島津斉彬vs島津久光!西郷隆盛に影響を与えたお由羅騒動を簡単解説

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人物のエピソード

ご来訪ありがとうございます。

拓麻呂です。

 

幕末の薩摩藩で、あるひとつの事件が起こりました。

 

薩摩藩主である島津家の時期家督を巡る争い。

 

それを『お由羅騒動』と言います。

 

この『お由羅騒動』ですが、後に日本をリードしていく西郷隆盛や大久保利通にも多大な影響を与えた大事件でした。

 

つまり、幕末の薩摩藩を理解する上で、とても重要な事件でもあるのです。

 

そんな『お由羅騒動』のポイントだけを抽出し、簡単に把握してみましょう。

 

 

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お由羅騒動とは?

島津斉彬vs島津久光

『お由羅騒動』とは一言で言ってしまえば、次期薩摩藩主の座を巡る争いのことです。

 

で、その争いの中心に居た人物が、

島津斉彬(しまづ なりあきら)と 島津久光(しまづ ひさみつ)です。

この斉彬と久光は、兄弟の関係です。

 

つまり、斉彬と久光兄弟のどっちを次の藩主にするか?

ここで薩摩藩の意見が二つに割れたことにより、『お由羅騒動』が発生します。

 

では、なぜ薩摩藩は、斉彬派と久光派に割れてしまったのでしょうか?

 

その理由に、この騒動の名称にもなっている『お由羅(おゆら)』という女性の存在があるのです。

 

 

お由羅とは何者か?

では、お由羅とは何者なのでしょうか?

 

通常であれば、長兄である斉彬が時期藩主になるのが普通です。

 

しかし、ここで久光が候補にあがった理由が『お由羅』にあります。

 

実は、斉彬と久光は兄弟ではありますが、母親が違います。

つまり腹違いの兄弟です。

 

斉彬と久光の父親は『島津斉興(しまづ なりおき)』

 

斉興の正室が生んだ子が『斉彬』。

斉興の側室が生んだ子が『久光』です。

 

ちょっと、分かりづらいかもしれませんので下の図をご覧ください。

このように、お由羅とは斉興の側室であり、久光の母親でもあります。

 

つまり、側室『お由羅』の子供である『久光』を時期薩摩藩主にしようとした動きが、『お由羅騒動』の基本的な概要になります。

 

 

調所広郷の財政再建と斉彬の蘭癖

とは言え、普通に考えれば長兄である斉彬が時期当主となるのが普通の流れです。

ここで、久光の名前が挙がったのには、それなりの理由があります。

火の無い所に煙は立たぬ・・です。

 

当時の薩摩藩は、大変な財政難に直面していました。

 

その財政難を改革した人物が『調所広郷(ずしょ ひろさと)』

 

ところが、斉彬は曾祖父の影響で、たいへんな蘭癖を持っていました。

蘭癖とは、当時の日本が親交のあったオランダの文化や技術への傾倒。

 

つまり、斉彬はオランダかぶれであり、斉彬が当主になってしまうと、その蘭癖が災いし、無駄な出費が増えてしまう。

また藩の財政が悪化してしまう。

 

こういった考えが、斉興や調所にはあったのです。

 

 

つまり久光は、お由羅のみならず、父の斉興や調所の後ろ盾も手伝って、時期当主に相応しい人物として引っ張り出されてきたのです。

 

 

弾圧された斉彬派

このように強力な後ろ盾を背景に、久光派は斉彬派の弾圧を始めました。

 

その結果、斉彬派に属していた50名以上が切腹や流罪となります。

ここでポイントになるのが、西郷隆盛や大久保利通は、斉彬派であったということです。

 

この時、大久保利通の父も処罰を受け、流罪となっています。

 

また、西郷隆盛と親交が深かった『赤山靱負(あかやま ゆきえ)』という人物も切腹処分となりました。

 

このような屈辱を受けた西郷と大久保は、斉彬擁立の為に有志を募り、ある集団を結成します。

 

その有志グループが『誠忠組(せいちゅうぐみ)』です。

 

この『誠忠組』が結成されたことで、西郷は学問に打ち込み、精神を鍛え、斉彬擁立の為、藩政改革の為、日々精進していきます。

 

やがて、この騒動を重く見た幕府が介入し、老中『阿部正弘』は斉興を隠居させ、斉彬を藩主にするよう命じます。

 

こうして、斉彬派は43歳にして薩摩藩の正式な当主となり、お由羅騒動は終息していきました。

 

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西郷と大久保に与えた影響

これが、お由羅騒動のおおまかな概要です。

 

薩摩藩のお家騒動『お由羅騒動』。

 

この事件で、西郷や大久保は直接的な被害を被ったわけではありません。

父や知人は罰せられましたが、彼ら個人が処分されたわけではありません。

 

しかし、この事件は後の西郷や大久保に大きな影響を与えたと、僕は考えています。

 

誠忠組を結成し、邁進していった日々は西郷や大久保が飛躍する為の根幹を作りあげた。

 

そして何より、西郷は後に斉彬の目に留まり、重要な地位に抜擢されています。

 

西郷が歴史の表舞台に登場できたのは、斉彬に抜擢されたことが最も大きな要因です。

 

そして西郷は今なお、多くの現代人に愛され続けています。

 

その出発点は斉彬に登用されたことであり、その斉彬が薩摩藩をリードしていく原点となったのが『お由羅騒動』です。

 

 

明治維新の大きな原動力になった西郷隆盛と大久保利通。

彼らが若き日に味わった屈辱のお由羅騒動、そして斉彬の藩主就任。

 

お由羅騒動は、一見すると薩摩藩の家督争いでしかなかったかもしれません。

しかし、その騒動が生み出した薩摩藩主 斉彬・・

その斉彬が見出した西郷隆盛、そして西郷の盟友 大久保利通。

 

お由羅騒動とは、日本が明治維新を実現する為の出発点であった。

 

そう言っても、決して言い過ぎではないのではないかと、僕は考えています。

 

 

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では、今回はこの辺で!ありがとうございました。