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拓麻呂です。
2019年の年末も差し迫ったこのタイミングで、熱い情報が飛び込んできました。
2020年のNHK大河ドラマ 麒麟が来るに『三好長慶(みよし ながよし)』が登場します。
それ誰?という方も多いと思いますが、実は織田信長や豊臣秀吉に先駆けて、天下を制した武将なのです。
戦国時代にはたくさんの武将が登場しますが、その中には正当な評価がなされておらず、その活躍や存在感の割には、人気や知名度が低い人物も少なくありません。
その代表格が、三好長慶です。
逆にドラマでカッコよく描かれたため、過大評価されている武将も多く、その点で言えば長慶は本当に不憫だなと感じています。
僕は以前から、長慶はもっと評価されるべき人物だと思っていて、当ブログの記事でもたびたび推してきました。
この記事では、そんな長慶の簡単な略歴を交えつつ、戦国時代における長慶の存在感や魅力をお伝えしてきます。
隠れた天下人!三好長慶
三好長慶の重要性
戦国時代の京都と言えば、何を思い浮かべるでしょうか?
基本的には足利将軍がいて、それに入れ替わり織田信長が支配していたような印象かと思います。
当時の京都は、当然ながら日本の中心地です。
その京都を、信長以前には何が起こっていたのか?
そのカギを握るのが三好長慶です。
実は、三好長慶を知らずして、織田信長以前の戦国史、もっと言えば戦国史の全体像を理解することはできないのです。
三好長慶の評価ポイント
戦国時代のキーワードとして『天下統一』という言葉がよく使われます。
織田信長は天下統一目前で本能寺の変で倒れ、その後を継いだ豊臣秀吉、そして徳川家康らが天下統一をしたのは、よく知られている事実です。
よって、『天下』とは全国統一のことを指していると思われがちです。
しかしながら『天下』という言葉の本当の意味は、必ずしもそうではありません。
基本的に、戦国時代真っただ中の段階では『天下』とは、京都とその周辺国(畿内)のことを指しています。
決して、全国のことではないのです。
長慶や信長の段階では、衰えたとは言え、京都には将軍がいます。
つまり、公的な中央政府である室町幕府が存在しているのです。
よく戦国時代は、天下取りを目指した武将たちが争っていた印象が持たれますが、その認識は後世の物語やゲームなどによって根付いた誤ったイメージです。
その辺の詳細はコチラの記事をご覧ください。
普通に考えればわかることですが、中央政府があるのに、それに取って代わって自分が日本全国を統治しよう!なんて志を高く持った人たちが、足並みそろえて全国各地に登場するわけないです。
当時の基本的な考えとしては、室町幕府を立て直し、その中枢に自分が座ることで実験を握る。
そうすれば、日本の中心地である京都が支配できる。
これが、当時の『天下』です。
つまり、室町幕府が前提として存在しているのです。
そして、この前提を戦国時代で初めて破った人物。
それが『三好長慶』です。
古い慣習を破壊するのって、信長の専売特許のように思われがちですが、信長や秀吉に先立つこと約20~30年前にそれをやっていたのが、三好長慶と言う武将なのです。
長慶は、当時の将軍であった『足利義輝』を京都から追放し、その後に幕府に頼らない自らの政権を打ち立て、畿内を制しました。
それまでの当時の考えに従えば、現行の将軍を追い出したら、新たな将軍を擁立し、自分が裏で幕府の実権を握ろう!となります。
しまし、長慶はそうはせず、自らがトップに立ち中央政権を創出しました。
この政権を『三好政権』と呼びます。
このような事実から、三好長慶は戦国乱世において最初に天下をとった武将と言われるのです。
まとめ
以上、三好長慶についてでした。
長慶はその実績の割には、本当に知名度の低い武将です。
これは、晩年に家臣の『松永久秀』の台頭を許したことなどが、長慶の評価を落としているというのもある気がします。
下手をすれば、長慶よりも松永久秀の方が有名ですし。
ともかくも、麒麟がくるに三好長慶が登場することで、少しでも名誉挽回に繋がればいいなと思っています。
他にも、麒麟がくるに関する記事を扱っています。
ここを見れば『明智光秀』と、その妻『妻木煕子』のすべてが分かる!
2020年大河ドラマ 麒麟がくる放送記念
【明智光秀&妻木煕子 大特集】
では、今回はこの辺で!
ありがとうございました。