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『大化の改新は日本の大革命』拓麻呂です。
ふとした出来事がきっかけで人生が大きく変わる。
そんな運命の出来事が飛鳥時代にありました。
中臣鎌足と中大兄皇子。
この二人はちょっとしたきっかけが元で意気投合し、後に大化の改新という大革新を成し遂げることになります。
今回はそんな中臣鎌足と中大兄皇子の運命の出会いを見ていきましょう。
~運命の出会い~
蹴鞠を楽しむ中大兄皇子
ある日、『蹴鞠(けまり)』を楽しむ男性たちの姿がありました。
『蹴鞠』とは、鞠(まり)を地面に落とさないように蹴り合う競技です。基本的には八人で行い、一定の高さをキープしながら八人で鞠を蹴り合います。
使用される鞠の大きさは、おおよそ20センチちょっと。男性が楽しむ競技とされていました。
地面に落とさずに蹴った回数や、蹴った鞠が描く弧の美しさを楽しむなど、芸術性も重視される競技です。
余談ながら、清少納言が書いた枕草子にも蹴鞠に関する記述が見えます。彼女は蹴鞠をカッコ悪いけど面白いと言っています。
この蹴鞠を楽しんでいたのが『中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)』。後の天智天皇。
そして、その傍らに控えていたのが、『中臣鎌足(なかとみのかまたり)』です。
蹴鞠がキッカケ!歴史を動かす盟友との出会い
蹴鞠に興じる中大兄皇子。そんな彼の元に鞠が飛んできました。勢いよく鞠を蹴り返す中大兄皇子。
その時です。
鞠と一緒に中大兄皇子が履いていた靴が脱げて、一緒に飛んでいきました。
弧を描き飛んで行った靴。そしてその靴は、傍らで控え蹴鞠を見ていた中臣鎌足の目の前に落ちてきました。
鎌足はすかさず靴を拾い上げ、中大兄皇子に差しだします。
この何気ない一コマが、後にこの二人を『乙巳の変(いっしのへん)』、そして『大化の改新(たいかのかいしん)』と言う、古代日本の大革命へと導く運命の出会いだったのです。
~共鳴する中大兄皇子と中臣鎌足~
この頃、強大な権力を持っていたのが『蘇我入鹿(そがのいるか)』。
蘇我入鹿はその権力を背景は天皇にさえ匹敵するものでした。
中臣鎌足はこの蘇我氏の権力に、強い危機感を持っており、同じような危機感を持っていた中大兄皇子に接触する機会を窺っていたと言われています。
蹴鞠がキッカケで、鎌足は中大兄皇子と接点を持つことができました。正に運命の蹴鞠でした。
そしてこの二人はお互いを認め合う盟友として、日本を大きく動かす大化の改新へと突き進んでいく事になります。
余談 ~日本で最も栄えた家、藤原氏~
鎌足は臨終の際に、藤原姓を賜っています。このことから彼を藤原鎌足と呼ぶこともあります。
この藤原こそが、平安中期に強大な権力を誇った御堂関白 藤原道長へと続いていきます。
日本の歴史において、『藤原』と名乗る人物はたくさん登場します。鎌足の時代から約千年を経た戦国時代にも、公家の最高位である五摂家(ごせっけ)と呼ばれる五つの家系が登場します(一条家、二条家、九条家、近衛家、鷹司家)。
摂政や関白に就けるのは、この五摂家のみとされています(例外として豊臣秀吉が関白に就任していますが、これは近衛家の養子になるという奇策で実現しました)。
藤原氏は、日本で最も栄えた家系として、日本史の至る所に顔を出してきます。特に奈良時代、平安時代あたりは藤原だらけなので、この時代の書籍など読む場合は注意してくださいね。
では、今回はこの辺で!ありがとうございました。