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拓麻呂です。
2018年は明治維新150周年の年回り。
明治維新が日本にとって成功だったのか?それとも失敗だったのか?
昨今いろいろ言われている明治維新ですが、日本の在り方が大きく変わった瞬間であったことは事実です。
そんな明治維新を成し遂げる大きな原動力となったのが長州藩(現在の山口県)と薩摩藩(現在の鹿児島県)。
日本を明治維新へと導いた長州藩と薩摩藩からは、多くの有名人が誕生しました。
長州藩と薩摩藩を中心とした、明治維新人物列伝です。
明治維新とは?
まずは明治維新の基本をサクッと押さえておきましょう。
要点だけをかい摘まんで、コンパクトに解説しています。

長州藩
吉田松陰【長州】(1830~1859)
世界遺産 松下村塾。

この小さな私塾からは多くの英傑が誕生し、後の総理大臣をも輩出しています。
そんな松下村塾の運営者 吉田松陰。
彼の教えは現代人の心をも震わせます。

高杉晋作【長州】(1839~1867)
おもしろき こともなき世を おもしろく
高杉が晩年に残したこの言葉にこそ、彼の人生のすべてが詰め込まれています。
幕末という苦しい時代を凄まじい行動力で、おもしろき人生に変えてみせた高杉晋作の生涯です。


久坂玄瑞【長州】(1940~1864)
高杉晋作と並び、松下村塾の双璧と呼ばれた『久坂玄瑞』。
同時代の多くの有名人から、その才能を高く評価され、師である吉田松陰からも将来を期待された久坂玄瑞とは、どのような人物だったのでしょうか?

木戸孝允【長州】(1833~1877)
維新三傑の一人『桂小五郎』、後の『木戸孝允』
同じ長州藩の高杉晋作や吉田松陰とは、どのような関係だったのでしょうか?
また、逃げの小五郎とあだ名された彼の生涯は、どのようなものだったのでしょうか?
最後は逃げることなく、真正面からぶつかろうとした『逃げの小五郎』に迫ります。

毛利敬親【長州】(1819~1871)
長州藩十三代藩主『毛利敬親』
藩士の進言に『そうせい』と答えていたことから『そうせい侯』とあだ名された敬親。
しかし、敬親の『そうせい』にこそ、上に立つ者のあるべき姿が隠されていました。

薩摩藩
西郷隆盛【薩摩】(1828~1877)
鹿児島県民の方々は、西郷隆盛を親しみを込めて『西郷さん』と呼ぶそうです。
西郷さんには、維新の英雄としての側面と、人々に愛される人柄がありました。
そんな西郷さんのちょっとした人物像に迫ってみたいと思います。




西郷さんが最後を迎えることとなった西南戦争。
西郷さんの最後の様子にせまります。

写真嫌いで有名な西郷さん。
実際はどんな顔だったんだろう・・・

西郷さんを育てた薩摩オリジナルの教育方法『郷中教育』
長州の志士を育てたのが『松下村塾』ならば、薩摩の志士を育てたのは『郷中教育』です。
西郷さんや大久保さんを壮大な男に育て上げた『郷中教育』とは、どんな教育方法だったのでしょうか?

日本史上、最後の内戦『西南戦争』
なぜ西郷さんは、自らが作り上げた明治新政府に反旗を翻さなければならなかったのでしょうか?
西南戦争に至る西郷さんの想いを紐解き、その後の日本に与えた影響に迫ってみたいと思います。

西南戦争で自決した西郷さん。
西郷さんが亡くなった後の世間の反応はどのようなものだったのでしょうか?

大久保利通【薩摩】(1830~1878)
維新三傑の一人に数えられる大久保利通。
西郷隆盛や坂本龍馬にも引けをとらない知名度を誇りながらも、なぜかイマイチ人気のない大久保。
しかし、大久保の活躍こそ、明治維新の本質を捉えたものだったのです。

島津斉彬【薩摩】(1809~1858)
西郷隆盛や大久保利通を輩出した薩摩藩。
その薩摩藩をリードした人物こそ島津斉彬。
斉彬が西郷さんに与えた影響は非常に大きく、西郷さんが歴史の表舞台に登場出来たのは斉彬の存在がなければ、有り得ないことでした。
そんな斉彬が薩摩藩主になるキッカケとなったのが『お由羅騒動』。
斉彬の存在は、そしてお由羅騒動は、薩摩藩が明治維新の主役になる為の出発点でもあるんです。


島津久光【薩摩】(1817~1887)
兄の斉彬亡き後、薩摩藩の実権を握った『島津久光』
藩主でないにも関わらず、幕政に参画し、その実力を発揮した隠れた名君。
生涯、西郷さんと犬猿の仲であり続けた島津久光に迫ります。



赤山靱負【薩摩】(1823~1850)
ちょっとマニアックな人物『赤山靱負(あかやまゆきえ)』
しかし、彼が西郷さんにもたらした影響は非常に大きなものでした。
この男が居なければ、西郷さんは歴史の表舞台に登場出来なかったかもしれません。
赤山靱負が残した血染めの肌着・・・これこそ西郷さんの魂を鼓舞した靱負の想いなのです。

村田新八【薩摩】(1836~1877)
勝海舟をして『大久保利通に次ぐ傑物』と言わしめた『村田新八』。
村田の人生は、まさに西郷隆盛と共にありました。
ある意味、大久保利通よりも濃い絆で結ばれた西郷さんと村田新八に迫ります。

桐野利秋【薩摩】(1838~1877)
人斬り半次郎の異名を持つ桐野利秋。
何とも恐ろしい異名を持つ彼ですが、その実像はとても心優しく情に厚いものでした。
西郷さんを『兄』と慕った人斬り半次郎の実像に迫ります。

有馬新七【薩摩】(1825~1862)
尊王攘夷を掲げ、寺田屋事件(寺田屋騒動とも)に散った『有馬新七』。
薩摩藩士の同士討ちとなった寺田屋事件という悲劇はなぜ起こったのか?
有馬新七の壮絶な最後に迫ります。

西郷吉二郎【薩摩】(1833~1868)
西郷さんの弟 西郷吉二郎(隆広)。
吉二郎は、家を留守にすることの多い兄 隆盛に代わって西郷家を支え続けました。
そんな吉二郎を兄の西郷さんはとっても頼りにしており、吉二郎が亡くなったことをしった西郷さんは大いに悲しんだと伝わっています。

西郷従道【薩摩】(1843~1902)
西郷隆盛の弟『西郷従道』
どうしても兄もネームバリューに負けてしまう従道ですが、西郷隆盛と大久保利通亡き後の彼の活躍には目を見張るものがあります。
西南戦争後の、西郷従道の活躍に迫ります。

奈良原喜左衛門【薩摩】(1831~1865)
イギリスとの国際問題にまで発展した『生麦事件』。
この事件でイギリス人を斬った男、それが『奈良原喜左衛門』です。
ちょっとマニアックな奈良原喜左衛門とは、どのような人物だったのでしょうか?

天璋院 篤姫【薩摩】(1836~1883)
薩摩が生んだ13代将軍 家定の御台所『篤姫』
同じ薩摩出身の有名人と言えば『西郷隆盛』
この二人には、何か接点はあったのでしょうか?
実は日本の歴史の大きな分岐点となった重大事件で、意外な接点があったんです。


生涯、徳川家の女性として生きることを決意した篤姫。
無血開城の後は、どのような余生を送っていたのでしょうか?

西郷糸子【薩摩】(1843~1922)
西郷さんにとって三番目の妻となった糸子夫人。
彼女のエピソードや、西南戦争で西郷さんが世を去った後の、糸子夫人をご紹介します。

愛加那【薩摩】(1837~1902)
西郷さんが流罪となり奄美大島で生活している時のこと。
西郷さんは2人目の妻を娶ることとなりました。
その妻が『愛加那』と呼ばれる女性。
西郷さんが深く愛した、愛加那との馴れ初めの物語です。


西郷隆盛と大久保利通の関係
薩摩が生んだ二人の偉人。西郷隆盛と大久保利通。
共に明治維新を成し遂げた二人の本当の関係に迫ります。

土佐藩
坂本龍馬【土佐】(1836~1867)
日本史で1番好きな人物は?と聞かれれば、必ずトップ3には入るであろう人気者『坂本龍馬』
でも、実際のところ龍馬ってどんな活躍をした人なんでしょう。
史実の龍馬像から、人気の秘密を紐解いてみたいと思います。

越前福井藩
松平春嶽【越前】(1828~1890)
越前福井藩主『松平春嶽』
幕末の四賢侯の一人にも数えられる名君の人生はどのようなものだったのでしょうか?
明治という元号の名付け親でもあり、日本にりんごを導入した人でもある松平春嶽に迫ります

橋本左内【越前】(1834~1859)
幕末を代表する秀才『橋本左内』
西郷隆盛や吉田松陰といった同時代の偉人からも、その才能を絶賛されている左内。
緒方洪庵の適塾で学び、志を持って幕末を駆け抜けた男の生涯に迫ります。

江戸幕府
徳川慶喜【幕府】(1837~1913)
江戸幕府15代将軍『徳川慶喜』
最後の将軍となった慶喜は大政奉還や明治維新の後、何をしていたのでしょうか?
あまり語られることの無い、徳川慶喜のその後に迫ります。

徳川家定【幕府】(1824~1858)
病弱だったと伝わる江戸幕府13代将軍『徳川家定』
そんな家定に嫁いだ篤姫。
実際のところ、家定と篤姫の夫婦仲は良かったのでしょうか?
二人の間には夫婦関係を超えた、確かな信頼関係がありました。

井伊直弼【幕府】(1815~1860)
安政の大獄を主導した大老『井伊直弼』
最後は桜田門外に散った井伊は、歴史的なヒール役とされることが多いです。
しかし、それは井伊の一側面を切り取ったものに過ぎません。
英雄 井伊直弼の本当の姿を見てみることにしましょう。

その他の人々
月照(1813~1858)
清水寺成就院住職『月照』
僧侶の身でありながら、尊王攘夷を掲げ多くの幕末志士たちと関わった月照。
そんな月照は、西郷さんととても深い関りを持っていました。

おゆう(杉浦勇)(?~1918)
維新三傑 大久保利通には正妻の他に、心から愛したもう一人の女性がいました。
京都で出会った芸妓『おゆう(杉浦勇)』
大久保利通が愛したおゆうとは如何なる人物だったのでしょうか?
そして大久保とはどのような関係だったのでしょうか?

幕末予備知識
尊王攘夷とは?
幕末とは、黒船来航に始まる欧米列強の脅威に対抗する為、多くの思想が渦巻いた時代。
明治維新とは、当時の人々の思想無くしては、その行動原理が理解しにくい出来事です。
そんな幕末思想についてです。

安政の大獄とは?
大老『井伊直弼』
彼が断行した安政の大獄では、多くの志士たちが犠牲になりました。
なぜ井伊直弼は、安政の大獄を断行したのか?
そして、どのような人物が犠牲になったのでしょうか?

八月十八日の政変とは?
池田屋事件、禁門の変の発端となった事件『八月十八日の政変』
見落とされがちだけど、とても重要な八月十八日の政変をサクッと解説します。

池田屋事件とは?
新選組の名を世にしらしめることとなった『池田屋事件』
この騒動は一体どのような経緯で発生したのでしょうか?
その背景には、現代人の教訓となる局長 近藤勇の英断がありました。

薩英戦争とは?
日本の一地方である薩摩藩と、世界に名立たる大英帝国が激突した薩英戦争。
なぜ薩摩藩は、こんな無謀な戦争に突入することになったのでしょうか?
そして、この戦争の勝敗は一体どちらなのでしょうか?
薩摩藩の奇跡の大勝利!?薩英戦争に迫ります。

禁門の変とは?
幕末を動きを一気に加速させた『禁門の変』
この戦いで、長州藩と薩摩藩の亀裂は決定的となり、時代は大きく動いていくこととなります。

下関戦争とは?
長州藩が、当時の列強四カ国イギリス、フランス、オランダ、アメリカと激突したし『下関戦争』。
どう考えても勝てっこない下関戦争に突入していったキッカケは何だったのでしょうか?
下関戦争の経過と、その後の高杉晋作の凄まじい講和交渉に迫ります。

江戸無血開城とは?
勝海舟と西郷隆盛が見せた奇跡の和平交渉『江戸無血開城』
江戸と言う大都市に一滴の血も流すことなく実現したこの会談から見えてくるもの。
それは、日本神話から続く日本人の精神、源流。
幕末の『国譲り』江戸無血開城を僕の主観も交え、わかりやすく解説します。

幕末の人物の身長は?
幕末を彩るたくさんの偉人たち。
彼らは一体どのくらいの身長だったのでしょうか?
ちょっとした歴史の雑学です。
大久保利通って大男だったんですよ!

2018年大河ドラマ『西郷どん』キャスト
2018年大河ドラマ『西郷どん』のキャスト情報です。
2008年の『篤姫』のキャストから紐解く見どころもお伝えしています。

幕末オススメ書籍
幕末初心者さん向け
幕末って、いろんな人が登場して、それぞれの思想で動いているから、最初はちょっと把握しづらい時代なのかなと思います。
そんな幕末~明治維新が、初心者さんでもサクッと分かるオススメ本のご紹介です。

司馬遼太郎のオススメ幕末小説
幕末の人物の生涯を描かせたらこの人の右に出る者はいないでしょう。
司馬遼太郎先生です。
坂本龍馬や土方歳三を超人気者に押し上げた司馬先生の幕末小説で明治維新を振り返ってみましょう。
