紫式部や藤原道長の先祖は誰?藤原北家とは?藤原氏のルーツを家系図付きで解説

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平安時代の女性たち

源氏物語の作者として名高い紫式部は、藤原氏の一族だということをご存知でしょうか?

ゆえに、元々は藤式部(とうしきぶ)」と呼ばれていたとも言われています。

 

つまり、藤原氏の一族ということは、あの藤原道長とも同族であり、実は祖先も同じ、さらにはその先祖に当たる人物は、日本史に登場する超有名な人物です。

 

この記事では、そんな紫式部や藤原道長らの先祖について、家系図を交えつつわかりやすく解説していきます。

 

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紫式部と藤原道長の家系図

早速ですが、下記の系図をご覧ください。

紫式部と藤原道長から6代遡ると、ともに「藤原冬嗣(ふゆつぐ)」という人物に行き当たります。

なので紫式部と藤原道長は、藤原冬嗣から別れた家系と言うことになりますね。

 

藤原北家とは?

そして、冬嗣からさらに遡っていくと「藤原房前(ふささき)」という人物に行きつきます。

藤原房前は、「藤原四家(ふじわらしけ)」という4兄弟の一人です。

 

この4兄弟それぞれの家系が、

・長男 武智麻呂(むちまろ)→南家(なんけ)
・次男 房前(ふささき)→北家(ほっけ)
・三男 宇合(うまかい)→式家(しきけ)
・四男 麻呂(まろ)→京家(きょうけ)

という、4つの家に別れていきます。

 

この中の次男 房前の家が「藤原北家(ふじわらほっけ)」と言われる家系で、紫式部や藤原道長まで繋がっていくのです。

 

なお、藤原北家の血筋は後の時代まで続いていき、近衛家(このえ)、一条家(いちじょう)、九条家(くじょう)、鷹司家(たかつかさ)、二条家(にじょう)から成る「五摂家(ごせっけ)」に別れ、公家の最高位として君臨していきました。

 

藤原氏の先祖「藤原鎌足」

そして、房前からさらに遡っていくと、藤原四家の父親は「藤原不比等(ふひと)」という人物になります。

 

この藤原不比等はとても有名な人物で、第40代 天武天皇(てんむてんのう)に仕え、日本書紀の編纂や大宝律令に制定などに携わった人物です。

 

そして、さらに不比等から一代遡ると、歴史の教科書に絶対出てくる非常に有名な人物に行き当たります。

それが「藤原鎌足(ふじわらのかまたり)」です。

あるいは「中臣鎌足(なかとみのかまたり)」といった方が有名かもしれませんね。

 

鎌足は、中大兄皇子(なかのおおえのうじ/後の第38代 天智天皇)とともに、乙巳の変で蘇我入鹿を討ち、大化の改新を行ったことで有名ですね。

 

そんな鎌足がもうすぐ亡くなるというタイミングで、第38代 天智天皇(中大兄皇子)が鎌足に与えた姓が「藤原」でした。

こうして中臣鎌足は「藤原鎌足」となり、ここに藤原氏の始祖が誕生します。

 

その血筋が代々受け継がれ、やがて紫式部や藤原道長へと繋がっていくのです。

 

藤原氏の祖先は日本神話にも登場

ここまで藤原鎌足まで遡ってきましたが、さらに遡ると古事記や日本書紀に登場する神様にまで行きつきます。

 

その神様の名は「天児屋命(アメノコヤネノミコト)」

 

そこまで有名な神様ではないかもしれませんが、日本神話の中でも有名な「岩戸隠れ」に登場します。

岩戸隠れは、太陽神の天照大神(アマテラスオオミカミ)が岩屋に隠れてしまって、世界が真っ暗になってしまうお話しで、アメノコヤネノミコトは隠れたアマテラスを岩屋から出すために活躍する神様です。

 

なお、岩戸隠れの神話は下記の記事で詳しくお伝えしていますので、ぜひご覧になってみてください。

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その後、天照大神の孫の邇邇藝命(ニニギノミコト)が天上から地上に降りてくる神話(天孫降臨)で、ニニギノミコトのお供としてアメノコヤネノミコトも地上世界に降臨します。

 

こうして地上に降り立ったアメノコヤネノミコトの末裔が藤原鎌足であり、そして紫式部や藤原道長でもあるんですね。

 

紫式部と藤原道長のルーツまとめ

以上、紫式部と藤原道長のルーツについてでした。

 

まとめると、

・紫式部と藤原道長は「藤原冬嗣」から別れた家系
・藤原冬嗣からさらに遡ると「藤原四家」に行きつく
・藤原四家の中の藤原房前を始祖とする家系が「藤原北家」
・藤原四家の父親が「藤原不比等」
・藤原不比等の父親が「藤原鎌足(中臣鎌足)」
・藤原鎌足の先祖は日本神話に登場する「天児屋命」

 

つまり、紫式部や藤原道長ら藤原一族の先祖は、大化の改新で有名な「中臣鎌足」であり、さらにその始祖は日本神話に登場する神様「天児屋命」だったのです。

 

そんな紫式部は藤原道長の愛人だったという説もあります。

その真相に迫った記事もありますので、ぜひお読みになってみてください。

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最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

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