会ったその日に犬猿の仲!西郷隆盛と島津久光の関係をサクッと解説

ご来訪ありがとうございます。

拓麻呂です。

名君と呼ばれる島津斉彬の後を継ぎ、薩摩藩主に座に就いた『島津茂久』

その茂久の父親に当たる『島津久光(しまづ ひさみつ)』

いきなり周りくどい紹介をしてしまいましたが、これには理由があります。

明治維新時の薩摩藩の殿様と言えば、島津久光のイメージがありますが、実はこの久光、薩摩藩主に就任したことがありません。

斉彬の後を継いだのは、あくまで茂久であり、その茂久の父親が『久光』なのです。

実は、藩主になっていなかった島津久光。

そんな立場も災いし、初めて西郷さんと会ったその日に、いきなり犬猿の仲になってしまいます。

西郷さんと久光の間に一体なにがあったのか?

今回は、そんな島津久光にスポットを当ててみることにしましょう。

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西郷隆盛憎し!!島津久光

出典:国立国会図書館ウェブサイト『近代日本人の肖像』より

西郷さん、初対面で久光を『ジゴロ』呼ばわり

西郷さんは奄美大島での生活の後、初めて島津久光と対面します。

奄美大島での生活に関してはコチラの記事をご覧ください。

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西郷さんと久光の初対面の場、そこで一体何があったのか?

結論から言います。

西郷さんは初対面で久光に面と向かって『ジゴロ』呼ばわりしています。

『ジゴロ』とは『田舎者』というような意味です。

初対面で突然『田舎者』と言われた久光の屈辱は凄まじいものだったようです。

事実、後年にその屈辱を記した回顧録が現存しています。

しかし、西郷さんがこのような罵声を浴びせたのにも、相応の理由があるのです。

が・・・

この初対面での出来事が、後の西郷さんの人生にも、悪い意味で大きな影響を与えてくることになります。

ジゴロ呼ばわりした背景① お由羅騒動

西郷さんが、このような発言をした背景には、過去の『お由羅騒動』という事件の存在があります。

お由羅騒動とは簡単に言うと、久光と兄の島津斉彬の間で起こった、次期藩主を巡る争いです。

この争いで西郷さんは斉彬の側に属していました。

と言うのも西郷さんは、斉彬に見出され、活躍の場を与えられた人物です。

そのような経緯もあり、西郷さんは強烈な斉彬信者です。

その斉彬と対立関係にあった久光には、元から良い印象は持っていませんでした。

↓なお、お由羅騒動の詳細はこちらの記事をご覧ください↓

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ジゴロ呼ばわりした背景② 当時の政治情勢

そして、もうひとつが当時の政治情勢です。

井伊直弼による『安政の大獄』により、多くの攘夷論者が処罰されました。

しかし、井伊の政策に反発した水戸藩士たちが井伊を襲撃。

桜田門外の変です。

この変により、井伊は倒れ幕府の権威は失墜します。

井伊がいなくなった幕府に対し、薩摩を含む外様大名は、かねてからの悲願であった幕政進出を狙います。

そして、最も早く幕政に関わった藩が長州です。

長州の幕政進出に刺激を受けた薩摩藩。

好機到来と考えた久光は、兵を率いて上京を決意。

先代 斉彬の悲願であった一橋慶喜(後の徳川慶喜)を将軍後見職に、松平春嶽を時期大老に据えさせ、幕政への進出を目指します。

その為に必要な人材こそ、西郷隆盛でした。

この時、西郷さんは奄美大島で謹慎していました。

要は島流しにあっていた訳ですが、この流罪は西郷さんの身を隠す為、といった意味合いが強いです。

と言うのも、安政の大獄の煽りを受け、西郷さんの身にも危険が迫っていた為、薩摩藩が流罪と称して、政治の表舞台から身を引かせていたのです。

↓なお西郷さんが流罪に至る経緯は、コチラの記事をご覧ください↓

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西郷さんは江戸に人脈もあり、薩摩が江戸で活躍する為には欠かせない人材。

大久保利通からの嘆願もあり、西郷さんは晴れて薩摩に戻る事となりました。

ところが・・・

久光の上京を知った西郷さんは猛反対・・

そんな中、久光との初対面の場で放った一言が、『ジゴロ』発言です。

西郷さんの言い分をまとめると、このような感じです。

あくまで薩摩藩主は茂久であり、久光はその父親に過ぎない

しかも久光は無位無官である

先代の斉彬は諸侯にも名を知られた存在であったが、久光は違う

薩摩から出たこともない久光では、相手にされるはずがない

ジゴロ(田舎者)の久光は、江戸や京都の情勢にも暗いはずである

こんな感じで、徹底的に久光を扱き下ろします。

元々、斉彬を崇拝していた西郷さんには、久光を完全に過小評価していました。

久光は、この発言を生涯根に持ち続け、西郷さんとの仲は終生回復することはありませんでした。

西郷さん沖永良部島へ島流し・・・

そんなこんなで初めて会ったその日から、犬猿の仲になってしまった西郷さんと島津久光。

この時から程なくして、西郷さんの身に悲劇が降りかかります。

西郷さんに『ジゴロ』呼ばわりされた久光でしたが、結果的に上京することになります。

江戸へ向かうにあたり、まずは京都を目指す久光一行。

共に江戸へ赴くことになった西郷さんは久光に先んじて、出発します。

そして、現在の山口県下関で久光の到着を待つよう命じられていました。

ところが・・・

下関で久光を待っていた西郷さんの耳に、思わぬ噂が飛び込んできます。

尊王攘夷を掲げる志士たちが全国から集結し、久光の上洛に呼応して武力蜂起を図っている・・・。

それを聞いた西郷さんは驚きます。

このまま久光が到着したら、志士たちは勢いづき、とんでもない暴挙に出かねない。

そうなれば京都は戦場と化し、多くの血が流れる。

そんな事態になれば、全責任が久光に課され、薩摩と幕府の戦争の火種に成りかねない・・

そんな危機感を抱いた西郷さんは、久光を待たずに急ぎ京都へ向かってしまいます。

この判断が西郷さんを窮地に追い込むことになるのです。

下関に到着した久光は西郷さんがいないことに大激怒。

西郷は自分に『ジゴロ』などと罵声を浴びせ、そのうえ命令も聞かず、先に京都へ向かってしまった・・

ここに至り、これまでグッとこらえて来た久光の感情が爆発しました。

久光の逆鱗に触れ、強制送還となった西郷さん。

久光の怒りを買ってしまった西郷さんは罪人となり、島流しが言い渡されます。

配流先は沖永良部島。

奄美大島から帰還して、わずか4ヶ月で再び島流しです。

いきなり久光を罵倒したばっかりに、恨みを買い、島流しにまで発展してしまった西郷さんの『ジゴロ』発言。

少なからず西郷さんにも後悔の念があったことでしょう。

しかしながら、この沖永良部島での投獄生活の中で生まれた思想が『敬天愛人』です。

西郷さんを語る上で避けては通れない『敬天愛人』

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沖永良部島に流されたことで、西郷さんは人間的にも大きく成長していくことになるのです。

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生麦事件、そして薩英戦争へ・・

ちなみに、この後久光は無事に江戸へ赴き、幕府での存在感を示しことになります。

そして、その帰り道で大事件が起きます。

イギリス人をたたっ切ったことで有名な『生麦事件』です。

この事件が契機となり、薩摩は世界に名立たる大英帝国を敵に回すこととなってしまいます。

薩摩はイギリスの艦隊に砲撃され、前代未聞の大ピンチを迎える訳ですが・・・

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島津久光について書かれた珍しい書籍はコチラです。

一般書籍で久光の事を知るならコレが一番!

では、今回はこの辺で!

ありがとうございました。


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