真田幸村と共に玉砕!真田十勇士メンバーの最後と人物一覧

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人物のエピソード

ご来訪ありがとうございます。

拓麻呂です。

 

真田幸村に仕えたとされる『真田十勇士』

基本的には後世の講談によって生まれた架空のキャラクターですが、モデルになった人物が存在したりで、とても個性的なメンバーが揃っています。

 

大坂夏の陣で散った真田幸村とともに玉砕していったメンバーも多く、今や幸村の印象を形成する重要なキャラクターたちです。

 

そんな『真田十勇士』のメンバー紹介と、その最後をお伝えします。

 

※真田十勇士の伝説には様々な言い伝えがあります。予めご了承ください。

 

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伝説の『真田十勇士』

猿飛佐助 さるとび さすけ

真田十勇士を代表する人物で忍者。

 

現代でも忍者の里として有名な『戸隠(とがくし)』で一人忍者修行をしていたところ、甲賀忍者の戸沢白雲斎にその才能を見出され、白雲斎の元で3年間の忍術修行を行いました。

 

その後、真田幸村に仕え、おもに忍者スキルを活かした諜報員として活躍。

泥棒の石川五右衛門と、忍術比べで勝負したという逸話もあります。

 

大坂夏の陣では、幸村とともに豊臣方として参戦。

討死したという話もありますが、十勇士の中では、大坂夏の陣で生き残ったというエピソードが多い人物でもあります。

 

また、幸村とともに生き延びて薩摩(現在の鹿児島県)に逃れたという言い伝えもあります。

 

猿飛仁助や上月佐助なる実在の人物がモデルとされており、また『猿飛』という名前は西遊記の孫悟空が元ネタと言われています。

 

霧隠才蔵 きりがくれ さいぞう

甲賀の出身で、百地三太夫という高名な忍者に忍びの技を学んだ人物。

猿飛佐助と双璧を成す忍術の使い手。

泥棒の石川五右衛門とは兄弟弟子の関係。

 

元々は浅井長政に仕えた家臣筋の一族だったという説もあります。

 

一時、山賊になっていましたが、猿飛佐助に出会い忍術比べで才能を見出され、幸村に仕えることとなります。

 

大坂夏の陣では、幸村とともに豊臣方として参戦。

徳川家康の首を狙い、徳川本陣に忍び込むも失敗。

 

基本的には大坂夏の陣で討死したことになっていますが、一方で豊臣秀頼を救出し生き延びたというエピソードも残っています。

 

穴山小助 あなやま こすけ

幸村の側近く仕えた側近中の側近。

武田信玄に仕えていた『穴山梅雪』と同じ一族。

 

大坂夏の陣では、幸村とともに豊臣方として参戦。

幸村と同い年で背格好も似ていたため、幸村の影武者を務めました。

 

『我こそは真田幸村なるぞ!!!』と叫びながら戦場を駆けまわり、敵をさんざんに蹴散らした末、壮絶な討死を遂げました。

 

海野六郎 うんの ろくろう

十勇士の最古参にして、幸村の右腕的存在。

敵方に流言飛語(嘘の情報)をバラまくのが得意だった人物。

 

大坂夏の陣では、幸村とともに豊臣方として参戦。

その流言飛語のセンスを活かし、徳川軍を大混乱に陥れました。

 

夏の陣で戦死したとも言われますが、猿飛佐助同様、薩摩に落ち延び生き残ったとも言われています。

 

望月六郎 もちづき ろくろう

幸村の側近。

爆弾作りの達人。

 

大坂夏の陣では、幸村とともに豊臣方として参戦。

幸村の影武者を務め活躍しますが、大軍に囲まれてしまい自ら腹を切りました。

 

三好青海 みよし せいかい

50人力と言われたパワー型のお坊さん。

(源義経に仕えた武蔵坊弁慶を彷彿とさせる・・)

戦場では鉄の棒を振り回し、敵を蹴散らしました。

 

一方で、どこか抜けたところがあったようで、力は強いが頭は弱いという典型的なパワーファイター。

 

同じく十勇士の三好伊三の兄にあたる人物。

兄弟ともに、十勇士の中では高齢だったと言います。

 

大坂夏の陣では、幸村とともに豊臣方として参戦。

その最後も豪快そのもので、大軍相手に大暴れした後、自ら腹を切り、自分で自分の首を介錯しました。

 

三好伊三 みよし いさ

三好青海の弟で、こちらもパワー型のお坊さん。

 

大坂夏の陣では、幸村とともに豊臣方として参戦。

兄同様、その最後は壮絶で、腹を切りながら大音声で辞世の句を述べた後に力尽きたと言われています。

 

筧十蔵 かけい じゅうぞう

元々は豊臣秀吉に仕えていた蜂須賀家の家臣。

幸村が蜂須賀家を訪れていた時に、意気投合し幸村に仕えました。

 

鉄砲の扱いに長けた、砲術の名手でもあります。

 

大坂夏の陣では、幸村とともに豊臣方として参戦。

猿飛佐助と同様に、戦後は薩摩に落ち延びたと言われています。

 

由利鎌之介 ゆり かまのすけ

元々は幸村と敵対していましたが、賤ケ岳の戦いで十勇士の穴山小助と決闘し敗北。

その結果、幸村に仕えることになりました。

 

鎖鎌と槍の扱いに長けた人物。

 

大坂夏の陣では、幸村とともに豊臣方として参戦。

猿飛佐助と同様に、戦後は薩摩に落ち延びたと言われています。

 

根津甚八 ねづ じんぱち

元々は海賊の頭だった人物なので、水軍の指揮を得意とした人物。

織田信長の水軍として有名な九鬼水軍の情勢を探っている最中に幸村と出会います。

 

大坂夏の陣では、幸村とともに豊臣方として参戦。

穴山小助と共に幸村の影武者を務め、徳川軍をさんざん翻弄した後に戦死しました。

 

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真田幸村と真田十勇士

以上、真田十勇士の一覧とその最後を紹介しました。

 

実在の人物をモデルにしている場合もありますが、真田十勇士は物語の中にのみ存在する架空のキャラクターです。

なので、彼らの活躍は史実ではありません。

 

真田十勇士を『史実ではない』と切り捨てるのは簡単です。

大河ドラマなどもそうですが、史実ではないことを声高に叫び批判する方もいらっしゃいます。

もちろん史実と誤認してしまう可能性は否めません。

 

ですが、物語やドラマなどのエンターテイメントにおいては、史実だけを描いたら大して面白くないでしょう。

むしろ、歴史ものの物語やドラマは史実視点として見るのではなく、歴史を舞台にしたエンターテイメントとして見る方が健全で、より楽しめるんじゃないかと思っています。

 

そういった意味では、真田十勇士はとても魅力的なキャラクターたちですし、真田幸村という主人公を引き立てる重要な役割を担った人物たちです。

 

歴史を扱った物語は『歴史を学ぶ』のではなく、『歴史を楽しむ』という視点で見て頂けると、真田十勇士などの史実ではない部分も、とても魅力的に見えてきますよ!

 

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では、今回はこの辺で!

ありがとうございました。