優雅な貴族文化が花開いた平安時代の中期の人物でも有名な二人。
一人は、源氏物語を世に送り出した女性『紫式部』
一人は、呪術を変幻自在に操る陰陽師『安倍晴明』
有名なこの二人には、歴史上なにかしらの関係があったのでしょうか?

この記事では、紫式部と安倍晴明の関係性についてサクッと解説していきます。
紫式部と安倍晴明
二人の関係性
結論から言ってしまうと、二人の関係性を示す歴史的事実は残っていません。
直接的な絡みがあったのかもよく分かりません。
実際のところ、二人は年齢差が50歳くらいあります。
紫式部にとって、安倍晴明はお爺ちゃん世代です。
紫式部は生年がハッキリしていないのですが、紫式部が20代~30歳位の時に、安倍晴明は80歳前後。
共通点を見出すとするならば、安倍晴明は陰陽師として朝廷で働いていたこと、そして紫式部も朝廷の女房(皇后の世話係)として宮廷に出仕しています。
ですが、紫式部が宮廷出仕を始めたのが寛弘2年(1005年)12月29日頃と見られており、一方の安倍晴明が亡くなった年が同じく寛弘2年(1005年)であるため、面識すら無かったものと思われます。
意外な接点『藤原道長』
とは言え、紫式部、安倍晴明ともに関わりのあった有名な人物がいます。
『藤原道長』です。

摂関政治で有名な当時の権力者ですね。
元はと言えば、紫式部が宮廷出仕した理由は、道長の要請によるものですし、源氏物語は道長がスポンサーに就いたことで超大作として完成しています。
また、紫式部が使えたのが、彰子(しょうし)という天皇の奥さんで、この彰子は道長の娘です。
一説には、道長と式部は男女の関係であったとも言われています。
ともかくも、紫式部と藤原道長は、お互いの事を知る関係であったことは間違いありません。
一方、安倍晴明ですが、こちらも道長とのエピソードが残っています。
道長は当時の権力者ですから、彼の存在を良く思わない者もいました。つまり政敵がいたわけです。
その政敵が、道長を呪詛する行為をしていましたが、晴明はその呪詛を見破って道長を救っています。また、道長が毒の瓜をたべようとした時に、その瓜を解毒したりもしています。(この逸話は、ちょっと伝説めいた部分が多いですが・・・。)
このように、紫式部、安倍晴明ともに関わりの深かった人物が『藤原道長』です。
年齢差も大きかった紫式部と安倍晴明ですが、もしかしたら藤原道長を介して面識があったり、お互いの存在くらいは知っていた可能性は、あるかもしれませんね。
紫式部より清少納言の方が面識があったかも・・・
以上、紫式部と安倍晴明の関係性でした。
実際のところ、2人はかなりの年齢差があり、ほぼ面識は無かったものと思われます。せいぜいお互いの存在は知っている程度の関係だったのではないでしょうか。
むしろ個人的は、紫式部より清少納言の方が、晴明との絡みがあった可能性が高いのではないかと思います。
これも完全な妄想ですが、清少納言の方が紫式部より宮廷出仕していた時期が早いので、接する機会も多かった可能性はあるのかなと。
この頃の有名な人物って、基本的には宮廷内の人たちなので、お互いの顔くらいは知っていたのかもしれませんね。

ちなみに、紫式部と清少納言は、直接面識がなかったと言われています。
紫式部、安倍晴明、それぞれの単体記事はコチラです。
【紫式部】


【安倍晴明】
