清少納言の枕草子の中に、あるひとつの珍妙な事件の記録があります。
その事件を「ワカメ事件」と言います。
枕草子の作者『清少納言』と彼女の元夫『橘則光(たちばなののりみつ)』が繰り広げたちょっと微笑ましいエピソードになっています。
元夫婦である清少納言と橘則光の間に一体何があったのか?早速、見ていく事にしましょう。
本記事は音声でも解説しています。本文を読むのが面倒な方や、他のことをしながら聴き流したい方はぜひご活用ください。
ワカメ事件の背景
清少納言が宮仕えしていたのは広く知られていますが、ある一時期だけ清少納言は故郷に帰っていた時期があります。
清少納言が仕える『定子(ていし)』の兄「藤原伊周」と、定子の叔父「藤原道長」の間で権力の座を巡って争いが勃発し、「清少納言は定子を裏切って藤原道長に味方するのではないか?」という噂が立ってしまったため、清少納言は身を隠していたのです。
なお、藤原伊周と藤原道長の争いに関してはコチラの記事で詳しく解説しています。枕草子の執筆意図にも関わる重要な出来事です。
この時、身を隠して郷に帰っていた清少納言の居場所を知っていたのは親しいごくわずかな人だけでした。
一人は『源経房(みなもとのつねふさ)』という人物で、枕草子を持ち出して世に広めた人です。そして、もう一人が清少納言の元夫『橘則光(たちばなののりみつ)』でした。
清少納言と橘則光はもともとは夫婦関係でしたが、約10年の夫婦生活を経て離婚。とは言えケンカ別れなどではなかったので、別れた後もそれなりに仲が良かったそうです。
清少納言の居場所を問い詰められる橘則光
この時、清少納言の居場所を知らず、消息を気にしていたのが『藤原斉信(ふじわらのただのぶ)』という人物でした。清少納言とはお互いの教養を認め合うライバルのような男です。
藤原斉信はライバル清少納言がいなくなってしまい、なんとなく寂しい思いをしていたのでしょう。清少納言がどこにいるか知っている橘則光や源経房に居場所を問い詰めます。
しかし、清少納言の居場所を教えるわけにはいきませんでした。裏切り者と疑われ人付き合いを煩わしく思っていた清少納言に固く口止めされていたからです。
藤原斉信の詮索に対し、しらばっくれる源経房と橘則光。ところが藤原斉信の追求はいよいよ激しさを増してきました。それでも『知らない』と言い張る橘則光と源経房。
引き下がらない藤原斉信。それでも答えるわけにはいかない橘則光と源経房。
しつこく聞いてくる藤原斉信。
このようなやり取りの中、橘則光は嘘をつき続けている自分が可笑しくなってきました。そんな橘則光は隣で知らんぷりして澄ました顔をしている源経房を見て、思わず吹き出しそうになります。
「やばい・・・笑ってしまう・・・嘘がバレる・・・」
そう思った橘則光は思わぬ行動に出ました。
目の前の机に置いてあった大量のワカメ。
則光は目の前のワカメを鷲掴みにし、口いっぱいに詰め込んだのです。
橘則光の奇行にあっけにとられる源経房と藤原斉信。
「こいつは何をしているんだ??」
怪しまれはしたものの、ワカメを頬張るという珍妙な行動により、橘則光はなんとか笑いをこらえることができたのでした。
清少納言と橘則光のやりとり
後日、清少納言の元を訪れた橘則光は、ワカメで笑いをこらえたエピソードを清少納言に伝えました。清少納言は呆れながらも、再度口止めを念押しします。
それからさらに数日たったある日・・・橘則光から清少納言の元に一通の手紙が届きました。手紙にはこのように書かれていました。
「斉信様がしつこく聞いてくるので、もうバラしてもいい?」
藤原斉信は相変わらず清少納言の居場所を気にしていたようで、橘則光をしくこく問い詰めていたのです。
清少納言は橘則光からの手紙に返事をするのですが、手紙の代わりにワカメの切れ端を送り返しました。
橘則光からワカメの話を聞いていた清少納言は、ちょっと趣向を凝らしたお返事したのです。
つまり、
また斉信様に問い詰められたらワカメを口に入れて黙っていてね!
という意味だったです。
ワカメの意図に気づかない則光
後日、橘則光からまた手紙が届きました。
その手紙にはこのように書かれていました。
いきなりワカメが届いたけど、あれな何??こっちはしつこく問い詰められて大変な目にあっているのに!!
橘則光は、清少納言の洒落た返事の意味を全く理解していませんでした。
則満からの手紙を読んだ清少納言は、則光と離婚したキッカケを思い出します。
則光は悪い人じゃない・・でも何か合わない。鈍いと言うか鈍くさいと言うか・・。嫌いじゃないけど絶対的に相性が合わない・・・
枕草子からも伝わってくる通り清少納言は漢詩に通じた知的なやりとりを好むタイプ、一方の橘則光は実直な体育会系で和歌も嫌いだったと伝わっています。憎しみがあった訳ではないですが、清少納言と橘則光は根本的に人間性が違っていたのかもしれません。
則光と縁を切った清少納言
洒落た返事の意図に気付いてもらえず、がっかりしてしまった清少納言。彼女は橘則光に和歌をしたため送りました。和歌は当時の貴族には欠かせぬ教養です。
ところが、橘則光は真っすぐな性格の体育会系で教養に乏しく、相当な和歌嫌いだったと伝わっています。なので清少納言と橘則光の間では、和歌は絶交の合図とされていたようです。
清少納言は和歌を送り、橘則光との縁を切りました。離婚後も仲の良い関係が続いていた清少納言と橘則光。
しかし、清少納言の和歌によってその関係は終わってしまったのです・・・。
その原因がワカメでした。
ワカメ事件から見えてくる橘則光の人物像
以上が枕草子に記された『ワカメ事件』の一部始終です。
清少納言と橘則光の元夫婦が繰り広げるドタバタ劇のような内容ですが、このエピソードからひとつ大事な事が見えてきます。
それは「橘則光の素の人物像」です。
前述のように、橘則光は和歌嫌いの実直な体育会系。職業も検非違使(けびいし)という当時の警察官でした。三人の盗賊に襲われながらも、一人で切り抜けた武勇伝も伝わっています(今昔物語集)。
そんな武勇に優れた豪傑『橘則光』ですが、枕草子ではワカメ事件で見せたような能天気な男に描かれています。
枕草子にはワカメ事件以外にも橘則光のエピソードが書かれています。その中で橘則光は、清少納言の良い評判を聞きつけて、元夫として自分のことのように喜んでいる姿が描かれているのです。
枕草子に描かれるちょっと憎めない橘則光の姿は、元夫婦という非常に近い関係であった清少納言が見たプライベートな橘則光の姿だったのではないでしょうか?
清少納言の居場所を知っている数少ない親しい関係だったからこそ描き出せた豪傑『橘則光』の素の人物像。
枕草子に登場する人々。そんな彼らが表舞台では決して見せないプライベートな一面。
華やかな貴族たちの素の姿が垣間見えるのも、枕草子の面白さのひとつと言えるのではないでしょうか。
ワカメ事件のまとめ
以上、枕草子に描かれた珍事「ワカメ事件」の顛末でした。
ワカメが原因で関係が絶たれてしまった清少納言と橘則光。なんとも微妙な別れ方ですが、こういった軽快なエピソードが集録されている部分も枕草子の魅力のひとつかなと感じます。
なお「ワカメ事件」という名称は一種の通称で、今回ご紹介したエピソードは枕草子八〇段「里にまかでたるに」という章段に集録されています。
※章段数は角川ソフィア文庫「新版 枕草子」に準じています。
ワカメ事件も含め、ぜひ枕草子を楽しんでいただければと思います。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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