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拓麻呂です。
西郷隆盛と勝海舟の会談により実現した江戸無血開城。
その裏で、江戸に暮らす民を、そして徳川家を守る為に活躍していた篤姫。
無血開城が実現し、明治維新が成った後、篤姫はどんな人生を歩んでいったのでしょうか?
今回は、明治維新後の篤姫の様子を見て行きたいと思います。
覚悟の嫁入り!天璋院
出典:Wikipediaより
維新後の天璋院
無血開城により、江戸城を去った後、篤姫は残された徳川家の家で生活していました。
これまでの大奥生活とは違い、晩年はのびのびと自由な暮らしをしていたと伝わっています。
そして、明治16年に脳溢血で意識不明となり、そのまま帰らぬ人となりました。
享年49
篤姫は将軍に嫁いで以降、2度と薩摩の地に戻ることはなく、その生涯を終えました。
明治維新が成った後も、薩摩からの資金援助を断り続けたと言われています。
また、明治維新の後、江戸城で共に暮らした大奥たちへの資金援助のため、自身の生活を切り詰めていました。
篤姫が亡くなった時、彼女の所持金は3円しかなかったと伝わっています。
葬儀には1万人もの参列者が集まり、別れを惜しみました。
そして、夫であった13代将軍 徳川家定の隣で今も眠っています。
篤姫の覚悟
このように、篤姫は再び故郷である薩摩の土を踏むことなく世を去りました。
僕はここに、篤姫から学ぶことがあると考えています。
それは『覚悟』を持つということです。
篤姫は故郷の薩摩ではなく、嫁ぎ先の江戸を選びました。
政略結婚で、鹿児島県から東京都という、はるか遠くの地に嫁いでいった篤姫。
現代のように、大好きな彼氏の地元に付いて行って結婚するのとは訳が違います。
親の決めた結婚だから、それに従って顔も見たことの無い将軍に嫁いだんです。
この時点で、篤姫は徳川家の女性として生きていく確固たる『覚悟』をしていました。
篤姫は、無血開城の際、江戸に攻めてきた西郷隆盛に対し、兵を引くよう手紙をしたためした。
無血開城とは、西郷隆盛と勝海舟の会談で実現しています。
また、海外からの圧力もあったと言います。
ですが、篤姫からの手紙が、同じ薩摩出身である西郷さんの脳裏によぎったであろうことは想像に難くありません。
結果、江戸は戦禍を免れ、一滴の血も流さずに和平が成立しました。
篤姫の覚悟が、江戸に暮らす100万人の民を救いました。
篤姫は、故郷の薩摩ではなく、嫁ぎ先の徳川家を選びました。
その裏にあったのが、徳川の女として生きて行くという篤姫の覚悟です。
江戸に暮らす100万人の民の未来を繋いだ篤姫は、明治維新の後も、徳川家の女性として、その生涯を全うしたんです。
覚悟が未来を創る
このように、篤姫の覚悟は江戸に暮らす民の未来を繋ぎました。
もしかしたら、思い描く理想の未来とは『覚悟』から生まれるものなのかもしれません。
篤姫が徳川家の女性として、江戸に暮らす民の未来を繋いだように。
理想の未来を作るのは今の自分。
理想の未来を迎える為には、覚悟を持って行動していかなければならない。
でも、今と同じ環境で、同じ毎日を過ごしていたんじゃ理想の未来はやってこない。
覚悟を持って、新しいことに挑戦しなければいけない。
覚悟を持って、新しい人たちに出会わなければいけない。
覚悟を持って、新しい環境に飛び込まばいけない。
それが、思い描く未来を創る唯一の方法。
篤姫の覚悟からは、そんな学びがあると僕は考えています。
もっと篤姫に関して知りたい方はコチラの記事をご覧ください。


では、今回はこの辺で!
ありがとうございました。