最強の将軍 足利義輝!凶刃に散った剣豪将軍の壮絶な最期とは?

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戦国時代と戦国武将

ご来訪ありがとうございます。

拓麻呂です。

 

戦国時代の真っただ中、剣の道を極めた1人の将軍がいました。

 

室町幕府13代将軍

足利義輝(あしかが よしてる)

 

将軍と言う立場でありながら、何度も京都を追われ、最後は壮絶な斬り合いの末、凶刃に散った足利義輝。

 

今回は、『剣豪将軍』の異名をとった足利義輝の人生と、壮絶な最期に迫ってみたいと思います。

 

 

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剣豪将軍!足利義輝

出典:Wikipediaより

宿敵 三好長慶と将軍の勤め

足利義輝は11歳で元服し、室町幕府の13代将軍に就任します。

 

しかし、応仁の乱以降の幕府は、幕府のNo.2である管領 細川家に牛耳られており、義輝も将軍とは名ばかりの傀儡に過ぎません。

 

権威の失墜した将軍は、細川家の専横により、京を追われ近江国(現在の滋賀県)に追われたりと、苦難の日々を送っていました。

 

そんな中、細川家の重臣『三好長慶(みよし ながよし)』が台頭。

主君である細川家をも凌ぐ勢いを見せ始めます。

 

一時は、細川家と和睦し、京に戻っていた義輝でしたが、三好長慶によって細川家の当主(晴元)が駆逐され、義輝はまたも近江へ亡命。

 

その後、三好長慶と和睦するも、結局揉めてまた近江へ逃亡。

 

しかし、長慶の配慮により、再び京へ復帰。

 

京都と近江を行ったり来たりしていた義輝でしたが、ここでようやく将軍として京都に居座ることが出来るようになります。

とは言え、京都で実験を握っていたのは三好長慶であり、義輝はお飾りの将軍に過ぎませんでした。

 

この状況に不満を抱いていた義輝は、我こそが正当な室町幕府の将軍であるとして、その威光を取り戻そうと、行動を起こします。

 

当時、争っていた武田信玄の上杉謙信など、各地の大名家に調停の命を下すなど、積極的に将軍としての役目を果たそうとしていました。

 

特に上杉謙信は義輝に拝謁するために上洛した経緯もあり、室町幕府の将軍権威再興のための約定を結んだりしています。

 

 

迫り来る松永久秀の脅威

このように、京に復帰し将軍権威の再興を図っていた足利義輝。

そんな中、宿敵『三好長慶』が病を得てこの世を去りました。

 

これで義輝の将軍権威も復活かと思われましたが、新たな男が義輝の前に立ちふさがります。

 

松永久秀です。

 

権謀術数が渦巻いた戦国時代の中でも、特に悪人として後世に語り継がれる松永久秀。

 

三好長慶亡き後に、久秀は三好家の乗っ取り、そして中央政権をも我が物としたい久秀は、三好三人衆という配下を従え、暗躍を始めます。

 

この松永久秀による陰謀により、義輝は壮絶な最期を遂げることになります。

 

 

二条御所の激闘!足利義輝 凶刃に散る

松永久秀にとって、幕府権力の復活を志していた義輝は邪魔な存在。

 

久秀は息子の『松永久通』と三好三人衆を中心とした軍勢を、義輝の居る二条御所に差し向けます。

 

強襲された二条御所。

大勢の兵士が義輝の襲い掛かります。

 

しかし、義輝もこのまま黙って討ち取られるほど、やわな男ではありません。

 

義輝は、戦国時代の大剣豪『塚原卜伝(つかはら ぼくでん)』から剣術を学んだ剣豪将軍。

 

襲い来る松永軍を次々を切り伏せて行きます。

 

床に何本もの刀を突き刺し、血や油で刀の切れ味が落ちる度、床から刀を抜いて応戦し、驚異的な強さを発揮したと伝わっています。

 

返り血を浴びながらも鬼人の如き強さを見せた剣豪将軍 義輝でしたが、ついに最後の時がやってきます。

 

鬼のような強さを見せる義輝の剣技に対し、松永軍は畳と盾にして義輝に突撃。

 

押し倒された義輝は畳の下敷きにり、松永軍は畳の上から義輝を四方八方から串刺しにしました。

 

室町幕府13代将軍 足利義輝。

享年30

 

三好長慶に何度蹴落とされても決して屈しなかった義輝は、夢であった『室町幕府の再興』を叶えることなく、松永久秀の陰謀に倒れました。

 

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剣豪!義輝

一般的に戦国時代は応仁の乱を契機に始まったと言われています。

そして室町幕府は、織田信長による15代 足利義昭の追放によって終焉を迎えたとされています。

 

応仁の乱から室町幕府の滅亡まで、8代~15代の将軍が在位していたことになりますが、その中でも、無視できない存在が足利義輝であったと僕は思っています。

 

この後に登場してくる織田信長と足利義昭の抗争は有名でが、義輝と長慶の抗争は、あまり取り上げられません。

 

しかしながら、三好長慶は義輝を追放し、中央政権を牛耳った実質的な天下人であり、義輝と長慶の抗争は、旧権威(足利)と新しい権威(三好)が激突した、まさに天下を巡る争いだったのです。

 

戦国時代は地方政権が乱立した時代であるがゆえに、一見見落としがちな部分ですが、1550年代頃の日本の中央政権を巡る争い、つまり日本の中心で起こっていた争いが足利義輝vs三好長慶です。

 

ここを見落とすと、この後に中央へ進出してくる信長の動きとの連続性が見出せなくなります。

 

そういった意味でも、足利義輝という将軍は戦国時代を見ていく上え、絶対に外せない存在なのではないかと僕は考えています。

 

 

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では、今回はこの辺で!

ありがとうございました。