不敗の猛将 吉川元春!毛利元就次男の意外な二面性『吉川太平記』

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戦国時代と戦国武将

 

ご来訪ありがとうございます!

拓麻呂です。

 

 

普段は子供っぽい人が、仕事になるとテキパキと部下に指示を出している。例えばこんな二面性に異性は惹かれることがあるそうです。

 

今回はそんな二面性を持った戦国武将は

吉川元春

 

毛利元就の次男坊 元春は負け知らずの猛将!そんな彼が陣中で見せた意外な一面とは?

 

是非みなさんも元春のように二面性を身につけ、異性の目を釘付けにしてみてください。

 

 

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意外な二面性を持つ吉川元春

わずか12歳で初陣

吉川元春は中国地方の大名毛利元就の次男として生まれ、後に吉川家へ養子にだされます。

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元春は幼いころから腕白で、弟の小早川隆景と雪合戦に興じた際、圧倒的な勢いで勝利。ちなみにこの雪合戦、二戦目は弟隆景が知略を用い見事リベンジを果たします。この光景を見ていた父の毛利元就は、兄元春の勇猛さと弟隆景の知恵深さを見抜いたと言われています。

 

時は流れ元春12歳の時。父元就はある合戦に挑みます。この時、元春は合戦への参加を申し出ます。

 

しかし元春はまだ12歳。子供です。当然、元就は認めません。

 

それでも参戦を乞う元春。

 

首を横に振る元就。

 

さらにしつこく我儘を言う元春。

 

頑なに認めない元就。

 

納得できない元春は、ついに刀を抜いて暴れ始めます。

困り果てた元就は、しぶしぶ元春の参戦を了承したのでした。こうして元春は12歳で初陣という偉業を成し遂げました。

 

 

不敗の猛将 吉川元春

元春は生涯負け知らずだったという伝説が残っています。

 

その戦績は・・・

 

76戦64勝12分け

 

雪合戦で見せた勇猛さの通り、元春は持ち前の戦センスで父元就の偉業を支え続けました。元春は毛利家随一の猛将として、その名を轟かせるのです。

 

 

宿敵尼子との持久戦

数々の戦場を駆け抜けた元春は宿敵尼子家との合戦に臨みます。

 

戦局は毛利優勢。ついに尼子は城に籠ってしまいます。尼子の城を包囲する毛利勢。

 

この時尼子家が取った行動を籠城(ろうじょう)と言います。今回は戦術論ではないので詳しくは割愛しますが、一般的に城攻めは攻め手が不利とされています。なので相手が城に籠った時は周囲を包囲し、食料や物資の枯渇を待つことになります。やがて、物資不足や飢えで戦意を喪失した籠城側は降伏を申し出るのです。

 

いわゆる持久戦というやつですね。こうして長い籠城戦が始まりました。。。

 

 

太平記を書写(コピー)する元春

なかなか降伏しない尼子家。時間を持て余す毛利家。もちろん元春も暇です。

 

ここで元春は思わぬ行動に出ます。

 

太平記という昔の書物を書き写し始めたのです。これまで勇猛果敢な戦ぶりを見せてきた男が突然文化人としての一面を見せてきました。

 

元春はこの尼子家包囲中に太平記全40巻を書写し終えることになるのです。

 

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元春か書写した太平記の現在

『なんだ、書き写しただけか・・』と思ってはいけません。この元春が書き写した太平記は『吉川本』と呼ばれ、現在では国の重要文化財に指定されています。

 

太平記の原本は欠失した部分があるのですが、吉川本はほぼ完全な状態で残されている為、太平記の研究には欠かせない存在となっているそうです。

 

勇猛な武将であった元春が国の重要文化財を残したのです。文武両道とは元春のような男を言うのかもしれませんね。

 

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~時間を有効に使うことの大切さ~

尼子家包囲中に太平記を書写した元春ですが、見方を変えるともうひとつの教訓が隠されています。

 

『時間の有効利用』です。

 

包囲中の空いた時間を有効に使い太平記を写したことで、後世に重要文化財を残しているんですね。

 

このように、多様な視点でひとつの出来事を妄想できるのも歴史の楽しさと言えますね。

 

 

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では、今回はこの辺で!ありがとうございました。