更衣は体調を崩し亡くなってしまいました。
桐壺の更衣を失った帝の悲しみは大きく、何年経っても悲嘆に暮れる日々。そんな帝を見かねた臣下の計らいで、新たに藤壺という女性を妃に迎えたのです。藤壺は桐壺の更衣に似た姿で、たいそう美しい女性でした。やがて光源氏は義母の藤壺に淡い恋心を抱くようになります。
時は経ち、光源氏は12歳で元服、葵上という女性を妻に迎えました。しかし、藤壺に想いを寄せていた光源氏は、葵上を心から愛することができません。
光源氏には、亡き母 桐壺の更衣の部屋が与えられ、さらには桐壺の更衣の実家を改築し、とても立派な屋敷となりました。
光源氏は、藤壺のような理想の女性といつかこのお屋敷で暮らしたいものだと夢見るのです。
それでは以下より、もっと詳細な内容をご紹介していきます。
①桐壺の更衣を愛する帝
どの帝の頃だったででしょうか・・・何人ものお妃さまがお仕えしていた中に、さほど身分の高くない「桐壺の更衣」というお妃が帝にたいそう愛され、その愛を独り占めにしていました。
自分こそが一番であると自負しているお妃たちは、自分より身分の低い桐壺の更衣が帝(桐壺帝)からの愛を独占していることを妬み、イライラが募るばかり・・・。
帝からの愛されるほど周囲の視線がきつくなっていきます・・・
やがて桐壺の更衣は、精神的にも追い詰められ病気がちになってしまい、実家に帰ることも多くなってしまいました。
桐壺の更衣となかなか会えなくなってしまった帝は、
会いたくてたまらないよ
といった想いが強くなり、より桐壺の更衣への愛着を深めていったのです。
②光源氏の誕生
そのような状況でしたが、やがて帝と桐壺の更衣の間には、この世の者とは思えないほどに美しい子供(後の光源氏)を授かりました。しかし、この子は帝の2番目の皇子で、1番目の皇子は弘徽殿女御との間に生まれた子供でした。
1番目の皇子は、祖父の後ろ盾がしっかりしていて、将来は安泰だろうと誰もが思って仕えていましたが、弟の若宮(光源氏)の美しさには到底及びません。
そのため帝は、1番目の皇子もそれなりには可愛がっていたものの、弟の若宮(光源氏)をとても愛していたのです。
このような状況では、1番目の皇子の母親である弘徽殿女御は不安で面白くありません。
まさか、我が子を差し置いて桐壺の更衣の皇子が後の天皇になってしまうのでは?
と疑心暗鬼になってしまうのです。
③桐壺の更衣への嫌がらせ
やがて、桐壺の更衣への嫌がらせが始まり、どんどんエスカレートしていきました。
桐壺が帝の元へ向かう途中にある渡り廊下には汚物がまき散らしてあったり、廊下の前と後ろの扉を閉めてしまって桐壺の更衣を閉じ込めたりと、陰湿な嫌がらせは後をたちません。
こんなことになるなら帝に愛されない方が良かった・・・
桐壺の更衣はとても傷ついた様子でしたが、その姿を見た帝は桐壺の更衣への愛をますます募らせ、自分の部屋の近くに彼女の部屋を与えました。
しかし、もともとその部屋に住んでいた者の桐壺の更衣への恨みは、より一層強まってしまったのです。
やがて、3歳になった若宮は、初めて袴を着る儀式(袴着の儀)を行いました。しかし、この儀式を第一の皇子よりも盛大に行ったために、周囲の批判は絶えませんでした。
とは言え、若宮が成長するにつれ、その美しさや性格の良さはさらに増していき、桐壺の更衣は憎まれたとしても誰も光源氏のことは憎めなかったのです。
④桐壺の更衣 逝去
その年の夏、数々の嫌がられに気を病んでいた桐壺の更衣は、大きく体調を崩してしまいました。
実家で養生させてください
しかし帝は、度々体調を崩していた桐壺の更衣にとってはいつものことだろうと思い、
もう少し宮廷で養生していればよかろう
と言っていましたが、それからわずか5、6日後、桐壺の更衣の病はますます重くなっていき、急激に衰弱してしまいました。
桐壺の更衣の母 北の方は泣きながら、
娘を実家に帰してあげてください
と帝に嘆願し、桐壺の更衣はようやく里に帰ることができたのです。
この時も、もしかしたら嫌がらせを受けるかもしれないと危惧した北の方は、若宮を宮中に置いたまま桐壺の更衣実家へ帰らせました。
実家に帰る直前の桐壺の更衣は変わらず美しかったのですが、顔はやつれ意識は朦朧とし、言葉を発することもできません。
・・・・・・・・
帝は取り乱し、泣きながら語り掛けるけれど、桐壺の更衣が応えることはありません。退出を許したもののどうしても踏ん切りがつかず、桐壺の更衣の側を離れることができませんでした。
この世を去る時は一緒に旅立とうと約束したではないか・・・私だけを残して逝ってしまうなんてことはないよね、ね・・・そうだろう・・・
すると桐壺の更衣が息も絶え絶えに、
・・・こうなることはわかっていましたから・・・
と囁き和歌を詠みましたが、そこから先は言葉を発することができなくなりました。
帝は、
宮中で人が死ぬのは禁じられている。しかしこのままここで看取ってやろう
と思ったものの、周囲から、
僧侶たちがすぐに回復のお祈りをする段取りになっています。今晩からはじめますので
と説得され、泣く泣く退出を許可したのでした。
そして、眠れぬ夜を過ごしていた帝に使者からの報告がありました。
夜中を過ぎた頃、お亡くなりになりました
帝は大きく取り乱し、自分の部屋に閉じこもってしまいました。
⑤桐壺の更衣の葬儀
帝は、桐壺の更衣の忘れ形見である若宮を宮中に留めおきたいと思いましたが、母親を亡くした者が宮中に留まるなど前例のない事だったので、光源氏が実家へ帰ることを許可しました。
幼い若宮は何が起こっているのはわからず、大人たちが泣いているのを不思議そうに見つめているだけでした。
桐壺の更衣の遺体は作法通りに荼毘に付されました。
母である北の方は、
いっそのこと私も煙になって空へ上ってしまいたい
と、ひどく嘆き悲しみ、葬儀に向かう牛車に乗り込みました。その悲しみの大きさは、一体いかばかりだったでしょうか。
娘の亡骸を見ても、まだ生きているように思えてなりません。娘が灰になってしまうのをこの目で見れば、きっぱり諦めもつくでしょう
とは言うものの、実際には牛車から転げ落ちそうなほどに嘆き悲しみ、周囲の人々は声をかけることもできません。
しかし、この時になっても桐壺の更衣を憎む女性は一定数存在しました。
一方では、そのような意地悪な者たちばかりでなく、生前の桐壺の更衣の美しい姿や細やかな心遣いを思い出し、憎むに憎めない者もいたのです。
⑥悲しみに暮れる北の方
桐壺の更衣が亡くなってから数日が過ぎても、帝の悲しみは止まりません。
そんな帝の様子を見て弘徽殿女御は、
亡くなった後まで人を不愉快にさせるご執心ぶりですね!!
と、なおも許す気配がありません。
帝は弘徽殿女御との間に生まれた1番目の皇子を見る度、実家に帰った若宮のことばかり思い出し、たびたび使者を遣わして様子を尋ねています。
やがて秋になり、嵐により肌寒い風が吹いていたある夕暮れ、帝は靫負の命婦(以下、命婦)という女房を、北の方と若宮が暮らす里へ遣わしました。
命婦が北の方の家に到着した途端、すでに悲しみに包まれている気配を感じます。娘を亡くし泣き伏す日々を過ごしたため庭の草木は伸び放題で、たいそう荒れ果てて見えました。
北の方は命婦と対面すると、
このように生きながらえているだけでも辛いのに、帝からの使者がこんな荒れ放題の我が家を訪ねてきて頂きお恥ずかしい限りです
と言って、泣き崩れてしまいました。
そんな北の方に、命婦は涙をこらえながら帝の言葉を伝えます。
『桐壺の更衣が亡くなってから、しばらくは夢ではないかと思っていた。けれど夢ではなく耐え難い思いです。たまには宮中に顔を見せにきてくれませんか?若宮のこともとても気がかりです』と涙しながらおっしゃいました。
そして、命婦は帝からの手紙を北の方に渡しました。
時が経てば悲しみも紛れるかと思い日々を過ごしていますが、耐え難い悲しみは日に日に募るばかりです。若宮がどうしているかいつも案じております。ともに育てることができず気がかりでなりません。亡き桐壺の更衣の形見と思って共に、どうか宮中においでください。
と、手紙には書かれていましたが、北の方の目からは涙が溢れ最後まで読むことができませんでした。
やがて夜は更け命婦は帰ろうとしましたが、北の方とともに悲しみに暮れながら話していると、なかなかその場を離れることが出来ません。
やがて2人は和歌のやりとりを行い、その後、北の方は桐壺の更衣の形見として娘の装束一式と髪を結う道具などを命婦に託しました。
⑦若宮、宮中へ
月日が経ち、ついに若宮が宮中に参上しました。その美しさはこの世の者とは思えないほどであり、帝は、
これほどまでに美しく成長していたのとは・・・なにか不吉なことが起きなければ良いが・・・
と、その優れた容姿にかえって不安を感じるほどでした。
明くる年の春、若宮は4歳になりました。
帝は、弘徽殿女御との間に生まれた1番目の皇子ではなく、弟の若宮を皇太子にしたいと思っていましたが、そんなことをすれば世間からの批判は免れず、若宮をも苦しめることになると考え、口に出すことはありませんでした。
この帝の様子を見て、世間や弘徽殿女御は
帝はあれほど若宮を愛していましたが、やはり「第一の皇子を皇太子にする」という決まりは大切になさっているようですね
と、安心したのでした。
さらに月日がたち、若宮が6歳の時、北の方が亡くなりました。
6歳ともなれば、祖母の死を理解していたようで、涙を流していました。
⑧高麗人の予言と「源」の姓
若宮は7歳になり、文字を読む学習を始めてみたところ、非常に賢いことがわかってきました。
若宮の美しさ、賢さには、さすがの弘徽殿女御も何にも言えません。
くっ・・・・・
さらには、琴や笛などの演奏も上手で、少々気味の悪さを感じるほどの貴公子ぶりでした。
そんなある日、高麗人(朝鮮半島の人)からやってきた人相見の達人がいると知った帝は、若宮の人相を見てもうよう依頼しました。
若宮と対面した人相見はたいそう驚き、
このお方は国の帝王になる人相ですが、そのような方として見ると、国は乱れ民は苦しむことがあるかもしれません。かと言って、政治を補佐する立場として見ますと、そういった人相はしておりません。
と予言したのでした。
この予言は誰もが知るところとなっていきました。
そして、星占いなどでも同じ結果となったため、帝は考え抜いた末に、若宮を皇族から離脱させ、朝廷の補佐役として活躍させる道を選んだのです。
こうして、若宮には「源」の姓が与えられました。
⑨藤壺の入内
何年経っても、帝は桐壺の更衣を忘れられないでいます。
そんな中、前の帝の4女がたいそう美しいと評判で、その姿は桐壺の更衣とそっくりだという噂を耳にします。
帝は、この娘をお妃にしたいと望みましたが、桐壺の更衣へのいじめを知っていた娘の母親は、「我が娘も桐壺の更衣と同じ目に合うのでは?」と警戒していました。
しかしその母も亡くなってしまい、心細い身の上となった娘は、帝からの強い願いもあって、ついに宮中へ参上することとなったのです。
この娘が「藤壺の宮」と呼ばれる女性です。
宮中へ参ります
こうして帝は、桐壺の更衣を完全に忘れることはできなかったものの、少しずつ気持ちの変化が見え始めたのでした。
⑩藤壺を想う光源氏
源の姓を与えられ源氏となった若宮。
父である帝のお妃たちは、若宮から見れば母親世代の女性ばかり。しかし、藤壺の宮だけは14歳と若く、亡き母 桐壺の更衣とそっくりだと聞いて、
もっと藤壺の近くでその姿を見てみたい
と、藤壺のことが気になって仕方がありません。
帝は藤壺に、
どうか源氏を可愛がっておくれ
と頼みます。
しかし、この状況を弘徽殿女御は苦々しく思っていました。
・・・・・
若宮の輝くような美しさは他に並ぶものはなく、やがて人々は「光る君」と称賛し、これまた美しい藤壺は「輝く日の宮」と呼ばれるようになっていったのです。
⑪光源氏の元服
12歳になった若宮(以下、光源氏)は、元服の儀式(今で言う成人式みたいなもの)を行いました。
この儀式はたいそう盛大に執り行われました。
その様子を見ていた帝は、
この素晴らしい儀式を亡き桐壺の更衣が見ていたら、どれほど喜んだだろう・・・
と思い、泣きそうになりました。
元服を済ませた光源氏は、これまた驚くほどの美しさとなっていました。
⑫葵上、光源氏の后になる
光源氏の元服の儀式に参加していた左大臣は、自分の娘を源氏の嫁がせたいと考えていました。
左大臣が帝に意向を尋ねたところ、
妻にしても良いのではないだろうか
とおっしゃったので、左大臣はすっかりその気になり、婚儀の段取りを進めていきます。
その夜、光源氏は左大臣の屋敷を訪れ盛大なもてなしを受けました。
結婚するとは言え、まだまだ子供らしさも残っている光源氏。しかし、妻となる娘は源氏より少し年上だったため引け目を感じていました。
この娘が後に「葵の上」と呼ばれる女性です。
私では不釣り合いではないでしょうか・・・
こうして結ばれた2人でしたが、藤壺に想いを寄せていた光源氏は、葵の上を心から愛することができません。
光源氏には、亡き母 桐壺の更衣の部屋が与えられ、さらには桐壺の更衣の実家を改築し、とても立派な屋敷となりました。
光源氏は、
藤壺のような理想の女性といつかこのお屋敷で暮らしたいものだ
と夢見るのです。
源氏物語「桐壺」のまとめ
以上が、源氏物語冒頭の「桐壺」のおおまかな内容になります。
筆者は源氏物語を読む前、漠然と「光源氏の華やかな恋愛模様が描かれるようなイメージ」を持っていたのですが、実際は桐壺への嫌がらせや、悲嘆に暮れる帝や北の方の様子など、かなり暗くてどんよりとした始まりだったのです。
なお、本記事の冒頭でもふれましたが、今回は初めて源氏物語に触れる方、あるいは読んでみたけど挫折した方に向けて、極めて簡潔にご紹介しています。また、理解しやすさを重視した関係上、作中に登場する和歌も削っているので、きちんとした現代語訳で触れてみたい方は、ぜひ源氏物語の一般書籍に触れてみることをおすすめします。
初心者さん向けのおすすめ源氏物語を紹介している記事もありますので、興味のある方はぜひご覧になってみてください。
本記事が、源氏物語に触れる入り口になれば幸いです。