厳島の戦いに参戦した村上水軍!毛利元就の決意に味方した海の男たち

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戦国時代と戦国武将

 

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拓麻呂です。

 

戦国時代・・中国地方の覇者として君臨していた毛利家。

 

そのきっかけとなった合戦が、毛利元就による『厳島の戦い』です。

 

毛利元就軍は約4000人、対する陶晴賢軍はおよそ20000人。元就にとって圧倒的に不利な戦いでした。

 

そんな元就は厳島の戦いに臨むにあたり様々な謀略を用い、敵である『陶晴賢(すえはるかた)』を追い詰めていきます。

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元就の謀略によって厳島への上陸を決意する陶晴賢。

 

しかし元就にとって、この戦いを制する為には、まだ足りないものがありました。

 

水軍です。

 

今回は、元就を勝利に導いた最大の戦力『村上水軍』が毛利家に味方した経緯を見ていくことにしましょう。

 

※厳島の合戦には様々な説があり、今回紹介する内容は軍記物を参考にしている部分もあり必ずしも史実としての共通見解ではないことをご了承ください。

 

 

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~毛利元就を勝利に導く村上水軍~

瀬戸内海に勢力を持つ村上水軍

厳島とは、現在世界遺産にも登録されている広島県の『安芸の宮島』です。

 

厳島は瀬戸内海にあり、四方を海に囲まれています。このような立地で戦うにあたり、当然ながら海戦が想定されます。そこで重要になってくるのが『水軍』の存在。

 

水軍とは、海の大名とも言えるような存在であり、操船術にも優れています。水軍は勢力圏内を通過する船の護衛を生業としていました。

 

この当時、瀬戸内海で勢力を持っていたのが『村上水軍』。

 

 

村上水軍は、大きく分けて三つの勢力が存在し、瀬戸内海に浮かぶ島を本拠地としていたことから、能島(のしま)村上氏、因島(いんのしま)村上氏、来島(くるしま)村上氏と呼ばれています。

 

この三氏の総称を『三島村上水軍(さんとうむらかみすいぐん)』と言います。

 

この中で、厳島の戦い以前から元就に味方していたのは、因島村上氏のみ。毛利家は自前の水軍も所有していました。しかし、瀬戸内海を知り尽くし、その荒波を物ともしない操船技術を持つ村上水軍。毛利氏にとっては、他の二氏も喉から手が出るほど欲しい戦力でした。

 

 

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彼は、能島氏、来島氏を味方につけるよう、父元就に命じられます。

 

そんな隆景は、両氏の説得に動き出します。この時、説得に当たったのが隆景配下の『乃美宗勝(のみむねかつ、浦宗勝とも)』という人物。隆景が持つ小早川水軍を代表する男です。

 

なおこの宗勝は、能島村上氏の頭領『村上武吉(むらかみたけよし)』と血縁関係にあったようで、そのような経緯もあり交渉役に抜擢されたと考えられます。

 

この乃美宗勝が、能島氏、来島氏を味方に引き込む一世一代の気迫をみせるのです。

 

なお、村上水軍の戦力は陶晴賢も欲しています。ただでさえ兵力の少ない毛利軍、陶氏に味方されては、それこそ勝ち目はありません。

 

そんな状況の毛利を代表し、交渉にあたった乃美宗勝。彼は来島村上氏頭領『村上通康(むらかみみちやす)』に、決戦に臨む元就の熱い覚悟を伝えるのです。

 

『一日だけ、船をお借しくだされ!!』

 

 

毛利軍にとって、この戦いは正に背水の陣。負ければもう後は無く陶晴賢に滅ぼされるのみ。そのような戦いに退却する為の船は必要ない。生きて帰るには、勝利以外の方法は無い!!

 

このような、元就の強い覚悟、気迫、熱意を力強く語った(と思われる)宗勝の説得により、村上通康は、元就の強い意志を感じ、毛利軍の勝利を確信します。

 

このようにして、三島村上水軍の頭領、村上武吉(能島氏)村上通康(来島氏)村上吉充(因島氏)は毛利軍に味方することを約束したのでした。

 

 

決戦前夜、村上水軍の大船団現る

いよいよ決戦前夜。

 

数々の謀略を張り巡らし、瀬戸内海の支配者 村上水軍を味方に付けた元就は一世一代の大勝負に臨みます。

 

この時、にわかに雲行きは怪しくなり、激しい雨と強い風が吹き荒れていました。

 

 

雨に打たれる元就、そして長男隆元、次男吉川元春、三男小早川隆景。

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この後、毛利家を大大名へと押し上げた父と息子たちは、激しい暴風雨の中、村上水軍の来援をじっと待ちます。

 

・・・

 

・・・

 

しかし、どうしたことか村上水軍は現れる気配を見せません。

 

毛利軍に不安がよぎります。前述のように村上水軍には、陶晴賢からも熱いラブコールが送られていました。

 

『もしや、陶に味方してしまったのではないか・・・』

 

不安にかられる毛利軍。毛利が勝利するためには村上水軍の力が絶対に必要なのです。

 

一行に現れない村上水軍。しびれを切らした元就は、村上水軍抜きでの決戦を覚悟し、厳島への渡海を全軍に命じました。

 

 

その時・・・

 

荒れる海の彼方にかすかに見える、『〇』に『上』の印を染め抜いた帆を掲げる大船団。『〇』に『上』・・・正しく村上水軍の旗印。

 

三百艘にも及ぶ村上水軍の大船団が遂に姿を現しました。

 

この大船団を目にした毛利軍からあがる大歓声。

 

激しい風雨の中、思わず床几から立ち上がり、こちらに近づいてくる大船団をじっと見つめる毛利元就。

 

そして顔を見合わせ、頷きあう三人の息子たち。

 

4000vs20000・・・圧倒的不利な状況、そんな状況で毛利が勝利する為のお膳立ては、全て整いました。

 

戦国三大奇襲戦の一つ『厳島の戦い』がいよいよ始まります。

 

 

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~村上水軍が毛利に味方したもう一つの理由~

このようにして、元就は村上水軍を味方につけることに成功します。その裏には、前述のとおり小早川隆景配下『乃美宗勝』の説得があったと言われています。

 

しかし、もうひとつ村上水軍が毛利に味方した大きな理由がありました。

 

それは、陶晴賢に恨みがあったから。

 

簡単に言いますと、村上水軍は領海を通る船の護衛を行い、その報酬として警固料をもらって生活していました。晴賢は厳島が自分の支配下にあった時、村上水軍の警固料を停止し、自身の利益にしようとしたことがありました。

 

このような経緯が書かれた古文書(大願寺文書)が残っており、村上水軍は最初から晴賢に味方する気は無かったようです。

 

乃美宗勝のエピソードも面白いですが、恐らくこの警固料を巡る問題が元就に味方した本当の理由でしょう。

 

 

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では、今回はこの辺で!ありがとうございました。