宮仕えとは?平安時代の宮仕えの内容や意味、活躍した女性たちを解説

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時代背景

源氏物語や枕草子が誕生した平安時代中期、一部の女性たちは「宮仕え(みやづかえ)」をしていました。宮仕えとは簡単に言うと、宮廷で働き高貴な人物にお仕えすること。

 

そんな宮仕えとは、一体どんな仕事内容だったのか?あるいは宮仕えしていたのはどんな女性たちだったのか?など、宮仕えに関して初心者にも分かりやすく解説していきます。

 

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宮仕えとは?

冒頭でもお伝えした通り、宮仕えを簡単に言い表すと「宮廷で働き高貴な人物にお仕えすること」です。宮廷とは天皇や天皇のお后様がお住まいになっていた場所で、天皇やお后様にお仕えするのが宮仕えなのです。

この宮仕えをしていた女性たちを女房(にょうぼう)」と言います。

 

平安時代中期以降に宮仕えをしていた女性たちは、主に中級貴族の娘が採用されるケースが多く、清少納言や紫式部といった有名な女性たちも中級(~下級)貴族くらいの出身だったと見られています。

 

平安時代の中頃は、多くの女性たちが宮仕えをしていました。つまり、この時代は女性が外に出て働く時代でもあったのです。

 

あまり良く思われていなかった宮仕え

しかし一方で、女性が外に出て働くことを良く思っていなかった者もいたようです。

清少納言の枕草子(二一段)には以下のような一文があります。

清少納言
清少納言

宮仕えする女性を非難したり、世間体が悪いと言うような男性は本当に憎らしいです!

 

また、菅原孝標女(すがわらのたかすえのむすめ)が書いた更級日記(四九段)にも、こんな一文があります。

菅原孝標女
菅原孝標女

古い考えの父は「宮仕えなんてするもんじゃない」と思って、私を家に閉じ込めてしまいました・・・。

※枕草子、更級日記ともにわかりやすくするため現代の言葉に置き換えています。

 

清少納言と菅原孝標女はともに宮仕えを経験した女性です。そんな彼女たちの発言から察するに、宮仕えには一定数の反発があったものと思われます。

これには当時の時代背景も大きく影響していて、当時の貴族女性は「男性に顔を見られるのを恥」とされ、「男性に顔を見せる=結婚」くらいの考え方が一般的だったのです。

 

ところが宮仕えをしていると、宮廷という公の場で働くため、どうしても多くの男性の目に晒されることになります。ゆえに、宮仕えに抵抗を示す人も多かったと考えられているのです。

 

宮仕えの仕事内容

では、宮仕えではどんな仕事をしていたのか見て行きましょう。

 

基本的には天皇のお后様に仕えて教育係を任されていたため、お后様の身の回りのお世話や話し相手、お后様に来客があった際の対応などを行っていました。また、裁縫やお香の調合など宮仕えするうえで大事なスキルでした。

 

当時の文学作品にも、女房たちが働いている姿が描写されているので、その一部を現代の言葉に置き換えてご紹介します。

清少納言
清少納言

お后様が髪を梳かしたり顔を洗ったりするため、私に鏡を持たせて鏡をご覧になる。

 

※枕草子(六段)「上にさぶらふ御猫は」より

 

清少納言
清少納言

「天皇のお召し物を急いで縫い上げよ」とのことなので、女房たちが集まり競うようにして作業をしました。

枕草子(九一段)「ねたきもの」より

 

紫式部
紫式部

お后様が漢文を学びたいとおっしゃるので、皆にバレないようこっそり講義をしています。

※紫式部日記「漢才の用い方」より

 

このように、天皇のお后様の側近くで身の回りの世話を行っていたことが分かります。この他にも、宮廷のイベントにはお后様の側近くに控え、一緒に催し物を観覧している姿なんかも描かれています。

また、紫式部が漢詩の講義などをしていたことからも、宮仕えをする女房には教養が求められていました。現代でいうところの家庭教師のようなものですね。

 

なお、宮仕えをするためのルートはいくつかあり、母親から引き継いで女房をしているケースもあったようですが、多くの場合は中流貴族の娘から教養のある女性が選出され、宮廷からの要請で出仕することが多かったと考えられています。

 

宮仕えをしていた有名な女性

以下より、宮仕えをしていた女性の中から、現在まで読み継がれる文学作品を残した人物を中心にご紹介します。

紫式部

源氏物語の作者「紫式部」/Wikipediaより

紫式部藤原彰子に仕えた女房です。平安時代の女房の中で最も有名で、日本の歴史を代表する女性と言っても過言ではないのではないでしょうか。源氏物語を世に送り出した、日本が世界に誇る女性作家ですね。性格的には人見知りで、現在で言うところの陰キャだったようです。

【代表作:源氏物語紫式部日記

 

清少納言

枕草子の作者「清少納言」/Wikipediaより

清少納言藤原定子に仕えた女房で、紫式部と双璧を成す平安時代を代表する女性です。代表作である枕草子は、三大随筆(枕草子、方丈記、徒然草)のひとつに数えられ、今も多くの人々に読み継がれています。性格は明るく朗らかで、現在で言うところの陽キャだったようです。

【代表作:枕草子

 

和泉式部

和泉式部日記の作者「和泉式部」/Wikipediaより

和泉式部は藤原彰子に仕えた女房で、恋多き女性として知られた女性です。また和歌の才能にも長けており、その実力は紫式部にも認められていました。紫式部や清少納言に比べると知名度ではやや劣りますが、同時代を代表する女性であることには違いありません。

【代表作:和泉式部日記

 

赤染衛門

栄花物語の作者と言われる「赤染衛門」/Wikipediaより

赤染衛門は源倫子と藤原彰子に仕えた女房で、良妻賢母として知られた女性です。和歌の歌風は落ち着きがあり和泉式部とは対照的だったそうです(紫式部談)。一説には「栄花物語」の作者だったとも言われています。

【代表作:栄花物語(諸説あり)】

 

菅原孝標女

菅原孝標女(すがわらのたかすえのむすめ)は、祐子内親王に仕えた女房です。本名も女房名も伝わっていない為、「菅原孝標の娘」と呼ばれています。源氏物語が大好きな少女だったため、現在では「元祖文系女子」と呼ばれたりします。

【代表作:更級日記、夜半の寝覚(諸説あり)、浜松中納言物語(諸説あり)】

 

宮仕えに関するまとめ

以上、宮仕えの解説と宮仕えをしていた女性たちでした。

 

宮仕えとは、宮廷の高貴な人物にお仕えする仕事で、当時の教養ある多くの女性たちが働いていたのです。そして、その女性たちが現在まで読み継がれる文学作品を残しました。

 

今から千年前という時代に政治や軍事と関係の無いところで、女性たちによる文学という娯楽文化が発達したことは、世界史的に見ても稀です。

この事実は日本の歴史の中でも特に大きく誇れる部分であり、一人でも多くの日本人に知って頂けたらなと願っています。

 

平安時代の女性たちによる王朝文学、そして個性豊かな女性たち、そんな平安時代の文学作品や女性たちに関してたくさん執筆していますので、コチラからぜひご覧になってみてください。

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紫式部、清少納言、和泉式部、赤染衛門、伊勢大輔・・・歴史の表舞台に数多くの才女が登場した平安時代中期。ここでは、日本が世界に誇る女性たち、そして、枕草子や源氏物語などなど、彼女たちが残した素晴らしい文学作品などをご紹介しています。

 

最後に、彼女たちが現在の私たちに残してくれて偉大な文学作品の中から、代表的なものをご紹介します。

【女房たちが残した偉大な文学作品たち(初心者向け)】

↓清少納言の「枕草子」↓

↓紫式部の源氏物語↓

↓和泉式部の「和泉式部日記」↓