明智光秀の生まれ年はいつなのか?謎だらけの生年に迫る!

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戦国時代と戦国武将

ご来訪ありがとうございます。

拓麻呂です。

 

本能寺の変を起こした人物『明智光秀』

歴史に興味の無い人でも、名前だけは知っているほど、戦国武将の中でもかなり有名な人物です。

 

ところが、その知名度とは裏腹に、光秀がいつ生まれて、何歳で亡くなったのかはハッキリしていません。

光秀に生年にはいくつかの説があるのですが、今なお明確にはなっていないのです。

 

と言うことで、いくつかある明智光秀の生年を紹介するとともに、自分なりの見解を想像を交えつつお伝えしていこうと思います。

 

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明智光秀はいつ生まれたのか?

享禄元年(1528年)説

光秀の生年として有力視されている説は2つ。

その一つが『享禄元年(1528年)』です。

この年の生まれとすると、光秀は55歳で亡くなったことになります。

年齢の近い有名な武将としては、1529年生まれの山県昌景や龍造寺隆信、1530年生まれの上杉謙信あたりがいます。

 

一応、この説が一般的です。

 

この説は、江戸時代の中頃に書かれた『明智軍記』が根拠となっています。

 

明智軍記は、いわゆる『軍記物』と呼ばれるもので、現代で例えるならば、明智光秀を主人公にした歴史小説みたいなものです。

今でもそうですが、歴史を題材にした小説って、物語を盛り上げるため、あるいは歴史的に不明な部分を繋ぎ合わせるため、大なり小なり作者の想像や妄想が入っているものです。

 

よって、明智軍記の信憑性が疑問視されています。

 

しかし、この説が一般的に採用されているのにも理由があります。

江戸時代の盲目の国学者 塙保己一(はなわ ほきいち)と弟子たちが編纂した『続群書類従』に載っている『明智系図』。

これによると、光秀の生年は享禄元年(1528年)の旧暦3月10日。

生年が明智軍記の記述と同じになります。

 

明智系図、作成年などの由緒もハッキリしているので、明智軍記の記述『享禄元年(1528年)』生まれというのが、一般的に支持されているのです。

 

永正13年(1516年)説

もうひとつの有力な説が『永正13年(1516年)』です。

この年の生まれとすると、光秀は67歳で亡くなったことになります。

年齢の近い有名な武将としては、1515年生まれの北条氏康、1519年生まれの今川義元あたりがいます。

 

この説は江戸時代の初期に書かれた『当代記』という史料が根拠になっています。

当代記は、安土桃山時代から江戸時代の初め頃までの諸大名の情勢を記録したもので、軍記物である明智軍記に比べて、史料的価値は高いとされています。

 

当代記によると、光秀の享年が67歳となっており、没年の1582年から逆算すると1516年の生まれになります。

 

また、豊臣秀吉の逸話をまとめた『川角太閤記』には、本能寺の変の動機として光秀の考えが書かれています。

年寄りの最期の思い出に、一夜でも天下に名を轟かせたい。

 

これが本当ならば、67歳という年齢的にも妥当ではあります。

 

結局光秀の生年はどっちなのか?

光秀の生年に関しては、明智軍記の『享禄元年(1528年)』、もしくは当代記の『永正13年(1516年)』の二つのどちらかが採用されることがほとんどです。

 

結局、どっちが正しいのかと言うと、ハッキリしたことは分からないのですが、個人的には『享禄元年(1528年)』を支持しています。

 

『永正13年(1516年)』の生まれとすると、光秀が本能寺の変を起こしたのは67歳の時。

寿命の短かった当時の60代後半は、現在の感覚で言えば80歳以上かと思われます。

そう考えると、前述の川角太閤記の記述からも、『永正13年(1516年)』は妥当な線ですが、これは話として出来すぎている感が否めません。

 

というのも、ほとんどの戦国武将の頭には『天下統一』などという思考はありません。

↓詳細はコチラ↓

戦国時代の歴史的背景!戦国武将の裏話と真実をお伝えします
...

 

戦国武将が『天下』という野心を持っていたというのは、後世の物語や昨今のゲームが作り出したイメージにすぎません。

このような理由もあり、本能寺の変の動機としての『野望説』は、個人的に支持していないので、川角太閤記の記述は逸話的な面白さで書いたものだと考えています。

 

さらに、現在の感覚で80歳以上の老人が、本能寺の変と言うとんでもない謀反を、個人的な野心で起こすものだろうか?という気もします。

 

ということで、『永正13年(1516年)』だと歴史的背景的にも年齢的にも、ちょっと高齢過ぎると感じるので、消去法で『享禄元年(1528年)』の方が正しいのかなと考えています。

 

ただし、正確な生年を判断するのは現状不可能なので、あくまで個人的な意見として捉えていただければと思います。

 

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まとめ

以上、明智光秀の生年についてでした。

 

有力なのは、明智軍記の『享禄元年(1528年)』、もしくは当代記の『永正13年(1516年)』。

享禄元年(1528年)の生まれならば、享年55。

永正13年(1516年)の生まれならば、享年67。

 

そして、個人的には消去法で『享禄元年(1528年)』の生まれを支持しています。

 

他にも、明智光秀の性格や人物像、本能寺の変についてなどの記事を扱っています。

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では、今回はこの辺で!

ありがとうございました。