清少納言と枕草子。
紫式部の源氏物語と並び、日本史上で最も有名な女性&文学作品と言っても良いでしょう。
そんな枕草子ですが、「春はあけぼの」で始まることは広く知られていますが、それ以外の情報はほとんど知られていない印象です。
そこでこの記事では、意外と知られていない清少納言のエピソード、または枕草子をより楽しむための豆知識など、初心者さん向けに8つご紹介します。
②清少納言はこんな顔をしていた
③離婚の原因は性格の不一致とワカメ!?
④紫式部との本当の関係とは?
⑤「春はあけぼの」の次に書いてある内容とは?
⑥枕草子のレンタル制度があった!?
⑦本人の意図に反して枕草子が世に広まってしまった経緯とは?
⑧「枕草子」という題名に秘められた固い絆とは?
清少納言の豆知識
まずは清少納言自身に関する豆知識を4つご紹介します。
①パーマで茶髪!?清少納言の意外な髪形とは?
平安時代の貴族女性と言えば、長い黒髪のストレートヘアーという印象が強いと思います。
当然、清少納言もそうだったんだろうと想像してしまうのですが、実はそうではなかった可能性があるのです。
枕草子の中に、清少納言が自身の髪の毛について言及して箇所があるのですが、その記述を読む限り、彼女は癖毛であった可能性が高く、また髪の色にも不満をぶちまけており、少なくとも真っ黒な黒髪ではなかったと思われます。
また、枕草子の記述から「かもじ」という付け毛をしていたことも明らかになっていることから、清少納言の髪の毛は、一般的に想像されるような平安女性のロングヘアーとはかけ離れたものだったと考えられるのです。
清少納言の髪質についてはコチラの記事で詳しく紹介しているので、興味のある方はぜひご覧になってみてください。
②清少納言はこんな顔をしていた!?
いわゆる「おかめ顔」で描かれることの多い平安時代の女性たち。
実際はどんな顔をしていたのかは気になるところですが、今となっては知る術はありません。
一説には、清少納言はあまり美人ではなかったため、百人一首の彼女の絵札は横向きか斜め後ろ向きになっているものが多いといった説もあり、実際に「百人一首」「清少納言」で検索すると、そういった絵札がたくさん確認できます。
ですが、清少納言に関しては、枕草子で自身の容姿に言及しているのではないか?と考えられている部分があり、その容姿を想像することが可能なのです。
その部分を現代の言葉にするとこのようになります。
眼が縦向きとか鼻が横向きとか、少々不気味な表現もありますが、これが清少納言の顔の特徴を表現しているという説があります。
この部分を元にして、筆者が3Dソフトで清少納言の顔を復元してみた記事もありますので、気になる方はご覧になってみてください。
③離婚の原因は性格の不一致とわかめ?
実は、清少納言はバツイチです。
初婚は16歳頃で、橘則光という体育会系の男性貴族と結婚しましたが、インテリ系の清少納言とは性格が合わず、約10年の結婚生活を経て離婚しています。
とは言え、不仲が原因で別れたわけではないので、離婚後も仲は良かったとのことですが、とある事件がきっかけとなり、清少納言と橘則光の仲は永遠に修復不能となってしまうのです。
その事件の原因となったもの、それが「わかめ」でした。あの海藻の「わかめ」です。
ことの顛末は長くなる為、別記事で詳しく解説していますので興味のある方はご覧になってみてください。
④紫式部との本当の関係とは?
清少納言と双璧を成す平安時代の女性「紫式部」。
そんな紫式部は、一般的に清少納言とは不仲だったと言われています。
ですが、清少納言と紫式部は宮廷出仕していた時期が1日も被っておらず、実際は面識がありませんでした。なので赤の他人だったとも考えられ、だとすると不仲以前の問題になってきます。
ではなぜ、清少納言と紫式部が不仲だったという説が一般的に知られるようになったのでしょうか?
そこには、清少納言が宮廷で過ごした華やかな日々、そんな華やかさを綴った枕草子に原因があったのです。そして、枕草子の壁を超えなければならなかった紫式部の苦悩。
実際の二人の仲はどうだったのか?その真実はコチラの記事でご確認ください。
枕草子の豆知識
続いて、枕草子に関する豆知識をご紹介していきます。
⑤春はあけぼのの次に書いてある内容とは?
枕草子と言えば冒頭部分の「春はあけぼの」があまりにも有名です。
ですが、その後に何が書かれているか知っている方は、あまり多くないように感じます。
「春はあけぼの」の内容は、清少納言が好きな春の情景を綴ったもので、その直後には夏・秋・冬の好きな情景が続いていきます。
ここまでの春夏秋冬の情景を綴った部分が、枕草子の一段と言われる部分です。
では、二段には何が書いてあるのでしょうか?
実は、1月~12月の中で清少納言が好きな月のことが書かれています。詳細はコチラの記事で解説しでいます。
⑥本人の意図に反して世に広まってしまった経緯とは?
今でこそ多くの人が知っている枕草子ですが、どのようにして世に広まっていったのでしょうか?
実は、もともとは人に見せるつもりなどなかったことが、枕草子の跋文(後書きみたいなもの)に書かれています。
ところが、執筆途中だったものが源経房という男性貴族に見つかってしまい、外に持ち出されてしまったと言われています。(※枕草子の注釈書「春曙抄」より)
清少納言の意図に反し、世に出てしまった枕草子。
これは妄想ですが、もし源経房が持ち出さなければ、枕草子が現在に伝わることはなかったのかもしれませんね。
⑦枕草子のレンタル制度があった!?
前述の通り、源経房の手で世に広められた枕草子。
跋文によると、実際に読んだ人からの評判は上々だったようで、そういった評価にも清少納言は驚いていたようです。
このように、好評だった枕草子を読んでみたいと思う人も少なからずいたのでしょう。清少納言の娘である「小馬命婦」によって、藤原範永という人物に枕草子を貸出していたと思われる記述(和歌)が、範永朝臣集という家集に残されています。
もしかしたら、小馬命婦が枕草子のレンタル管理を行っていたのかもしれませんね。
⑧枕草子という題名に秘められた固い絆とは?
枕草子はなぜ「枕草子」というタイトルなのでしょうか?
「草子」は「冊子」という意味なのでわかるのですが、「枕」に関してはイマイチわかりませんよね。
実はこの「枕」にこそ、ある人物と清少納言との固い絆が秘められているのです。
その「とある人物」こそが、清少納言が仕えていた女性「藤原定子」です。
定子と清少納言のあるやりとりがきっかけで「枕草子」という題名が付けられました。
そして、藤原定子を襲った悲劇と清少納言が枕草子に込めた真実とは?枕草子を読む上で非常に重要なことなので、別記事で詳しく解説しています。
この真実を知っているかいないかで、枕草子の印象が全然違ってくるので、ぜひご覧になってみてください。
清少納言&枕草子の豆知識まとめ
以上、清少納言&枕草子の豆知識・うんちく8選でした。
①清少納言は癖毛で茶髪だった可能性が高い
②清少納言の容姿が枕草子で言及されていた(可能性がある)
③わかめが原因で橘則光と完全に決別
④清少納言と紫式部には面識がなかった
⑤枕草子二段には清少納言が好きな月のことが書かれている
⑥源経房に持ち出されてしまい意図せず世に広まってしまった
⑦娘の小馬命婦が枕草子のレンタル手配をしていた
⑧定子との絆が枕草子を誕生させた
清少納言と枕草子の情報を家系図や年表を交え、わかりやすくまとめました。ここを読んでおけば、清少納言のことはほぼわかる内容になっています。じっくり知りたい方はぜひコチラをご覧になってみてください。
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