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拓麻呂です。
2020年NHK大河ドラマ『麒麟がくる』にも登場している『三淵藤英』という戦国武将がいます。(演者は谷原章介さん)
あまり有名な武将ではありませんが、明智光秀などの有名な人物とも縁のある武将です。
なにより、その最期が実に不可解で悲劇的なのです。
そんな三淵藤英とは、いかなる人物だったのか?
彼のプロフィールなども含め、お伝えしていきたいと思います。
三淵藤英の不可思議な最期
三淵藤英のプロフィール
まずは、ごく簡単に三淵藤英のプロフィールをご紹介します。
【名前】三淵藤英(みつぶち ふじひで)
【生年】不詳
【没年】天正2年(1574年)
【兄弟】細川藤孝(後の幽斎)
※藤英は藤孝の異母兄にあたる。
【父】三淵晴員(みつぶち はるがず)
【略歴】
足利将軍家の家臣。幕臣。
永禄の変で13代将軍 足利義輝が亡くなった後、細川藤孝や和田惟政らとともに、軟禁されていた義昭を救い出し、将軍擁立に奔走。
織田信長の尽力もあり、晴れて義昭は第15代将軍となり、藤英も義昭の重臣となる。
やがて信長が勢力を増してくると、義昭と不和になり、弟の藤孝が信長に味方すると、藤英が大激怒。
ここに兄弟間の争いが勃発。
しかし、義昭陣営は徐々に追い詰められていき、二条城に籠り奮戦するも抗しきれずに降伏。
以降は、信長の家臣となったのだが・・・。
三淵藤英の最期に残された謎
では、藤英の最期についてお伝えします。
結論から言ってしまうと、藤英は自害しています。
藤英が生きたのは戦国時代ですから、自害すること自体は決して珍しいことではないのですが、藤英の場合はちょっと事情が異なります。
信長の家臣となって間もなく、藤英の名前が約10ヶ月間に渡り、当時の史料から消えています。
そして、再び史料に藤英の名前が現れるのですが、なぜか信長から苛烈な処罰を言い渡されています。
その内容は、三淵氏の居城『伏見城』の破却を命じ、所領を没収、そして明智光秀の居城である坂本城に預かりの身となる、というものでした。
そして、それから約2ヶ月後の天正2年(1574年)。
坂本城にて、長男の『三淵秋豪(みつぶち あきひで)』とともに、自害を命じられました。
空白の10ヶ月と領地の没収、そして突然の自害。
藤英の身辺に一体何が起こったのでしょうか?
自害の理由を妄想
藤英は、なぜ自害しなければならなかったのか?
残念ながらハッキリしたことは分かっていません。
なので、以下は想像です。
藤英が自害したのが天正2年(1574年)。
このタイミングに比較的近い時期に、実は室町幕府が滅亡しています。
天正元年(1573年)15代将軍 足利義昭が京都から追い出されたことで、時代は安土桃山へと移行していきます。
さらに、同年には『浅井家滅亡』があります。
この時に、亡くなった浅井長政と、浅井の同盟者である朝倉義景の頭蓋骨を盃にして宴を行い見せしめにしたという、残酷な逸話が残っています。
また、元亀2年(1571年)には、残虐極まる大事件とされる『比叡山延暦寺の焼き討ち』が行われています。
これらの出来事を見ると、旧来の勢力である室町幕府を打倒するなど、信長が戦国の覇者として名実ともに認められ始めた時期であり、延暦寺焼き討ちや頭蓋骨の盃など、その残虐性も顕著に表れてきた時期でもあります。
この流れの中で、藤英の自害を考えてみるとどうでしょうか。
まず、藤英はもともと足利将軍の家臣(幕臣)でした。
そして、同じく幕臣であった異母弟の細川藤孝(幽斎)は、いち早く信長に呼応していますが、藤英はこれに反発しています。
ここが大きなターニングポイントになっていると思われます。
前述の通り、浅井長政と朝倉義景、比叡山延暦寺、他にも一向一揆勢力など、信長は自身に従わなかった人物や勢力に対し、徹底した弾圧や処罰を行う傾向がありました。
そんな信長に対し藤英は、元幕臣であっただけでなく、信長包囲網の主犯であった足利義昭に従っていましたし、異母弟の細川藤孝が織田陣営に降る中、それに激怒したうえ信長に敵対しています。
信長のブラックリストに名前が入っていても、全然不思議ではありません。
このような状態の藤英が、空白の10ヶ月間の最中に、信長の逆鱗に触れるような何かしらの問題を起こしていたとするならば・・・。
結果は想像に難くありません。
居城の破棄と所領の没収だけでなく、父子ともに自害させられている事実を見ても、謀反の動きを見せたりなど、不穏な行動に走った可能性もあるのではないでしょうか。
異母弟の藤孝がこの後も重用され、明智光秀とともに織田家の勢力拡大に貢献していることから考えても、初動のタイミングで信長に従わなかったことが、兄弟の運命を分けたのかなと感じます。
まとめ
以上、三淵藤英の不可解な最期でした。
想像の域を出ませんが、やはり最初の段階で信長に従わなかったこと、そして元幕臣であり室町幕府が滅亡して間もない時期であったことなどから、粛清されたという側面が強いのかなと個人的には考えています。
弟の藤孝は、戦国時代随一の文化人としてこの後も活躍していきます。
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では、今回はこの辺で!
ありがとうございました。