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拓麻呂です。
現在の鹿児島県に、戦国時代を代表する猛将がいました。
島津義弘です。
島津家が九州の覇をかけて近隣諸国と争った数々の合戦で活躍し、関ヶ原の戦いでは『島津の退き口』と呼ばれる壮絶な退却戦を敢行した、非常に人気の高い武将です。
が・・・。
義弘には兄がいて、島津本家の当主は、あくまで兄です。
その兄を『島津義久』と言います。
島津本家の当主でありながら、弟の方が有名な珍しい武将『島津義久』。
弟の義弘が関ヶ原で壮絶な退却戦を敢行していた時、義久は何をしていたのでしょうか?
島津家を支えた本当の立役者『島津義久』のお話です。
島津家当主『島津義久』
関ヶ原の時の義久
厳密に言ますと、関ヶ原の戦いが起こった時、つまり西暦1600年の段階では、島津家の当主は弟の義弘です。
関ヶ原の約5年前に、義久は義弘に家督を譲っています。
なので、関ヶ原の戦いが起こった時点では義久は隠居の身で、本拠地である薩摩(鹿児島県)にいました。
つまり、関ヶ原の戦いには参陣していません。
では、薩摩で呑気にしていたのかと言うとそうではなく、島津家の御意見番として、きちっと役割を果たしています。
この頃は、義久と義弘が両立して島津家の舵取りをしていました。
そして義久は、上方にいる義弘とは手紙でやり取りしており、中央の政局を気にかけていました。
この時、義弘は関ヶ原の戦いに臨む為には兵力が足りないという事で、国元にいる義久に兵を送ってもらうよう要請をしています。
しかし、義久はその要求を拒み続け、結果、義弘はわずが1500人の兵力で関ヶ原に臨むことになります。
その時に起こったのが、家康の本陣目掛けて突撃する退却戦『島津の退き口』です。
義久が兵を派遣しなかったのには訳があり、関ヶ原の数年前に起こった朝鮮出兵などにより、薩摩の財政が逼迫していたことなどが主な理由です。
関ヶ原の後の島津家
こんな感じで、国元で上方に情勢を睨んでいた義久。
しかしながら、弟の義弘が組した西軍は、関ヶ原の戦いで敗れてしまいます。
当然、島津家は勝者である徳川家康から処罰を受ける対象となります。
この時に、見事な立ち回りを見せたのが島津義久です。
家康は謝罪を求めて義久に上洛するよう命じます。
しかし義久は、体調が優れないことなどを理由に、上洛を拒み続けます。
結果的に義久の甥にあたる『忠恒(ただつね)』が上洛することになり、島津家は所領を安堵され、処罰を受けませんでした。
なぜ島津家がお咎めなしとなったのかには、様々な見方がありますが、ひとつは『島津家の強さ』を徳川方が恐れたことでしょう。
実際に朝鮮出兵では7000人の兵力で約3万人の敵軍を討ち取るなど、とんでもない戦果をあげていました。
島津の強さは知れ渡っており、処罰を与え万一島津が牙をむいたら、ただでは済まないと思ったのかもしれません。
そしてもうひとつ。
義久の立ち回りです。
普通に考えれば、すぐに謝罪して許しを乞う方が、あとあと面倒なことにならなそうですが、義久の場合、病気を理由にのらりくらりと上洛を拒否しています。
島津家は鎌倉時代から続く武勇の家柄なので、やすやすと頭を下げるなど、プライドが許さなかったのでしょう。
そんな部門の家である意地を、義久は最後まで貫き通しました。
結果的に忠恒が上洛していますが、処罰もなく、義久自身は家康との我慢比べに勝っています。
島津は現在の鹿児島県と宮崎県あたりを治めていましたが、そこを安堵されている限りは非常頼れる存在ですが、もし領土を削られれば黙っていかったでしょう。
家康としては敵対することは得策ではなく、最初から処罰しようとは考えていなかったのかもしれません。
島津を支えた本当の立役者
義久には3人の弟がいます。
次男『義弘』
三男『歳久』
四男『家久』
そして長男の『義久』です。
武勇に優れた弟たちをまとめ上げ、九州制覇目前まで迫った島津家。
しかし、豊臣秀吉の九州征伐に屈し、島津家は存亡の危機に立たされますが、この時も義久が決死の交渉に臨み、家名を保ちました。
義弘を始めとした弟たちの活躍ばかりに目が行きがちな戦国島津家ですが、その背景には必ず義久の存在があります。
義久こそ、紛れもなく島津家の大将でした。
それを物語るこんなエピソードがありますので、最後にご紹介します。
ある日、家康は義久に問いかけます。
『あなたの合戦での武勇をお聞かせください』
しかし、義久は恥ずかしそうにこう答えました。
『島津家は弟たちが合戦で勝利してきたので、私は何もしておりません・・・』
『私は城で留守番をしていただけです・・・』
そう答えた義久は、恥ずかし気に部屋から出て行ってしまいました。
すると家康はこう漏らします。
『自ら前線に出るのではなく、弟たちを動かし勝利を得る、そして何かあった時は大将として責任ある行動をとる!島津義久こそ真の大将である』
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では、今回はこの辺で!
ありがとうございました。