平安時代を代表するの二人の才女。
枕草子の作者『清少納言』
源氏物語の作者『紫式部』
後世に多大な影響を及ぼす文学作品を生み出した彼女たちは、一体どんな容姿だったのでしょうか?
残念ながら、この時代に写真技術は存在していないため、ハッキリした事はわかりません。
後世に描かれた肖像画などもありますが、彼女たちの存命時に描かれたものではありません。
その容姿は闇の中・・となりそうですが、そうでもありません。
彼女たちが残した文学作品などから、なんとなく想像することが出来るのです。
清少納言と紫式部は美人だったのか?
個人的な主観も交え、二人の才女の容姿に迫ってみたいと思います。
ちなみに、清少納言と紫式部の顔を復元してみた記事もあります。
興味のある方はご覧になって見て下さい。
清少納言と紫式部の容姿
平安時代の女性はおかめ顔?
まずは、一般的にイメージする平安時代の女性を確認しておきましょう。
おそらく平安時代の女性と言うと、こんな顔を思い浮かべるのではないでしょうか?
いわゆる『おかめ顔』ですね。
ちなみにこの絵は江戸時代に描かれた紫式部です。
せっかくなので清少納言も見ておきましょう。
なんか似てますよね。
と言うか、平安時代の女性はだいたいこんな感じで描かれています。
念のため補足ですが、この顔は『平安美人』をデフォルメしたもので、当時の女性がみんな『おかめ』だった訳ではありません。このような肖像を『引目鉤鼻(ひきめかぎばな)』と言いますが、これは平安女性を描く時の技法です。
現代でも、美少女アニメに登場する女性は、目がパッチリしていたりと共通点があると思います。それと同じことなんですね。
現代とは美的感覚が違うのですが、当時はこれが美人でした。
- 白粉(おしろい)で真っ白な顔
- 目は細くて切れ長
- おちょぼ口
- 引き眉
- 下ぶくれした顔
美人の条件!スーパーロングの黒い髪
そして、この時代の美人の条件の代表格が『長い黒髪』です。
その長さと言ったら、自分の身長よりも長かったのだとか・・・。
このまっすぐ伸びた長すぎる黒髪こそが、平安女性の美の象徴でした。
そして、この髪の毛に関する興味深い記述が、彼女の作品『枕草子』に記されています。
その記述を元に、まずは清少納言の容姿に迫ってみる事にしましょう。
枕草子から読み解く清少納言の髪型
枕草子一八四段『宮に初めて参りたるころ』という章段で、彼女は自身の髪の毛に言及しています。
彼女が宮仕えを始めて間もない頃、主である定子(ていし)の前で恐縮しているシーンで、このような感情を吐き出しています。現代語で見てみましょう。
『灯した明かりで、私の髪の節が昼間より良く見えてしまって恥ずかしい・・』
さらに、このような事も言っています。
『髪で顔を隠していたけれども、私の髪は人に見られたら恥ずかしい髪なのに・・』
これらの記述から、清少納言は自分の髪の毛に自信がなかったことが分かります。
また、枕草子八三段『かへる年の二月廿よ日』という章段で非常に興味深いことを書き残しています。
『私のような年増は、髪が所々ちぢれている、自分の毛ではないし・・・』
この記述から、清少納言は髪に自信がないから、付け毛をしていたことがわかります。
この付け毛を『かもじ』と言いますが、長さの足りない髪を補うウィッグみたいな物です。
このように枕草子の記述から、清少納言はストレートのロングヘアーが出来ない癖毛だったことが想像できます。
ちなみに、枕草子二八段『憎きもの』では、このような記述もあります。
『硯に髪が入っていることに気付かず墨をすっていた・・憎たらしい!』
という事は、それなりの長さはあったようですね。
また、地毛の色と『かもじ』の色が合わない事でも文句を言っている箇所もあるため、清少納言は少し茶色い髪色をしていたのではないかという説もあります。
ともかくも、清少納言は枕草子で自分の容姿を要所要所で蔑んでいるので、本人的には美人だとは思ってなかったようです。
源氏物語から読み解く紫式部の美意識
続いて紫式部ですが、彼女の作品『源氏物語』はあくまで物語であり、紫式部が登場するわけではないので、直接的に容姿を読み取るのは難しいです。
ここは想像を膨らませて、源氏物語の執筆傾向、そして登場人物『末摘花(すえつむはな)』の容姿から強引に想像してみましょう。
源氏物語にはたくさんの美女が登場しますが、その中で異彩を放つのが『末摘花』という女性です。紫式部は、末摘花をひどくブサイクな人物として設定しています。
そのブサイクぶりは、以下のような感じです。
『顔が青白く、鼻が垂れ下がっている、しかも赤っ鼻、でも髪は綺麗』
変わった形の鼻をした女性ですね。
ちなみに源氏物語に登場する美女たちの容姿は、ここまで詳細な説明はありません。
なぜ末摘花のブサイクぶりだけが、細かく設定されているのでしょうか?
その可能性のひとつとして、『紫式部は末摘花に自分のコンプレックスを投影しているのではないか』という見解があります。
というのも、小説家は多くの場合、自身のコンプレックスを登場人物に投影することがあると言います。
だからこそ、他の登場人物には無い詳細な容姿を設定し、自分の作品に投影しているのではないか?ということですね。
なお、紫式部は時の権力者『藤原道長』にも気に入られていたようで、一説には男女の関係を持っていたともされています。
百人一首の清少納言と紫式部
ちなみに、百人一首の清少納言について面白い説があります。
百人一首に描かれた清少納言はこのような容姿をしています。
このように、百人一首に描かれる清少納言は、横を向いているケースがあります。
『清少納言 百人一首』で画像検索すると、横向き(もしくは斜め後ろ向き)の清少納言がいくつか出てきます。
何故、彼女は横を向いているのか?
どうやら、清少納言は容姿がイマイチだった為、顔を正面から描くことを避けた、というのが原因らしいのです。
真偽のほどは不明ですが、彼女の容姿を探る上で、ひとつのヒントになるのかなと思います。
せっかくなので百人一首の紫式部も見ておきましょう。
こちらは、顔がしっかりわかりますね。
彼女は源氏物語の他にも『紫式部日記』という文学作品も残していますが、その日記でも自身の容姿に言及していません。
逆に、清少納言は何でもベラベラ喋る明るい性格だったと思われ、自虐ネタっぽく枕草子の中で自身の容姿に触れています。
しかし、紫式部は目立つのが嫌いな性格だったようなので、自分の容姿をさらけ出すような内容は書きたくなかったのかもしれませんね。
結局2人は美人だったのか?
以上が清少納言と紫式部の容姿を強引に探ってみた結果です。
清少納言に関しては、枕草子のおかげで多少なりとも容姿が想像できますが、紫式部は妄想に頼るしかありませんでした。
で、結局2人は美人だったのか?
彼女たちの文学作品のイメージでは、このように感じます。
『可愛らしくて童顔な清少納言』
『綺麗で大人の色気がある紫式部』
彼女たちの文学作品に触れると、彼女たちの性格が想像でき、なんとなく外見もイメージしてしまいます。
性格は真逆の清少納言と紫式部。
その容姿も、きっと真逆だったんじゃないかな?と妄想しながら、今日も枕草子や紫式部日記を楽しんでいます。
美人の条件
最後に平安時代に重要視された、もうひとつの美人の条件をお伝えしておきます。
平安時代の女性は、基本的に顔を隠しています。当時、女性にとって顔を他人に見られるのは、はしたない事という価値観が存在しました。
顔の下半分を扇で隠している平安女性の姿を、再現映像やドラマなどでも見たことがあると思います。
なので、男性は宮廷女性の顔を見る為に、彼女たちのプライベートを外から覗き見したりもしていたようです・・。
当然ながら、顔を見なければ容姿は分かりませんし、美人であるかも分かりません。
では、当時の男性は、どこで女性の美を見出していたのでしょうか?
それは『教養』です。
平安時代は、教養ある女性=美人なのです。
教養にもいろいろありますが、その中でも大事なのが『和歌』でした。
つまり、和歌が上手な女性は美人なのです。
だから、当時は男女間の手紙のやり取りがよく行われていました。
その手紙には和歌が添えられています。
顔の見えない女性から届く素晴らしい和歌に、男性は心惹かれていたのです。
現代はスマホで写真を撮れば、その画像をすぐにSNSなどでみんなに公開することが出来ます。
そんなことが出来なかった平安時代は、和歌からその女性を想像しドキドキしながら手紙待っていたことでしょう。
便利な世の中ではなかったからこそ味わえるドキドキが、この時代にはありました。
それはそれで、古き良き時代だったなのかなぁ・・とも思います。
清少納言も紫式部も、当時を代表する教養の持ち主です。
『教養こそが美人の条件である』
そういった意味では、二人とも超美人なのです。
清少納言と紫式部は、二人とも平安時代を代表する美しい女性だったのです。
ちなみに、清少納言と紫式部の顔を復元してみた記事もあります。
興味のある方はご覧になって見て下さい。
他にも、いろんな角度から二人を比較してみました。
【参考にした主な書籍】