国風文化が生まれた理由と特徴!かな文字と清少納言や紫式部の活躍

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時代背景

今からおよそ千年前の平安時代・・・日本らしい素敵な文化が誕生しました。

その文化を「国風文化」と後世の我々は呼んでいます。

 

この国風文化には、現代に通じる女性たちの活躍を見出すことが出来るのです。

 

平安時代中期にキラ星の如く現れた才女たち。今回は、そんな国風文化から見えてくる女性の活躍、そしてその背景にある平和な時代に迫ってみたいと思います。

 

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国風文化とは?

では、まず国風文化の概要を簡単にお伝えします。

 

国風文化とは平安時代中期(10世紀から11世紀頃)に栄えた文化です。今からおよそ千年前ですね。

 

国風文化誕生以前にも『天平(てんぴょう)文化』や『弘仁・貞観(こうにんじょうがん)文化』など様々な文化が発展しますが、これらの文化はお隣の国『唐』の影響を受けていました。

しかし、国風文化が栄えるちょっと前、菅原道真によって『遣唐使(けんとうし)』が廃止されます。

これにより、日本と唐(中国)との交流がなくなったことで、日本オリジナルの文化が発達、あるいは加速していくことになりました。

 

このような背景の元で誕生したのが、日本風の文化「国風文化」です。

 

女性たちが形作る国風文化

その国風文化を形成する要因は「古今和歌集」の編纂や、最古の仮名物語「竹取物語」などいろいろな要素がありますが、その中でも特筆すべき点のひとつとして「女流文学」の発展が挙げられます。

 

いくつか列挙すると、

世界最古の女流随筆「枕草子」の作者『清少納言(せいしょうなごん)』
世界最古の女流長編小説「源氏物語」の作者『紫式部(むらさきしきぶ)』
自身の恋愛経験を綴った「和泉式部日記」の作者『和泉式部(いずみしきぶ)』

といった作品や人物が代表的です。

 

国風文化の頃に権力を握っていた藤原氏は、娘を天皇に嫁がせ天皇の親戚になることで権力を手にしていました。そして天皇に嫁いだ娘に、有能な「女房」と言われる女性たちが仕えていました。「女房」とは天皇やそのお后様などの高貴な人物の身の回りのお世話、話し相手、そして教育係として仕えた女性たちです。

 

この女房として宮中で働いていたのが、清少納言や紫式部に代表される平安時代の女性たちです。

こうしてたくさんの女性たちが活躍する土台ができ、国風文化が発展するひとつの要因となっていくのです。

 

かな文字の誕生

このような女性が活躍する場が現れたことで、そこに出仕する女性たちがセンスを発揮し始めます。この頃から『かな文字』、つまり「ひらがな」が誕生し、女流文学の発展を大きく後押ししていくのです。

 

当時は『漢字は男性貴族が書く文字』とされていたので、『ひらがな』が誕生したことで女性も気軽に文字が書けるようになったのです。なので『ひらがな』とは、元々は女性が書く文字でした。

 

このように「ひらがな」が発展したことにより、女房たちがそれぞれの個性を発揮し、小説、随筆、和歌、日記などの様々な文学が発展していくのです。

 

平和の象徴『国風文化』

かなり要点を絞っていますが、以上が国風文化の中でも重要な位置を占める「女流文学」に絞って、大まかな概要をお伝えしました。

 

そして、もう一つ、国風文化を形作る大きな要素が存在しています。

 

それは、国風文化の時代が戦乱の時代ではなかったということ。女性が活躍する時代とは、その背景に『平和』があるのです。

 

平和では無い時代を仮に『乱世』としましょう。

世の中が乱世だと、当然ながら戦争が起こります。戦争とは戦いであり腕っぷしの強い男性の方が重宝されやすくなります。

 

つまり乱世とは男性が活躍しやすい時代であり、力で劣る女性は男性を支える脇役とならざるを得なくなります。

 

人類の歴史とは残念ながら戦争の繰り返しです。これは日本史だけでなく世界史でも同様です。

ところが国風文化が栄えた平安時代中期には目立った戦争が起こっていません。政治的な小競り合いは発生していますが、それが大きな武力衝突には発展していないのです。

 

世界を見渡すと、例えばジャンヌ・ダルクのような武勇に優れた女性が現れることもありますが、それはあくまで個人の活躍であり、社会的に女性が活躍する場があったわけではありません。

あるいは日本国内でも、北条政子や日野富子といった女性が歴史の表舞台に登場してくることもありますが、彼女らは時の権力者の正妻であり、あくまで政治的な立ち位置から歴史に登場してきます。

 

しかし、日本では今からおよそ千年前に、宮中で働いていた多くの女性たちに活躍の場が与えられ、政治や軍事とはあまり関係の無い土壌から、世界に先駆けて多くの文学作品が生み出されました。そしてその時代に生きた女性たちの名(女房名)が現代まで伝わり、その作品が今でも読み継がれています。

特に源氏物語は、世界最古の女流文学として世界中で親しまれる作品にまでなっています。

 

これは世界の歴史の中でも特筆すべきことではないでしょうか。

 

世界史を見渡した時、確かに一時の平和が訪れている事もあります。ただ、そこに女性が活躍する社会は現れていません。そして、また戦乱の世に突入していきます。

 

ところが日本は、宮中に女性が活躍する舞台が与えられ、そこに集った女性たちが「文学」という政治や軍事とはあまり関係の無いジャンルでそのセンスを輝かせたのです。

 

この時代に男性が残した文学も確かに存在はしています。御堂関白記や小右記などがそれにあたります。しかし、源氏物語や枕草子の知名度には遠く及びません。

 

しかも、歌人の紀貫之(きのつらゆき)が女性になりきり、あえてひらがなで書いた「土佐日記」という作品も残っています。この事実からも、平安中期の女流文学が如何に発達したものだったかが推測できるのではないでしょうか。

 

偶然であろうと必然であろうと、千年前に女性が大いに活躍した日本の先進性。これこそが国風文化の素晴らしさであり、日本が成し得た世界に誇る歴史なのです。

 

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国風文化に見る現代社会

現代でも、女性の社会進出が叫ばれ、実際に女性たちが活躍しています。

これは、国風文化の時代と同様、現代社会が平和な証です。様々な社会問題を抱えている現代日本ですが、その根底には平和な社会が土台としてあるのです。

 

平和だったとは言え、国風文化の時代にも社会問題はありました。

 

しかし、そんな社会問題にも負けず、平安女性たちはそのセンスを発揮し、時には前向きに、時には引きこもりつつ、その人生に花を咲かせました。

 

平和な世の中を世界に先駆け実践していた国風文化、そしてその時代をたくましく生きた女性たちは千年の時を超え、現代社会の進むべき道を示し続けているのです。

 

千年前に女性が活躍する社会が確立していた日本。その時代を生きた清少納言が、枕草子の中でこのような言葉を残しています。

清少納言
清少納言

ずっと家庭に入ったままで小さな幸せに満足しているだけではつまらないでしょう、立派な娘には宮廷出仕をさせて、社会を知り、見聞を広めてもらいたいと私は思っています

 

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