明治維新後の島津久光!打ち上げ花火に込めた西郷隆盛への抵抗

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人物のエピソード

ご来訪ありがとうございます。

拓麻呂です。

 

幕末の薩摩藩を主導した男

島津久光

 

兄の島津斉彬亡き後、実質的に薩摩藩を束ねていた久光。

 

明治維新が成り、廃藩置県が断行された後も、武士の魂を忘れず、明治新政府により近代化政策に抵抗し続けた人物でもあります。

 

今回は、あまり語られることの無い、明治維新後の島津久光を、そして抵抗する久光が見せた意外な行動を見て行きたいと思います。

 

 

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武士の意地!島津久光

出典:国立国会図書館ウェブサイト『近代日本人の肖像』より

西郷隆盛憎し!

島津久光は終生、西郷隆盛と不仲であったと伝わっています。

 

その原因は、初対面でいきなり屈辱を受けたことに端を発します。

西郷さんと久光の間に起こった出来事に関してはコチラの記事をご覧ください。

会ったその日に犬猿の仲!西郷隆盛と島津久光の関係をサクッと解説
...

 

いきなりの屈辱を受けた久光は、生涯に渡り西郷さんを憎み続けます。

 

やがて明治維新が成り、憎き西郷さんが主導する明治新政府が樹立されました。

当然、久光は面白くありません。

 

そして久光は、明治新政府の政策に、ことごとく抵抗していくことになります。

 

 

納得できず!廃藩置県

薩摩藩が輩出した西郷隆盛や大久保利通は、明治新政府における重要な役職に就任します。

そんな明治新政府の政策である『廃藩置県(はいはんちけん)』

 

これまでの『藩』を廃止し、行政区分を『県』に置き換えた『廃藩置県』。

久光は、この廃藩置県に難色を示します。

 

廃藩置県とは、行ってみれば旧体制である『藩』の否定です。

そんな旧体制である薩摩藩を主導していたのが久光です。

 

元々は配下であった西郷さんが、新政府を主導する立場になり、久光自身が主導していた『藩』を解体するとは何事か!

これは薩摩藩の恩義を仇で返すような仕打ちである。

西郷は藩への恩を忘れた不忠者である!!

 

そんな怒りがあったことを示す書簡が現存しています。

側近たちにも当たり散らしていたようで、周囲の者たちも手が付けられない有様だったと言います。

 

あげくの果てに久光は『鹿児島県令』への就任を要求してきました。

『鹿児島県令』とは、現代の『鹿児島県知事』みたいなものです。

 

つまり、薩摩藩時代と同じように、鹿児島県を主導する立場に戻せ!と言っているようなものです。

 

困り果てた明治新政府。

久光と言えば、幕末を代表する実力者でもありますので、このまま放置する訳にもいきません。

下手をすれば、久光を筆頭に新政府打倒を目指す抵抗勢力にも成りかねません。

 

西郷さんら新政府は、なんとか久光の怒りをおさめようと、元薩摩藩士を新政府の役職に就けたり、天皇を薩摩に行幸させたりしましたが、目に見えた成果はありませんでした。

 

なお、天皇の薩摩行幸の際、西郷さんも同行していましたが、久光に挨拶もなくそのまま帰ってしまったことに、相当な憤りを覚えていたようです。

 

 

東京移住を拒否する久光

当時、旧藩主たちは江戸に住むことが決められていました。

(なお久光は薩摩藩主ではありませんでしたが、実質的な藩主のような立場ではありました)

 

しかし、久光はこの政策にも抵抗します。

 

やむなく、西郷さんが説得の為、そして天皇の薩摩行興で挨拶をしなかった謝罪の為、薩摩へ赴くことになります。

 

この時、久光は明治新政府が推し進めていた近代化政策をことごとく否定。

西郷さんたちを驚愕させます。

 

一向に薩摩を離れる意思を見せない久光の手こずり、西郷さんは約5ヶ月もの長きに渡り薩摩を離れることが出来ませんでした。

 

東京の新政府でも、西郷さんが戻ってこれないことを憂い、勅使の派遣や勝海舟らによる説得を実施。

その結果、ようやく上京を決意した久光なのでした。

 

 

髷を結い続けた久光

このような経緯があり、東京にやってきた久光。

 

この頃になると、近代化政策を進み、多く人たちが髷を落としていました。

 

しかし、東京にやってきた久光ご一行は、立派な髷を結い、刀を帯びた武士そのものと言える姿で登場。

東京の人々を驚かせます。

 

徹底して近代化政策に抵抗する久光。

 

東京でも近代化を批判する久光を放置するわけにもいかず、新政府は役職を与えるなどして、ガス抜きを図り続けました。

 

この後、歴史は西南戦争へと突入していくことになります。

 

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屈辱の打ち上げ花火

廃藩置県に抵抗していた久光を物語る面白い逸話が残されています。

 

新政府の近代化政策への抵抗を示す為、久光は花火を何発も打ち上げたそうです。

 

久光は、その最後まで髷を結い続けたと言われています。

 

欧米列挙に負けない近代国家を目指し、西郷さんが作り上げた明治新政府。

その新政府に西郷さんは元士族(武士)を率いて抵抗します。

しかし、自らが作り上げた新政府に敗れ、武士は日本から消えていくことになります。

 

生涯、髷を結い続けた島津久光とは、この日本における最後の武士だったのかもしれません。

 

 

薩摩の島津家の祖は、鎌倉時代まで遡ることができます。

鎌倉時代とは武家政権が誕生した時代。

 

武家政権の誕生に合わせて歴史の表舞台に登場した島津家。

そして、自ら武士を終焉に導いた薩摩藩。

 

そんな薩摩藩で最後まで髷を結い続けた島津久光。

 

薩摩とは日本史における『武士』であることを一貫して通し続けた誇り高き国。

その誇りを武士の誕生から終焉まで支え続けた島津家。

 

抵抗の打ち上げ花火、最後まで結い続けた髷・・・

島津久光の花火と髷には、日本史における最後の『武士』を見ることができる。

僕は島津久光という人物に、そんなイメージを持っています。

 

 

島津久光に関してさらに詳しく知りたい方はコチラの記事もご覧ください。

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では、今回はこの辺で!

ありがとうございました。