約2000年を超える日本史の中でも、特に人気の戦国時代。中央政府が機能しなくなり、それぞれの地方で力を持った男たちが独自の支配体制を築き上げて行った時代です。
全国各地で立ち上がった、かっこいい男たちのエピソード集。きっと、あなた好みの戦国武将が見つかるはずです。なお、戦国の女性たとも扱っていますので合わせてご覧いただければと思います。
新しい記事を書き次第、随時追加していきます。
戦国武将エピソード集!
絶対に覚えておきたい戦国武将100人
戦国時代を代表する武将たちを、独断と偏見100人選んでみました。ここで紹介されている武将たちを知っていれば、戦国時代初心者を脱却できますよ。
戦国武将総選挙
テレビ番組の『戦国武将総選挙』にあやかって、僕なりのベスト20を発表します。
あ行
赤井直正【丹波の赤鬼】
享禄2年~天正6年(1529~1578)
丹波の赤鬼の異名で呼ばれた戦国武将『赤井直正』。あまり知られていない人物ですが、明智光秀を苦しめた猛将として歴史に名を残しています。そんな赤井直正の能力や存在感の大きさに迫ってみたいと思います。
明智秀満【明智五宿老】
??~天正10年(??~1582)
明智光秀の重臣『明智秀満』。秀満が馬で琵琶湖を渡ったという伝説『湖水渡り』とは、一体なんなのでしょうか?
明智煕子(妻木煕子)【光秀の妻】
??~天正4年(?~1576)
明智光秀を支えた『妻木煕子』。光秀の妻として彼を支えた心温まる夫婦仲、そして現在の光秀のイメージにも大きな影響をあたえつづける煕子の存在。そんな光秀と煕子のエピソードをお伝えします。
もし煕子が現代に生きていたら・・・。
煕子の見た目に関する限られた記録をもとにして、妄想を膨らませつつ彼女の顔を3D復元してみました。現代のデジタル技術で蘇らせた煕子の顔をご覧ください。
明智光忠【明智五宿老】
天文9年~天正10年(1540年~1582年)
明智光秀のいとこで、明智五宿老の一人『明智光忠』。かなりマニアックな人物ですが、明智光秀を語る上では欠かせない人物です。
明智光秀【敵は本能寺にあり】
??~天正10年(1528?~1582)
1582年本能寺の変。歴史をひっくり返したこの大事件の裏には人間 明智光秀の悲しき感情が隠されています。そんな光秀の心に迫ります。
旧勢力の権威を重んじた実直な男というイメージが強い『明智光秀』。ところが本当の光秀の人物像は全然違ったものでした。
明智光秀は山崎の戦の後に亡くなっておらず、生き延びて天海という僧侶になったという説があります。その真偽を、歴史的背景から紐解いてみたいと思います。
信長の正妻『濃姫』と明智光秀は恋仲だったのでしょうか?二人の本当の関係に迫ります。
明智光安【光秀の叔父】
明応9年~弘治2年(1500~1556)
光秀に明智家を託し、明智城の戦いで自害した武将です。あまり知られていない人物ですが、明智光秀を語る上では外せない武将です。
浅井長政【お市の夫】
天文14年~天正元年(1545~1573)
戦国時代のオシドリ夫婦と言われる浅井長政とお市の方。この二人は本当に夫婦仲が良かったのでしょうか?その真実をお届けします。
浅井長政とお市の間に生まれた『茶々』『初』『江』の三姉妹に関してはコチラ。
【越前守護】朝倉義景
天文2年~天正元年(1533~1573)
上洛の好機を逃した無能な武将と言われる『足利義景』。彼は本当に無能だったのでしょうか?
足利義昭【室町幕府最後の将軍】
天文6年~慶長2年(1537~1597)
室町幕府15代将軍『足利義昭』。室町幕府最後の将軍となった義昭は、京都から追放された後、どのような人生を送ったのでしょうか?ほとんど語られることのない義昭の晩年のその最期をお伝えします。
足利義輝【剣豪将軍】
天文5年~永禄8年(1536~1565)
室町幕府13代将軍『足利義輝』。剣豪将軍とも呼ばれた義輝の最後は、その異名に相応しい壮絶なものでした。剣豪将軍 足利義輝の最後と、彼が戦国時代に与えた影響に迫ります。
荒木村重【有岡城主】
天文4年~天正14(1535~1586)
明智光秀の同じく、織田信長を裏切った人物として名高い『荒木村重』。妻子を見捨て一人で逃げた卑怯者を揶揄されることもありますが、その真実は違っていたことをご存じですか?
井伊直政【井伊の赤鬼】
永禄4年~慶長7年(1561~1602)
真っ赤な甲冑に身を包み家康の覇業を支えた井伊の赤鬼。彼の活躍には沢山の想いが込められていました。井伊家、武田家、徳川家。徳川四天王『井伊直政』の生涯に迫ります。
石田三成【豊臣五奉行】
永禄3年~慶長5年(1560~1600)
1600年関ヶ原の戦い。『大一大万大吉』の旗印を掲げた石田三成の性格とは?歴史の一側面からは決して見えてこない三成の真実に迫ります。
今川氏真【蹴鞠の達人】
天文7年~慶長19年(1538~1615)
父 義元が桶狭間に散った後、広大な今川領を受け継いだバカ殿 氏真。彼に対する後世の評価は今川家を滅ぼしたバカ殿として非常に低いものとなっています。そんな彼の真の評価とは?氏真の真実に迫ります。
今川義元【海道一の弓取り】
永正16年~永禄3年(1519~1560)
海道一の弓取りという異名を持つ戦国大名『今川義元』。 義元と言えば、桶狭間の戦いで、圧倒的に兵力を有していたにも関わらず、織田信長の奇襲により討ち取られてしまった負け犬というイメージが強い義元は、本当に愚将だったのでしょうか?
上杉謙信【越後の龍】
享禄3年~天正6年(1530~1578)
毘沙門天の化身『上杉謙信』。戦国最高峰の戦略家でもある謙信は、一体どんな性格だったのでしょうか?謙信が残した名言の意味から謙信の本当の姿に迫ります。
お市の方【戦国No.1美女】
天文16年~天正11年(1547~1583)
織田信長の妹で、戦国No.1の美女と言われる『お市の方』。彼女は本当の美女だったのか?その容姿を考察します。
大谷吉継【三成の盟友】
永禄2年?~慶長5年(1559?~1600)
戦国時代の中でも人気の高い『大谷吉継』。石田三成との友情や誠実な性格で知られる吉継のエピソードを紹介しつつ、関ヶ原での西軍敗北の理由などを考察してみました。
織田信忠【信長の後継者】
弘治3年?~天正10年(1557~1582)
織田信長の嫡男『織田信忠』。本能寺の変で父の信長とともに亡くなった信忠ですが、もし彼が生きていたら、きっと秀吉や家康の時代は来ていなかったに違いありません。
織田信長【第六天魔王】
天文3年~天正10年(1534~1582)
天下布武を掲げ天下統一を志した革命家。そんな彼は先進性と残虐性を併せ持つ人間でした。第六天魔王と自称した『織田信長』の性格、そして革新性とその限界に迫ります。
織田信秀【信長の父】
永正8年~天文21年(1511?~1552?)
織田信長の父親『織田信秀』。信長が飛躍出来た背景には父の固めた地盤があったことは、あまり知られていません。信秀の簡単な略歴と、信秀の葬儀での有名な逸話をご紹介します。
か行
加藤清正【賤ケ岳七本槍】
永禄5年~慶長16年(1562~1611)
賤ケ岳七本槍の一人『加藤清正』。石田三成憎しの感情で徳川家康に味方したものの、関ヶ原の戦いの本戦には参加しませんでした。なぜ清正は関ヶ原の本戦に参加できなかったのでしょうか?
可児才蔵【笹の才蔵】
天文23年~慶長18年(1554~1613)
槍の名手として知られ、笹の才蔵の異名で呼ばれた戦国武将『可児才蔵』。彼の関ヶ原での獅子奮迅の働きや武勇に迫ります。
上泉信綱【剣聖】
永正5年?~天正5年(1508?~1573)
宮本武蔵、柳生石舟斎、戦国時代に名を馳せた数々の剣豪たち。そんな剣豪たちの原点にはこの男の存在があった!剣の道を志した『剣聖』上泉信綱の武勇に迫ります。
吉川元春【毛利の両川】
享禄3年~天正14年(1530~1586)
毛利家随一の猛将でありながら、後世に『吉川太平記』を残した彼の意外な二面性。文武両道とは彼の為にある言葉。不敗の猛将『吉川元春』の二面性に迫ります。
高坂昌信【逃げ弾正】
大永7年~天正6年(1527~1578)
武田信玄と男色関係にあったとされる『高坂昌信』。浮気した信玄が昌信に宛てた弁明の手紙とは?『逃げ弾正』高坂昌信と武田信玄の恋愛事情、そして昌信の人物像に迫ります。
小早川隆景【毛利の両川】
天文2年~慶長2年(1533~1597)
決断とはいかなるものなのか?そして何を思って決断するのか?豊臣秀吉や黒田官兵衛にも恐れられた五大老『小早川隆景』の決断に迫ります。
さ行
雑賀孫一【雑賀衆の頭領】
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巧みな鉄砲戦術を駆使し織田信長を大いに苦しめた雑賀衆を率いていた『雑賀孫一』。彼はとても謎の多い人物で、実像がハッキリしていません。『雑賀孫一』とは一体何者だったのでしょうか?
斎藤道三【美濃の蝮】
明応3年~弘治2年(1494~1556)
美濃の蝮と呼ばれた『斎藤道三』。織田信長や明智光秀が若かりし頃、道三とはどんな関りがあったのでしょうか?
斎藤利三【明智五宿老】
天文3年~天正10年(1534~1582)
明智光秀の家臣『斎藤利三』。あまり知られていない武将ですが、彼の人間関係は戦国時代の有名が沢山います。そんな利三と周囲を彩る人物の関係を見ていきましょう。
斎藤義龍【2メートルの巨漢】
大永7年~永禄4年(1527~1561)
斎藤道三の嫡男と言われる『斎藤義龍』。彼は本当に道三の息子であるかが疑問視されています。義龍出生に関わる重要な説をお伝えします。
佐久間盛政【鬼玄蕃】
天文23年~天正11年(1554~1583)
猛将『佐久間盛政』。柴田勝家に従い賤ケ岳の戦いに臨んだ盛政は、とても惜しまれる判断ミスで短い人生を終えました。彼がもっと長生きしていたら・・と思わせてくれる武将の一人です。
真田幸村【日本一の兵】
永禄10年~慶長20年(1567~1615)
大阪夏の陣、徳川家康を追い詰めるもあと一歩及ばなかった幸村。彼の活躍とは歴史にどのような意味をもたらしているのでしょうか?『日本一の兵』真田幸村の歴史的役割に迫ります。
志道広良【毛利の長老】
応仁元年~弘治3年(1467~1557)
毛利家の重臣『志道広良』。元就、隆元、二代の後見役を務め、91歳で天寿を全うした広良の人物像と格言をご紹介します。
島津義久【真の大将】
天文2年~慶長16年(1533~1611)
島津四兄弟の長兄『島津義久』。義弘を始めとした弟の活躍ばかりが注目される戦国島津家ですが、その屋台骨を支えていたのは、真の大将 島津義久だったのです。
島津義弘【鬼島津】
天文4年~元和5年(1535~1619)
1600年関ケ原の戦い。この戦いで彼が見せた前人未踏の前進退却。後世まで語り継がれる鬼島津『島津義弘』の敵中突破に迫ります。
た行
太原雪斎【黒衣の宰相】
明応5年~弘治元年(1496年~1555年)
今川義元に仕えた大僧侶『太原雪斎』。今川家の最盛期を築いたその手腕と、彼の人物像を観て行きましょう。
武田勝頼【信玄の後継者】
天文15年~天正10年(1546~1582)
信玄の跡を継ぎ武田家当主となった『武田勝頼』。一般的には武田家を滅亡させた愚将とされることの多い人物ですが、その実像はどうだったのでしょうか?
武田信玄【甲斐の虎】
大永元年~元亀4年(1521~1573)
戦国最強との見方もある武田軍。その強さの秘訣とは何だったのか?『人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり』。甲斐の虎『武田信玄』の組織づくりに迫ります。
立花道雪【雷の化身】
永正10年~天正13年(1513~1585)
歩行不能ながらも、輿に乗って九州の戦場を駆け回った『立花道雪』。そんな猛将の逸話と、彼の刀『雷切』誕生の瞬間に迫ります。
伊達政宗【独眼竜】
永禄10年~寛永13年(1567~1636)
絶大な人気を誇る戦国武将の真骨頂とはなんなのか?そして、その開けた左目が見据えていたものとは?独眼竜『伊達政宗』の英雄たる由縁に迫ります。
長宗我部元親【土佐の出来人】
天文8年~慶長4年(1539~1599)
四国制覇を成し遂げた戦国大名『長宗我部元親』。幼き時は、姫若子と揶揄されていましたが、やがて土佐の出来人と呼ばれ、周囲にも一目置かれる存在へと成長した元親の人生に迫ります。
筒井順慶【大和の武将】
天文18年~天正12年(1549~1584)
光秀の盟友『筒井順慶』。彼のエピソードとして名高い『洞ヶ峠の日和見』とは、一体どのような出来事なのでしょうか?
土岐頼芸【美濃守護】
文亀元年~天正10年(1501~1582)
美濃の守護大名『土岐頼芸』。彼と斎藤道三や斎藤義龍との関係、そして数奇な運命とは?
徳川家康【東照大権現】
天文11年~元和2年(1543~1616)
鳴かぬなら 鳴くまで待とう ホトトギス。この句に表現されるように家康の性格とは我慢の性格。そんな家康は、本当に我慢の連続な人生でした。家康の我慢の性格と人生、そして家康から学べることとは何なのでしょうか?
豊臣秀吉【天下人】
天文6年~慶長3年(1637~1598)
天下統一を成し遂げ、乱世を終わらせた『豊臣秀吉』。その覇業の第一歩が、本能寺の変後の迅速な対応にあります。秀吉が成し遂げた奇跡の大行軍『中国大返し』をお伝えします。
な行
内藤昌豊【武田の副将】
大永2年~天正3年(1522~1575)
武田四天王の一人にして、武田の副将を称された『内藤昌豊(昌秀)』。他の四天王に比べ影の薄い人物ですが、その能力は副将格とされるに相応しいものだったのです。
直江兼続【愛の武将】
永禄3年~元和5年(1560~1619)
義の武将として有名な『直江兼続』。その兜の前立てには『愛』の一字。兼続の『愛』に込めた本当の意味とは何だったのでしょうか?
長尾景春【下剋上の先駆者】
嘉吉3年~永正11年(1443~1514)
戦国初期の人物で、北条早雲と並び下剋上の先駆者『長尾景春』。太田道灌と凌ぎを削り、関東を混乱の渦に巻き込んだ景春とは、どのような人物だったのでしょうか?
長野業正【上州の黄班】
延徳3年~永禄4年(1491?~1561)
戦国時代は地方の時代。それを証明する一人の頑固爺さん。信長の野望において、有名武将に引けをとらない強さの理由とは?『上州の黄班』長野業正の伝説に迫ります。
鍋島直茂【佐賀藩の祖】
天文7年~元和4年(1538~1618)
龍造寺家の重臣で肥前佐賀藩の礎を築いた『鍋島直茂』。そんな彼が語る長所と短所の活かし方に迫ります。
濃姫(帰蝶)【信長の妻】
天文4年~??(1535~??)
信長の正妻でありながら、謎多き女性『濃姫』。ゲームなんかでは妖艶な女性として登場する彼女ですが、実際はどうだったのでしょうか?
濃姫と信長の間に子供はいたの?
は行
波多野秀治【丹波の武将】
天文10年~天正7年(1541~1579)
赤井直正とともに、明智光秀の丹波攻略に立ち塞がった『波多野秀治』。彼はなぜ光秀を裏切ったのか?そのしたたかな策略をお伝えします。
平手政秀【信長の傅役】
延徳4年~天文22年(1492~1553)
若かりし頃の織田信長の教育係として知られる『平手政秀』。彼と信長の真の関係と、その最期をお伝えします。
藤田行政【明智五宿老】
??~天正10年(??~1582)
光秀の重臣で明智五宿老の一人『明智伝五郎行政』の人物像と、本能寺の変や山崎の戦いでの活躍をお伝えします。
北条氏康【相模の獅子】
永正12年~元亀2年(1515~1571)
相模の獅子『北条氏康』。武田信玄や上杉謙信と互角に渡り合い、関東に広大な領土を築いた男が、歴史の表舞台に登場することになった出発点。それが、戦国三大奇襲戦『川越夜戦』なのです。
そんな氏康の人物像やエピソードはコチラです。
細川忠興【利休七哲】
永禄6年~正保2年(1563~1646)
明智光秀の娘『ガラシャ』の夫として知られる武将『細川忠興』。ガラシャに対する執念深い愛情でも知られる忠興のエピソードをお伝えします。
細川藤孝【戦国一の文化人】
天文3年~慶長15年(1534~1610)
戦国武将にして文化人でもある『細川藤孝(幽斎)』。古今伝授にも精通し、時の天皇にもその存在を必要とされた武将の逸話をご紹介します。
本多忠勝【家康に過ぎたるもの】
天文17年~慶長15年(1548~1610)
名槍 蜻蛉切を手に、幾多の戦場で活躍してきた猛将『本多忠勝』。徳川四天王の一人に数えられた名将のエピソードをご紹介します。
ま行
前田慶次【傾奇者】
天文2年?~慶長10年?(1533?~1605?)
戦国時代のかぶき者『前田慶次』こと前田利益。『かぶき者』の異名が示す通り、彼には多くのとんでもエピソードが残っています。
松永久秀【戦国の極悪人】
永正5年~天正5年(1508~1577)
戦国時代の極悪人と言われる『松永久秀』。戦国時代には多くの武将たちが戦場に散りましたが、その中でも久秀の最期は特筆すべき凄まじいものでした。
溝尾茂朝【明智五宿老】
天文7年~天正10年(1538~1582)
明智光秀の家臣ですが、知名度がほとんど無い『溝尾茂朝』。しかし、光秀最期の時に重要な役割を担った人物なのです。
三淵藤英【幽斎の異母兄】
??~天正2年(??~1574)
幕臣で細川幽斎(藤孝)の異母兄『三淵藤英』。あまり知られていない人物ですが、その最期には実に摩訶不思議で、空白の10ヶ月間が存在しています。謎の10ヶ月の最中に何が起こったのか?藤英の不可思議な最期に迫ります。
三好長慶【天下を取った男】
大永2年~永禄7年(1522~1564)
戦国時代にはたくさんの武将が登場しますが、その中には正当な評価がなされておらず、その活躍や存在感の割には、人気や知名度が低い人物も少なくありません。その代表格『三好長慶』の活躍を語ります。
毛利隆元【元就の後継者】
大永3年~永禄6年(1523~1563)
優秀な父と弟たち。そんな中、長男である彼はいつもネガティブ思考。しかし、その裏には人に好かれる人間性がありました。毛利家嫡男『毛利隆元』のキャラクターに迫ります
毛利元就【中国の覇者】
明応6年~元亀2年(1497~1571)
『謀多きは勝ち、少なきは負ける』。戦国時代最恐の謀略で4倍の兵を蹴散らした厳島の戦い。中国地方の覇者に上り詰めた謀神『毛利元就』の謀略に迫ります。
籾井教業【丹波の青鬼】
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丹波の赤鬼 赤井直正と並ぶ猛将 青鬼『籾井教業(もみい のりなり)』。謎の多い武将であり実在が疑問視されている教業の実像に迫ります。
や行
山内一豊【内助の功で大出世】
天文14年~慶長10年(1545~1605)
正室『千代』の内助の功で知られる『山内一豊』。武将としての活躍があまり思い当たらない一豊が出世できた本当の理由とは何だったのでしょうか?
山県昌景【赤備えの猛将】
享禄2年~天正3年(1529~1575)
戦場を駆け抜ける真紅の騎馬隊。それを率いた小さな猛将。武田家を戦国屈指の大大名に押し上げた『赤備え』山県昌景の勇猛さと、壮絶な最後に迫ります。
山本勘助【片目の天才軍師】
明応2年?~永禄4年(1493?~1561)
勘助は実在したのか?あるいは架空の人物だったのか?今なおその存在を疑われている片目の天才軍師『山本勘助』の真実に迫ります。
有力大名の家臣団一覧
戦国時代の有力大名の家臣団一覧です。
各武将の簡単な列伝付きで、主要な家臣たちをご紹介しています。
伊達政宗の主要家臣団
人気、知名度ともに抜群の『独眼竜 伊達政宗』。
ゲームやドラマの影響で、多くの人が知っている武将ですが、その家臣団はあまり知られていない印象があります。
戦国末期に遅れてやってきた伊達政宗の主要家臣団一覧です。
北条氏康の主要家臣団
北条早雲に始まる北条五代の悲願『関八州制覇』。
その中でも名将と名高い、相模の獅子と呼ばれる北条氏康。
関東制覇を夢見た北条氏康の主要臣団一覧です。
武田信玄の主要家臣団
甲斐の虎の異名を持つ武田信玄。
風林火山の旗印を掲げ戦場を駆け、戦国最強とも言われる武田軍の一覧です。
上杉謙信の主要家臣団
越後の龍 上杉謙信。
毘沙門天の化身と言われた猛将を陰で支えた家臣団一覧です。
徳川家康の主要家臣団
戦国時代を終わらせ最後に笑った徳川家康。
戦国を制した家臣団の一覧です。
織田信長の主要家臣団
戦国時代と言えば織田信長。
天下統一まであと一歩に迫った強力な家臣団一覧です。
有名な武将が多いです。
豊臣秀吉の主要家臣団
戦国時代を終わらせた豊臣秀吉。
天下をとっただけあって、秀吉の家臣団は戦国時代末期のオールスターのような面々になっています。
そんな豊臣秀吉の主要家臣団一覧です。
明智光秀の主要家臣団
本能寺の変を起こした明智光秀。
この歴史をひっくり返した大事件の首謀者たちをご紹介します。
三好長慶の主要家臣団
戦国時代において、室町時代を前提としない政権を始めて樹立した『三好長慶』。
そんな長慶の覇業を支えた家臣団の一覧です。
宇喜多直家、秀家の主要家臣団
備前の梟雄『宇喜多直家』、そしてその嫡子『宇喜多秀家』。
彼らの主要な家臣団一覧です。
毛利元就の主要家臣団
中国地方の覇者 毛利元就の覇業を支えた家臣団。
中国地方のほぼ全域に版図を広げた元就と共に活躍した男たちの一覧です
長宗我部元親の主要家臣団
四国を制覇したと言われる『長宗我部元親』。
姫若子と呼ばれた貧弱な子供だった元親が、土佐の出来人と呼ばれるまでに至る覇業を支えた主要家臣団の一覧です。
龍造寺隆信の主要家臣団
島津、大友と並び、九州三国志の一角を演じた龍造寺。
その龍造寺を戦国大名化させた武将が龍造寺隆信です。
龍造寺家を九州の大大名に押し上げた隆信の家臣団の一覧です。
島津義久、義弘の主要家臣団
九州のほぼ全域を制覇した島津家。
なにしろ強かったイメージがある戦国時代屈指の名門、島津家の主要家臣団の一覧です。
真田十勇士
真田幸村と共に戦場を駆け、大坂夏の陣で大活躍した『真田十勇士』
彼らは物語に登場する架空の人物ですが、そのメンバーと最後はどのようなものだったのでしょうか?
戦国時代の時代背景
戦国時代は地方の時代
長い日本の歴史の中でも特に人気の戦国時代。人気の秘密はこの時代が地方の時代だったからに他なりません。下剋上から見えてくる戦国時代が人気な理由に迫ります。
戦国時代はいつからいつまで?
日本史の中でも、特に人気の戦国時代。
ですが、歴史の授業で習う時代区分に、戦国時代は登場しません。
戦国時代とは、一体いつ始まっている終わったのでしょうか?
信長や秀吉が活躍した『安土桃山時代』と戦国時代の違いとは?
天下統一の真実
全国の大名たちが天下統一を目指し凌ぎを削った時代。戦国時代の時代背景をこのように勘違いしていませんか?当時の武将たちが何故戦争に明け暮れたのか?本当の天下統一とは?戦国時代に現れた織田信長は何が凄かったのか?戦国時代の真実に迫ります。
戦国武将の食生活
戦国武将たちの普段の食事は、どんな時間に何を食べていたかご存知ですか?
現代人の基本的な食生活と言えば、朝昼夕の3食で主食は白米、おかずは肉や魚、煮物に揚げ物などバラエティに富んでいますが、戦国時代の食生活は今と全く違いました。
戦国時代の武将たちは、一体どんな食生活だったのでしょうか?
戦国武将なんでもランキング
日本の歴史の中でも人気の戦国時代。
この時代は、地方政権が乱立し、全国各地でたくさんの英雄たちが登場した時代でもあります。
個性的で魅力あふれる武将たちが、綺羅星のごとく登場した戦国時代。
そんな武将たちを様々な角度からランキング形式にしてみました。
大河ドラマのこと
目的別!戦国時代初心者にオススメな本!
戦国時代に興味を持ち始めた方の為の、目的別オススメ書籍のご紹介です。