西郷隆盛に影響を与えた赤山靭負ってどんな人?お墓の場所は?

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人物のエピソード

ご来訪ありがとうございます。

拓麻呂です。

 

『赤山靱負(あかやま ゆきえ)』という人物をご存知でしょうか?

 

ちょっとマニアックな人物なので、結構な歴史好きの方でないと、ご存知ないかもしれませんね。

 

しかし、この赤山靱負という人物。

実は西郷隆盛に大きな影響を与えた重要人物なんです。

 

今回はそんな赤山靱負という人物についてお伝えしたいと思います。

 

 

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西郷さんに影響を与えた赤山靱負

赤山靱負のプロフィール

では早速、赤山靱負のプロフィールをご紹介します。

 

【本名】

赤山靱負久普(あかやま ゆきえ ひさひろ)

 

【生年】

文政6年 1月17日

西暦だと1823年

 

【死没】

嘉永3年 3月4日

西暦だと1850年

 

【家系】

日置島津家(ひおきしまづけ)。

日置島津家は薩摩藩主 島津家の分家。

分家とは言え日置島津家は、代々島津本家の重臣を務める家柄です。

 

なお、日置島津家は、戦国時代の島津義弘の弟『島津歳久(しまづ としひさ)』を祖としています。

 

父は日置島津家12代当主『島津久風(しまづ ひさかぜ)』という人物。

 

兄は『島津久徴(しまづ ひさなが)』で、島津本家の29代当主を務めた人物です。

 

 

西郷隆盛との関係

では、赤山靱負と西郷さんは、どんな繋がりがあったのでしょうか?

 

赤山靱負は西郷さんの4つ年上。

薩摩では『郷中教育(ごじゅうきょういく)』と言われる年長者が年少者を指導する教育制度を実施していた為、幼少期から面識があった可能性があります。

 

↓なお『郷中教育』に関してはコチラをご覧ください↓

子供時代の西郷隆盛!英雄を育てた薩摩藩オリジナルの郷中教育とは?
...

 

 

そして西郷さんの父親が赤山靱負に仕えていたことから、西郷さんとも親交があったと言われています。

 

これは推測ですが、父親との絡みで親交があり、郷中教育で年上の兄貴分であった赤山靱負は、西郷さんが幼い頃からお兄さんのような存在であったと思われます。

 

 

お由羅騒動の悲劇

このように親しい間柄であった赤山靱負と西郷さんですが、その別れは突然やってきます。

 

その別れの原因となったのが『お由羅騒動』と言われる大事件です。

 

『お由羅騒動』とは、簡単に言うと。島津家の次期当主をかけた争いの事を言います。

 

そして、その争の主役となるのが『島津斉彬(しまづ なりあきら)』『島津久光(しまづ ひさみつ)』

 

二人の父は『島津斉興(しまづ なりおき)』

斉興の正室の子が斉彬、側室の子が久光です。

 

そして側室である久光の母が『お由羅』と言われる女性です。

ちょっと繁雑なので図で表すと、このようになります。

↓なお、お由羅騒動の詳細はコチラの記事をご覧ください↓

島津斉彬vs島津久光!西郷隆盛に影響を与えたお由羅騒動を簡単解説
...

 

この『お由羅騒動』の結果、赤山靱負は切腹することになってしまうのです。

 

 

赤山靱負の血染めの肌着

ではなぜ赤山靱負は切腹することになってしまったのでしょうか?

 

お由羅騒動で赤山靱負は斉彬派に属していました。

しかも、斉彬派の中心人物です。

 

この時、久光派に属する者たちにより、斉彬派に対する大規模な弾圧が行われていました。

 

その結果、斉彬派の中心人物たちは次々と捕縛され、切腹を命ぜられる者、流刑に処される者、蟄居を言い渡される者が相次ぎました。

 

そんな中、赤山靱負も久光派に睨まれ、切腹を言い渡されてしまいます。

 

1850年 赤山靱負自刃。

 

この時、赤山靱負着用していた血染めの肌着。

 

後日、その肌着が、同じく斉彬派であった西郷さんの元に届けられます。

 

赤山靱負の無念が詰まった血染めの肌着。

 

その肌着を目にした西郷さんは、斉彬擁立を強く心に誓ったと言われています。

 

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赤山靱負が眠る場所

西郷さんの兄貴分でもあり、親しい間柄でもあった赤山靱負。

そんな彼が、無念の切腹と遂げることとなったお由羅騒動。

 

このお由羅騒動、そして赤山靱負の血染めの肌着は、西郷さんの魂に火を付けました。

そして、西郷さんが日々訴え続けた意見書が斉彬の目に留まり、西郷さんは斉彬の側近くに仕えることになります。

 

お由羅騒動と赤山靱負の切腹・・・

この出来事は、西郷さんが歴史の表舞台に登場する、その第一歩と言っても決して言い過ぎではありません。

 

無念の切腹を遂げ、想いの籠った血染めの肌着を西郷さんに届けた赤山靱負。

 

彼の無念は西郷さんを歴史の表舞台へと導き、明治維新という日本を刷新する大革命を実現させました。

 

そんな赤山靱負は、日置市日吉町日置の桂山寺跡に眠っています。

 

赤山靱負の無念に想いを馳せ・・・

西郷さんの震える魂に想いを馳せ・・・

 

赤山靱負が眠るお墓からは、そんな彼らの想いをひしひしと感じることが出来るはずです。

 

↓島津斉彬の記事はコチラから↓

島津斉彬が日本史に与えた影響!西郷隆盛と大久保利通を見出した英雄
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では、今回はこの辺で!

ありがとうございました。